第17話
走り込みや得意武器の素振り、二人での『十秒組手』をこなしてからのクールダウン。軽く済ますと決めていた通りに午前中で訓練を切り上げて、ノアとマヤはギルドを後にする。二人はその後、街の中央の商店街にあるレストランに入って昼食をとることにした。
「一緒にこの時間に話すのって久しぶりじゃない?」
「確かに。最近はギルドでしか顔合わせてなかったかな」
商店街から見ると冒険者ギルドにやや近い場所に開くレストランに入る。冒険者はもちろん、肉体労働者向けと言わんばかりにボリュームのある料理が多くて有名であり、ノアはもちろんマヤもよく使っている店である。店内の他にテラスも用意されており、二人は唯一空いていたテラス席に着席した。メニューを注文してから二人で雑談をしていると、ふとノアを呼ぶ声が聞こえた。
「あれ、ノア君だー? こんにちはぁ」
「こんにちはサリナさん。三人揃って、お昼休憩ですか?」
三人の女性がノアとマヤの席に近づく。ノアも顔見知りのようで朗らかに返す。三人様々の服装をしているが、揃って首からは魔法研究所の職員である証明のタグを掛けており、揃いの白衣を羽織っている。アクセサリー類を付けず飾り気の無い恰好をしているが、実験等で様々な薬品も扱う職場の環境上外しているだけである。ファッションや流行を気にし始めたマヤが、イヤリングの跡等、女性陣の身体にある痕跡からそれを理解した。
「ところでそちらの子……赤髪ってことはもしかして」
「はい、カール教授の娘さんです。マヤ、この人たちはおじさんのチームの研究員で、サリナさんにミラさんにキッカさん」
「……初めまして」
ノアに紹介されて、マヤはおっかなびっくり頭を下げた。父の部下で、ノアの同僚。ノアにとって親しい年上の女性が母であるマリアンを除いたらミアくらいなので、柄にもなく緊張していた。
そんなマヤを見て女性陣も笑顔で頭を下げる……が、三人はすぐに後ろを向いて顔を近づけこそこそと会話を始める。
「恰好は物々しいけど、かなり可愛いわよ? スタイルも良いわ」
「カールさんも顔は悪くないしソフィアさんも美人だったし、やっぱりお子さんも似るのね」
「冒険者を目指してるって聞いたけどちゃんとケアもしてるみたいだし、思ったよりも悪くない環境なのかしら?」
そんなことはない、とマヤはもちろんノアも内心で断言していた。危険生物に遭遇しないで調査のみで依頼が完遂される場合もあるが、未調査の危険な地域に赴く以上は荒事に備える必要がある。ほんの少しの油断が死に繋がりかねない。実地よりも厳しい訓練が日々行われているのだ。
その過程で怪我をするなんて日常茶飯事であり、ノアも、そしてマヤも身体のあちこちに消えずに残ってしまった傷跡がある。それは女性であるマヤには現実を突きつけられたと実感している。
夏場に肌を晒す服装をした友達の横で、マヤは肌を隠すように長袖の服を着る。もっと幼い頃は男の子と共に傷は勲章であると笑いあっていた。それをマヤは否定することは決してないのだが、男女を意識する年頃になってからそれは重くのしかかっていた。
「それよりも。この店はもう満席ですし早めにお店探さないとマズそうですよ」
「あら、確かに。このままじゃテイクアウトしか無くなっちゃいそう」
ノアが二人にも聞こえてしまう大きさでこそこそ話し合っている三人に声をかける。元々ノアとマヤが入店した時点で客が並んでいたのに、注文し終わった現時点で客が店の外まで並んでしまっている。限られた休憩時間を待ち時間で削られてしまうのも限界がある。二人は手を振ってその場から離れる女性陣を見送って、改めて顔を向けあった。
「あの人達とは長いの?」
「そうだね。僕が研究所の手伝いを始めた頃からお世話になってて、おじさん以外で魔法を教えてくれた人達だよ」
「ふーん……」
マヤはノアから先程の女性陣のことを聞き、一つ息を吐く。マヤの知らないノアを知る人が現れた。もやもやとしたわだかまりが胸を締め付ける。それが何かなんて、マヤはとっくに気づいていた。
二人が注文していた料理が届く。再び他愛無い会話をしながら食事を堪能し、店を出る。これからの予定はフリーである。買い物に行くも良し、どこかでゆっくりするも良し。さてどうしようかとマヤが考えていると、ノアに呼びかけられた。
