第16話

 窓から差し込む日差しが朝を告げているが、春を押し返す冷たい空気に布団を手放す勇気が持てず、マヤはベッドで丸まっていた。窓が結露しなくなったとはいえ、まだ冬が存在感を示す季節。数十秒ももったいぶってから意を決して布団を押し返し、冷え冷えとした空気へと突撃する。



「うう……寒い……」



 体を震わせながら身体より大き目の上着を一枚羽織り、袖に腕を隠しながら部屋を出る。肩を過ぎて胸に届くまでに伸ばした髪を梳かして洗面所で顔を洗い、代償にかじかんだ両手をこすらせながら居間へと向かった。テーブルにはパンと湯気を立てるポトフが用意されており、既に両親が椅子に座っていた。



「おはようマヤ。はやくいらっしゃい」


「おはよう。今日も寒いな」


「おはよ……うひい寒いぃぃ」



 挨拶をする両親、母のソフィアが部屋着だけなのに対して、父のカールは二枚も上着を羽織って身を震わせている。着こみ過ぎてずんぐりむっくりとした父の姿に、自分もこんな格好になっているのかと思いつつ、食卓に並んで座る両親の正面の椅子に腰かけて、朝食の前で両手を組んで簡易的に神への祈りを済ませる。



「マヤ。今日の予定は?」


「今日はギルドで訓練するだけ。それも軽く済ませるつもりだし、成人式前だし依頼も仕事もないよ」


「そう、良かった。今日はお父さんも早く帰ってくるから、晩御飯は一緒に食べましょう」



 成人式。今年十五歳になった子供達を大人へと成長したと認める儀式。ただ大人になるだけではなく、それには特別な意味がある。儀式には当事者のみが参加可能であり、保護者は場外で待つだけにはなるが、儀式を終えて大人の仲間入りをした子供達を迎え入れる為に多少の混雑が発生するのが通例だ。



「もう引き継げる仕事は引き継いだからね。明日も休みにしてもらったよ」


「そうねー。まさかノア君にも引き継ごうとしたとは思わなかったけどねー」


「そ、それは何度も謝ってるだろう……すまなかったって」



 ノアは現在、マヤの父であり魔法研究所の教授であり研究者のカール=ノルダールの助手を短期・中期の仕事として務めている。マヤは仕事帰りのカールとノアを見かけたことあるが、研究に成果があったのだろうカールがげっそりしながらも艶やかな笑顔を浮かべており、ノアは愛想笑いをうかべていた。

 マヤは冒険者になると決めているが、ノアが冒険者を選ぶのか研究者を選ぶのかどうかはまだ決めかねているそうだ。冒険者ギルドと魔法研究所の両方がその答えに注目している。

 そんな既に職場で研究者として迎え入れられつつあることもあってなのだろうか、研究チーム内で同じく成人式に出るはずのノアへも業務を引き継ごうとしていたと知って、その話を聞いていたマヤも絶句した。

 このことはカールには聞かされていなかったらしく、それを知ったカールは激怒しノアへの引き継ぎを止めた側ではあるのだが、チームのトップであるカールが寸前まで気づいていなかったことにソフィアが怒りの声を上げたのがつい先日。今も怒られて身体を縮こませるカールの姿に、マヤは苦笑いを浮かべながらポトフを一口飲み込む。暖かいスープがじんわりとしみこむ感覚を堪能し、冷えて萎縮させていた身体を弛緩させた。


 マヤ=ノルダール。緩んだ表情を浮かべているが、今年で十五歳になり、人生の岐路に経つ立派な大人へと成長していた。




 □■□■□




 朝食後に身支度を整え、両親に見送られながらマヤは冒険者ギルドへと歩く。

 伸ばした髪は首の後ろで一束にまとめられ、髪の色と同じ赤を基調とした軽装に身を包んでいる。動きやすさはもちろんのこと、防具類を装着出来るよう様々な箇所に金具が取り付けられている。戦闘や長旅に備えられた頑丈なブーツや、魔道具である装飾品、肩には大きいサイズの麻袋から伸びる紐を掛けており、中にはプロテクター等の防具類が入っている。

 一つ一つから荒事に備えているところが見受けられるがしかし、昔は動くのに邪魔だからと短く切りそろえていた髪を伸ばし、冒険者ギルドが象徴として掲げている星の飾りが小さく添えられた髪留めで前髪とまとめ、今も歩きながら髪の形を気にして触っている仕草をしているマヤ。他にも爪の手入れやムダ毛の処理等の細やかな努力を始めており、女性らしさとは無縁の服装であろうとも目を引く美しい女性に成長したその姿からは、幼少から男の子と混じって剣を握り走り回っていた過去など疑わしいものである。

 そんなマヤが笑顔で浮かれたような足取りで進む先は、女性らしさとは絶縁されていると言っても過言ではない冒険者ギルドの建物。ようやくたどり着いたと言わんばかりのマヤからは、見る者にまるで餌を焦らされているペットのような印象を与えている。



「おはようございまーす!」



 マヤは元気よく挨拶をしながら扉を開けて建物内へ入る。マヤよりも先に建物内にいた同業者からも元気な挨拶が返ってきた。



「おはようマヤ! 今日も元気だな!」


「おはよ! それが取り柄だしね!」


「おうマヤ! いつもより嬉しそうだな、良いことでもあったか?」


「へへ、そうかなー。そんなことないよ」


「マヤ! 好きだ! 付き合ってくれ!」


「あっはっはっは! パス!」



 マヤは挨拶を交わしながら受付カウンターへと進む。ギルド職員以外で冒険者ギルドへと訪れる人は九割以上が男性であり、それ以外も妻帯者の妻か子供である。過酷な職業である冒険者は必然的に男性の比率が高く、この街に所属している冒険者はマヤを除き零。唯一の女性冒険者であるマヤは、まるでアイドルのようにもてはやされていた。



