第15話

 指先を動かすこともできないような瞬間的な時間で、アルフレドの後ろから猛然と何かが追い抜いていく。それはなんとも強く、頼もしいことか。鈍い轟音と共に衝撃がアルフレド達に走る。人とは比べ物にならない巨体である魔物の突撃が、たかが人によって阻まれている事実が眼前に突きつけられていた。



「その熱き言葉! 鼓舞されぬ冒険者はおりませぬ!」


「と、トレンツ殿!?」


「おじさん!?」



 アルフレドとマヤが驚愕の声を上げる。アルフレド達の背後……ノアの父、協会の教官、元二等星。遺跡の入り口から現れたのはトレンツだった。自身を鼓舞させるようなアルフレドの独白に応えながらアルフレドと魔物の間に入り込んだトレンツが、巨大な盾を構えて魔物の体当たりを受け止めたのだ。

 アルフレド、ノアやマヤが扱ったどれよりも高い練度の肉体強化魔法と、トレンツが授かったスキル「重量化・肆」により硬度及び体重の差を補い、魔物と強烈な均衡を保ったのだ。驚愕するアルフレド達をよそに、トレンツが歯をむき出しにして笑う。それはとても獰猛で、見た者に恐怖と重圧を感じる程に怒りの感情を思わせた。



「俺の可愛い子供達に、何をしてくれる!!」



 再び轟音。硬い物質同士がぶつかり合った衝撃音が響き渡った。トレンツが盾で魔物の角をかち上げたのだ。魔物にも耐えきれない程の威力により急激に角から頭を揺さぶられる。魔物相手に単身でたたらを踏ませたのだ。

 トレンツが腰にぶら下げた鎚を持って足元へ踏み込み、筋肉量の少ない関節へ向けて追撃に移る。皮膚が硬質化されていることで、斬る攻撃よりも衝撃を与える攻撃の方が効率が良いのだ。数回斬っても大した外傷を与えられなかったマヤに対し、より重くより強い鎚の一撃が魔物の前足の関節に叩きこまれ、魔物から苦悶のうめき声が上がる。



「……これが、二等星の実力なのか」



 アルフレドから呆けた声が漏れる。先程まで生物の差を見せつけられて絶望していたのだ。それがどうだ、魔物を圧倒するトレンツの姿が、彼こそまるで別の生物なのではないかと考えてしまう。あまりにも格が違う。



「何をしてるの!? 早く逃げて!」



 そこへ突如鋭い声が投げかけられ、アルフレド達の身体がびくりと震えて緊張が走る。いち早く状況を飲み込んだマヤが荷物を手にアルフレド達の横まで移動していた。



「おじ……トレンツさんが持ちこたえている間に、急いで救援を呼びましょう!」


「し、しかし。あれほどの実力があるトレンツ殿がいるのであれば……」


「時間稼ぎまでです。討伐するには数が足りません」



 数、とマヤは言ったが、正確に言えば致死に至る攻撃力が足りていない。この中で実戦経験があるのはマヤとトレンツの二人。特に魔物との実践があるのはトレンツのみである。そもそも少人数で討伐する相手ではないのだ。威力の高い攻撃を行うことが出来る者や相手の気を引いて攪乱する者、様々な役割を持たせた集団戦闘が前提とされている。片手で数えられる人数で魔物と相対している時点で間違いなのだ。

 だからこそマヤは行けと告げる。ノアを救う為に、アルフレドを逃がす為に戦うことを選択している。躊躇うことなく振り向き、武器を失っても立ち向かうマヤをアルフレドは見つめる。

 これでいいのだろうか。何かできることはないのか。本当に、何もないのか。護衛に急かされるもアルフレドは必死に考える。正常に考えがまとまらない中でも思考を止めず、一つの答えを見つけた。



「女! 使え!」



 アルフレドが自身が使っていた剣をマヤに向けて投擲する柄に自己顕示欲を示すかのように煌びやかな装飾がされた剣が床に突き刺さると、戦闘に不向きな外見のそれが実践に耐えうるのかとマヤが逡巡するが、すぐにそれを掴む。



「え、軽……」



 なんの抵抗も無く抜けてしまいバランスを崩しながら、マヤが思わず呟く程に驚いた。自身に使用した肉体強化魔法の効果がまだ継続されているので腕力が向上されているのだが、それを加味しても文字通り羽根のように軽いのだ。

 金属の中には魔力に強く反応する種類がある。硬く、柔らかく、熱く、冷たく。所持者が魔法を扱うがごとく操れる金属。希少なものではあるが、それを組み込んだ武器の一つが今マヤが持つ剣だった。マヤの肉体強化魔法に反応して、軽く、鋭くなったのだ。