「……ねえ、マヤ。今晩、時間空いてないかな?」
振り向いたマヤが見たノアは、何かを決心したような、真剣な表情で真っ直ぐな眼差しを向けていた。
その顔を見て、どくんと、胸が高鳴った。
ーーーーー
マヤがノアに呼び出されたのは、街外れにある丘の頂上だった。既に日も落ちて光源の設置されていない場所だったこともあり、マヤがノアの姿を確認出来たのは頂上に着く直前だった。
「呼び出しちゃってごめんね、来てくれてありがとう。はいこれ」
「ホントだよ、明日早いのに。ありがとう」
ノアがお礼を言いながら差し出したコップには暖かいお茶が入っていた。ノアの腰には携帯用のポットがぶら下がっている。マヤはそれを受け取りながらノアの隣に移動する。それから二人の間には沈黙が続いた。ノアの顔には迷いと不安が入り混じっており、時折踏み出そうとして深呼吸をするものの一歩を踏み出せない、マヤはそんな印象を受けた。
夜とはいえ眠るにはまだ早く、急かすこともないと考えてマヤは視線を横に向ける。その先は二人が住み慣れた街並みーー
「わぁ……」
まるで星が敷き詰められたかのようだった。星は光、光は家、街並みに沿って光が並び、まるで絵画のような夜景が広がっていた。長年住んでいた街にこんな姿が見られる場所があったことをマヤは知らなかった。
「僕さ、夜にここから見る街が好きなんだ」
「うん……まるで星みたい。こんなベストスポット隠してるなんてずるいぞ」
「あはは、特に隠してるつもりはなかったんだけどね」
やっと口を開いたと思ったら、まるで普段のなんてことない会話の様。それでもマヤは感じている。ノアの決心を。自分の胸の高鳴りを。
マヤはそこから何も言わず、星並ぶ街並みを眺めながら待ち続ける。暖かかったお茶が少しずつ冷めていくのを感じていた。
「星の光が人々を導くように、冒険者という光が人々を導きますように」
ノアがポツリと呟いた。それは冒険者に託された言葉。ギルドが掲げる誓いであり、願いである。冒険者に登録出来るハードルが低いことから粗暴な者も多いが、その誓いに応えるような偉業を達成した者も数多く輩出した。
「冒険者の星は空に広がる星で。僕にとっての星は父さんで、マヤだった。これはお世辞でもなんでもなくて、本当にそう感じていたんだ」
ノアにとってはもちろん、マヤにとっても二等星にまで上り詰めたトレンツは正に星だった。冒険者とは何か。それを体現する存在が彼だったのだ。そんな人がマヤにとって家族のような存在だったのは、とても幸運だった。
「僕は誰かの星になれるだろうか。そう考えながらいろんなことを教わってきた」
ノアは苦々しい表情のまま独白する。その姿から彼の苦悩を察する。散々ノアの努力を見てきたのだ。だからわかる。
胸が、ドクンと高鳴った。だけど、これは違う。マヤの心に焦りがあることを自覚した。
「僕はこの景色を見た時、空以外にも星はあるんだと感じたんだ」
「ねえノア! 小さい頃にトレンツおじさん達の冒険に連れて行ってもらったこと覚えてる
?」
マヤがノアの言葉を遮って話し始める。それ以上ノアに言葉を続かせないように。その先を聞きたくないと駄々をこねるように。ノアの顔を見ないように、顔を伏せてマヤは話す。
「道なんてない見渡す限りの平原を皆で歩いててさ、空をでっかいドラゴンが飛んでたの。あの時は皆パニックになってたっけ」
それはマヤとノアが冒険者ギルドに登録した十歳の時。まだ仕事とも呼べないお手伝い程度の仕事しか受けられない二人だったが、冒険者デビューを果たした二人のお祝いとしてトレンツが他数名の冒険者とパーティを組んで近辺の簡単な調査依頼を受注し、それに二人を連れて行ってくれたのだ。
十歳の子供二人を連れた冒険。それでも大変だっただろうに、まさかのドラゴンとの遭遇だ。ドラゴンは十数年に一度目撃情報が入るか入らないか程度にしか見られない、伝説上の生物とも言われた存在である。情報自体はギルドにも存在するが、それも数十年も前のこと。その衝撃はギルドはもちろん、街全体を震撼させた。
しかし、それ以上に、マヤとノアの心を揺さぶったのだった。
「だからさ、えっと、結局ドラゴンは通り過ぎていっただけだったけど、この世界の未知に遭遇したって感じた時、すっごいワクワクしたんだ。これだって、これしかないって」
「マヤ」