「おはようマヤちゃん。今日も人気者ね」


「おはようミア姉さん。私しか女の子いないからねー。誰か入ってくれないかな?」


「それはちょっと……難しいんじゃないかな」



 受付カウンターに着いたマヤに話しかけたのは、ギルド職員であるミアだ。パーマのかかった茶髪を肩に伸ばす柔和な笑みを浮かべる彼女は、マヤが幼い頃から知っている存在であり、姉と読んでいる通り本当の姉のように慕っている。ノアの母であるマリアンの後輩であり、男しかいないギルド内の華である妙齢の美女だ。



「確か、今日は訓練だけよね? 明日が成人式なんだし、今日くらい休めばよかったのに」


「うん。だから今日は軽め。最低限はやっておかないと鈍っちゃいそうで」



 ミアも当然、マヤが明日に成人式を控えていることを知っていたので心配していたが、当人も考えているようで胸をなでおろした。ミアがマヤが訓練場を使用する手続きを進めていると、冒険者の一人がマヤに声をかけてきた。



「ようマヤ。今日の訓練は俺が付き合おうか?」


「ありがとう、でもごめんね。今日はノアと組む予定なんだ」



 マヤは冒険者へ感謝をしつつも謝罪する。しかしその言葉を聞いて冒険者達からは笑い声が響いた。



「てっきりもう魔法研究所に就職したのかと思ったよ」


「明日からはどうなるかわからないけどね」



 別の冒険者からの声にマヤも笑って返す。ノアが冒険者として活動しながらも魔法研究所で働いていることは、古参の冒険者にとって周知の事実である。その為冒険者ギルドに顔を出す度にノアの魔法研究所就職話でネタにされているのはもはや恒例だった。最後にギルドに来たのはもう一か月も前であり、彼を知る者はノアがどのように成長しているかで語り始めていた。



「おはようございます」



 ノアの登場でより騒がしくなった中、冒険者ギルドの扉が再び開かれる。まるでいつかの焼き増しかのように挨拶と共に入ってきたのは噂の張本人だった。マヤと同じように自身の髪色に合わせた茶色の軽装に、取り外し可能の防具を入れた大き目の麻袋を肩にかけている。やや童顔ではあるのだが、自信にあふれた表情からは余裕さが窺え、大人びた印象を与える。

 ノア=ファリノス。年相応の柔和な笑顔を浮かべて、およそ二か月ぶりに冒険者ギルドに姿を現した。


ーーーーー


「おはようございます」



 外からでも聞こえるくらい賑やかな声につられるように冒険者ギルドの扉が開き、ノアが建物に入ると歓声が上がった。屋内にいる皆が一斉にノアへと向き声をかける。



「おはようノア。ギルドでは久しぶりじゃない?」



 一度に注目と声援を浴びて困惑するノアに助け舟を送る形で、遅れてマヤがノアに話しかけた。



「あ、うん。おはようマヤ。ギルドだと一か月ぶりくらいかな。懐かしいよ」


「一か月ならそんなに懐かしがる程じゃないでしょ」



 笑顔で話しかけてくれたマヤにノアが露骨にホッとしつつ、二人で受付カウンターに向かって歩き出す。そこには書類に何かを書き込んでいるミアが座っていた。



「ノア君。久しぶりね、今はちゃんと眠れてる?」


「お久しぶりです、ミアさん。今は環境が一新されたので大丈夫です。ちゃんと眠れてますよ」


「それは良かったわ。魔法研究所での仕事を再開したって聞いて、組織ってそんな簡単に変わる者じゃないから不安だったのよ」


「カールさんが生粋の研究者っていうところもありますけど……やっぱり魔物騒動から変わりつつありますよ。成人式も控えてますし、最近は仕事の量も抑えてもらっているんです」



 ノアの顔を見て心配するミアだが、本人は至って元気そうではある。だからこそ不安ではあるのだが、かといって強く言えることでもなく、ミアも口ごもってしまう。

 魔物騒動とは一年前に冒険者ギルドが管理していた実地訓練用の遺跡で発見、討伐された魔物についての騒動だ。魔法研究所も冒険者ギルドも揃ってお叱りを受けたが、ノアから見れば特に叩かれてしまったのはノアの勤怠管理をしていたカールだった。

 魔法研究所のトップ直々に糾弾され、責任を取って勤務時間の可視化についてルール及びシステム化の対策を進めることになったと思ったら、カールと同じく研究の虫である同業者に顰蹙を買ってしまうことになる。

 更にノアの一家とも家族ぐるみの付き合いということもあり、妻でありマヤの母であるソフィアとノアの母であるマリアンからの雷が落ちしばらくの間燃え続けた。そこから魔法研究所での対策が完成するまでの数か月、ノアの出勤が許されなかった。



「確かにそうかもね。前は何回言っても父さんとノアが何日も帰ってこなかったりクマを作って帰ってきてたんだよ。それに比べれば今は二人ともちゃんと帰ってくるし、ノアもクマを作らないしね」



 ノアの横に立ってマヤが割り込む。からかうような口調で過去を話すマヤに対し、自身も興味が勝りカールと一緒に仕事をしていたノアが苦笑いを浮かべて頬をかく。



「ほらほら、そこまでにしましょう。今日は早く終わらせるんでしょ? やるならさくっと終わらせてきなさい」

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