「マヤ! 何をしている!?」


「えっ、うわ!?」



 トレンツの怒声にマヤが振り向き、硬直する。魔物がマヤへと向かって転倒するところだったのだ。このままでは巨大な角に押しつぶされてしまう。マヤは反射的に手に持っていた剣を前に出して抵抗しようとする。

 マヤの持つ剣の刃と、頭上に迫る巨大な角。それらが接触した結果、マヤは剣と共に突き出した腕を弾かれる。しかし魔物の角は半分以上を切断され、魔物自身が振り回した衝撃に耐えきれずにへし折れた。



「なんという……」



 その結果にアルフレドが呆気にとられ、呟くことしかできなかった。アルフレド自身がスキル越しに斬りかかり、弾かれた角だ。それを難なく切断する結果が信じられずにいた。

 トレンツとマヤもそれに驚愕していたが、すぐに我に返り行動に移す。倒れた魔物の後ろに回り込み、首元へ剣を突き刺す。それは重い抵抗を感じさせつつも刃のほぼ全てを潜り込ませる。



「うわああああああ!!」



 魔物の悲鳴と共にマヤが掛け声と共に空中へと飛び上がる。頸椎ごと首を切断するかのように切り上げてられるが、刃の長さが足りず両断するには至らない。しかしその傷は生物にとって間違いなく致命傷だった。

 だがそれでも相手は魔物である。まだ絶命には至らず、傷が開かれるのも構わず首を振り回す。強力な武器によって角を切断可能となったとはいえ、空中にいるマヤにはそれを避ける術がない。

 だが一瞬、その魔物の動きが止まる。床にぶつかった角の一部がそのまま沈み、固まった。角が床に捕らえられたのだ。アルフレドが気づいたのは全てが終わってから。地下からの階段を這いずりながらも登りきったノアがなけなしの魔力を注ぎ込み、魔法で土を描いたのだ。



「大人しくしておけえい!!」



 一瞬あれば、が見逃すはずがない。床は魔物の抵抗により呆気なく砕けるが、その一瞬でトレンツが顔面に踏み込み、魔物を盾で床に押し留めた。

 抵抗するも動けず呻くことしかできない魔物。そこに彼女が終わりを告げに降り立つ。



「はああああああ!!」



 飛び上がったマヤは頂点でくるりと回転して向きを変え、前方へと回り込むように魔物へと降下する。着地と同時に振り下ろされた剣はさながら断頭台の刃のように、刃の足りなかった部分を斬り落とした。

 衝撃に魔物の身体がびくりと震え、鈍い音と同時に頭部が胴体と離れて落ちる。声も消え、ビクビクと痙攣しながら切断面から血を吹き出す魔物。首を断ち勢い余って床にまで刺さってしまった剣を抜いて飛び下がったマヤがトレンツと魔物の状態を確認し、頷きあう。



 ここに、魔物の討伐が完了した。



「ノア!!」



 マヤが突如走り出す。飛び上がった時に地下からの階段付近に倒れるノアを見つけていたのだろう、真っ直ぐに駆けるマヤを見て、アルフレドはやっと終わったのだという実感が湧いてきた。



「アルフレド様。お怪我はありませんか?」


「……ああ。私も後ろの二人も怪我はない」


「それは僥倖でした……私が何を申し上げたいかは、おわかりですね?」


「わかっている。己の無知と無力を思い知らされた」



 違う、言いたいことはそんなことではない。アルフレド自身わかっているのに、うまく言葉に出せなかった。致命傷の仲間を背負った冒険者に出会ったトレンツの隙を見計らっての独断行動。魔物の情報がありながらも現地へ赴き、調査中の冒険者を妨害。謝罪で済まされるものではない。

 では何と伝えればいいのだろうか。否、何を口にしてもトレンツの心証を悪くするだけだ。わかっていても、何かを伝えなければならないとアルフレドが口を開こうとした直後、ノアを背負ったマヤが二人の間に入り込んできた。



「ありがとう! 助かっちゃった」


「あ、ああ。こちらこそ助けられた。よくぞ倒してくれた」


「この剣が凄かったんだよ。魔法に反応してたけど、やっぱり高い武器なの?」


「うう、金額にしてしまえば恐らく高額だろう。だが今は……」



 ぐいぐいと迫るマヤにどう対処するべきか迷うアルフレドを見て、トレンツが大きくため息を吐く。今詰問するべきではないと考え直したのだろう。



「早く街に帰還しましょう。魔物のことを報告しなければなりません。マヤ、帰ったらノアと一緒に説教だからな」


「ええっ!? 私達も!?」



 騒ぐマヤの声を聞きながら、彼らは遺跡を後にする。命からがら助かった。危うく命を落とすところだった。この場にいる誰しもが悲喜こもごもだったが、今は無事に帰還できることを喜び合った。