「いろんな人から反対された! お父さんにもお母さんにも、周りの友達にも。それでも私には冒険者しかなかったの。あの時のワクワクを、もっと体験したい。それしか考えられなかったの!」
ノアが優しく語りかけるも、それすら無視してマヤが叫ぶ。もうやめて。それ以上何も言わないで。涙を流していることすら気づかず、懇願するかのような声を上げていた。
「マヤ」
「だからね! だから、ね、ノア……」
マヤは顔を上げてノアを見る。涙はそのまま、寒さも相まって顔も赤く、普段の快活な姿を知る者には想像も出来ないような表情。そんな外見を気にする余裕も無く、縋るようにノアを見つめた。
そこに映るノアは、まるで普段通りの優しそうな表情で、少しだけ笑みを浮かべて……まるで揺らぐことのない、決心した顔をしていた。
「僕は魔法研究所に就くよ。魔法をより身近なものに、より頼もしいものにして、皆の光にしていきたい」
ドクン、と、胸が高鳴った。予感はしていたのだ。魔法研究所の仕事を引き受けだし、少しずつ比重が傾き、冒険者ギルドに来る頻度が減っていった。それでも彼は充実しているようだった。
だからマヤは何も気にしていなかった。心にひっそりと潜む感情を無視し続け、そして今更、ようやく理解した。
これは、決定的な、決別なのだと。
「ギルドに依頼を出したり、フィールドワークの一環でこの街周辺で冒険者のように活動することはあるだろうけど、冒険者専業として一緒には行けない。マヤには、成人式の前に伝えておきたかったんだ」
ノアの言葉を聞きながら、マヤは再び顔を伏せる。自分は何をしているんだろう、何をしていたんだろう。胸の中はぐちゃぐちゃで、思考なんてまとまらなくて。耳を塞いで今すぐにでも逃げ出してしまいたい。
「……大丈夫だよ」
それでも、意地を張りたかった。
だってノアが決めたのだから。
「うん、大丈夫。ノアにならなれるよ。皆の星に」
涙を袖で拭って顔を上げる。まだ赤い顔のまま、真っ直ぐにノアへと顔を向けた。気づけば中身のお茶をこぼしてしまっていたコップをノアに向けて突き出す。ノアがそのコップを受け取ると、マヤは普段通りの笑みを浮かべた。笑みを浮かべることに全力を注いだ。
「私はずっと冒険者一筋だったから他の道なんて考えてもみなかった。いろんな道を考えていたノアは凄いよ。自信を持って」
ノアも冒険者のことは好きだっただろう。マヤやトレンツに無理やり付き合わせてしまっていた節もあったが、それでも十年近く一緒に走り抜けてくれたのだ。
だから、最後は笑顔で、新たな門出を祝福しなくてはいけない。そう心に決めて、マヤは最高の笑顔を送る。
「頑張ってよ! ノアは、私の星だったんだから!!」
その言葉を最後に、マヤは丘を駆け降りる。ノアの顔は見られない。必死に笑顔を向けたけど、そんなものは長く続かない。
ずっと一緒なんだと勝手に考えていた。赤ちゃんのころから一緒だったのだから当然だろう。一緒に依頼を受けて、一緒に発見し、一緒に戦い、一緒に……そう、そんな未来を信じていた。
次第に足は早くなる。フォームもスピードもばらばらで、呼吸もままならない。身体中が悲鳴を上げている。
ちゃんと笑えただろうか。ちゃんと伝わっていただろうか。ちゃんと、ノアを祝福出来ただろうか。わからない、わからないけど……もう、終わったのだ。
「あ、あああ、ああああああぁぁ」
マヤ自身、気づかないまま声が漏れている。言葉になっていない、駄々漏れの気持ち。ぐちゃぐちゃで、ぐるぐるで、何も形にならないまま流れ出る気持ち。
足がもつれて転んでも、這いずるように起き上がって再び走り出す。泥だらけのまま進み、気づけば家のドアを開けていた。
「おかえりなさい……マヤ?」
いつも通りの笑顔を浮かべて、母のソフィアが出迎えてくれた。マヤの姿を見て訝しんげに呼びかけたが、マヤはそれを無視して縋るようにソフィアに抱き着いた。
「あああぁぁ、ううあ、あぁぁ!」
マヤの様子を見て察したソフィアが、その場でマヤを抱きしめながら座り、何も言わずにマヤの頭を優しく撫でる。
その温かさに甘えるようにマヤは感情をさらけ出す。
「うああああああああああ!!」
その日、マヤは眠りつくまで泣き続けた。
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