 □■□■□




 遺跡での出来事から一週間が経った。この一週間はノアとマヤにとってとても――とてつもなく濃厚な一週間だった

 大規模な調査隊及び討伐隊が組まれて遺跡を徹底的に調査され、それには実際に現場にいて魔物と戦闘をした当事者としてトレンツはもちろんのこと、ノアとマヤも参加することになった。そして調査の結果、遺跡には討伐された個体以外に魔物は発見されなかった。

 続いて遺跡について。地下を降りるには巨大すぎた魔物がいた為、魔物と化した原因は地下にあると考えた専門家達は、魔物が発見された地下二階以降を中心に調査が行った。

 その際、瓦礫の中で奇妙な物を発見した。今の時代とは違う、前時代文明の遺物と思わしきものである。使用用途は現在調査中だが、昔から協会にて管理されていたはずの遺跡の浅い階層で未発見の遺物が突然発見された事実に、調査隊は何者かの人為的な目的があるのではと考えた。

 それ以降の階層もくまなく調査されたが、魔力の吹き溜まりも確認されなかったことで更に遺物への注目が集まることになった。訓練用という名目で管理されていた遺跡だったが、調査が終了した現在も封鎖されている。

 最後に、貴族について。怪我を負うことはなかったが、職業体験中の貴族が魔物との戦闘に巻き込まれたということで冒険者協会が戦々恐々としていたが、その考えは杞憂に終わった。それどころか巻き込まれた当の本人であるアルフレドから、



「冒険者は、人類の脅威である魔物にも恐れず立ち向かう勇気ある者である」



 と称賛の声が出たのだ。教官であるトレンツから無断で離れ、独断で遺跡へ向かったことを事実として認め謝罪し、慰謝料と一時支援金として高額が冒険者協会に支払われたらしい。

 ただし、全てが貴族の責任問題となったわけではない。結果として、『魔法研究所で前日まで徹夜で仕事をしていた未成年が、翌日に魔物と戦闘になった』ことで大きな問題になった。

 魔法研究所と冒険者協会はそれぞれで責任を追求された。魔法研究所は非正規雇用かつ未成年者を徹夜で働かせていたこと。冒険者協会は既存の情報がある場所とはいえ、重要かつ大型の建造物の調査に二人の未成年に依頼したことだ。

 魔法研究所はこれによって形骸化され暗黙のルールになっていた勤務時間の可視化が。冒険者協会は依頼の信憑性についての事前調査の強化が行われることになる。

 そして、当事者であるノアとマヤはというと……。



「ノア! へばってないでもう一回!!」


「……無理。休憩挟んでお願い」



 既に様式美として協会職員及び冒険者達には認識されている、訓練場に地面に伏しているノアを叱咤するマヤの姿があった。

 トレンツも合流したとはいえ、ノアとマヤの未成年二人が魔物を討伐した事実は貴族の職業訓練よりも衝撃的な出来事として冒険者協会内を騒然とさせた。

 正に偉業。その実力は三等星にも迫るのではないかと噂される程である。

 それでもノアとマヤは訓練を続けている。実力と実績を評価されているのにも関わらず、驕らずひたむきに。

 それは二人の心にある燻ったままの感情が焦らせているからだった。魔法研究所、冒険者協会、貴族の全ての組織で責任の追及や賠償等で今回の件が大事になっている。そんな中ノアとマヤに一切話は降りてきていない。

 当事者なのに? 功労者なのに? それは全く関係ない。理由は単純に……未成年、子供だからだ。

 まだ保護者の保護の元に教育を受ける子供として判断され、二人は詳細な情報は聞かされていない。魔法研究所からはカールを通して、冒険者協会からはトレンツを通して報酬とは別に賠償金が支払われている。

 他人事ではなく自分事であるはずなのに、二人を蚊帳の外に置いて気が付けば凄い速さで物事は進んでいた。それが二人を焦らせる。

 例え強さを証明しても如何に有能であるかを示しても、未成年であるだけで線引きされる。そもそも、もしもノアが成人していた場合ここまで問題視されていなかったのではないかといった憶測がある。



 ――早く、大人になりたい。



 成人となり認められるには時を待つしかない。それがとても歯がゆく、鬱憤を晴らすかのように二人は身体を動かした。



「ほら、もう十分休んだでしょ! 訓練再開!」


「……魔物よりも怖い」


「何か言った?」


「何も言ってません教官!」


「誰が教官よ!?」



 ――――そして、更に一年の時が流れる。


 ノアとマヤ。共に十五歳。成人となる歳になった二人。




 運命は、歪み始める。

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