第14話

「アルフレド様! 今のうちに避難を!」



 崩れた床の向こう側から魔物の叫び声が響き渡る中、呆然とするアルフレドを引っ張りながら護衛の一人が叫ぶ。よろよろとおぼつかない足取りで出口へと足を運び、しかし視線は崩れた床に釘付けのまま、アルフレドは呟く。



「貴族が……脅威に立ち向かう民を置いて、尻尾を巻いて逃げるのか」


「あのような化け物相手に貴族か平民かは関係ありません。遺憾ですが……我等の剣術も魔術も、あの二人には劣ります」



 アルフレドの呟きは問いかけではない。事実であり、自らの心を抉る自虐だった。自信を持った凛々しい顔だったが、今は血の気が引いて白く染まっている。眉間にしわが寄り、涙目、口は半開きのまま小さくうめき声がこぼれる。

 街を背負う貴族がなんという様だ。しかしそれを咎められる者はここにいない。護衛の二人も己の無力に唇を噛んでいる。アルフレドのスキルを知っており、強さを知っている。自身も強さを求め技術を磨いてきた。貴族の護衛の任務を任せられることがどれほど名誉なことかと己の強さを自負してきた。

 それら全てを、魔物が打ち砕いた。揺らがずに立つ冒険者が打ちのめした。強いか弱いかの舞台ではない。生きるか、死ぬか。三人は履き違えていたのだとようやく理解したのだ。



「ノア……ノアっ!」



 倒れていた冒険者――マヤがふらつきながら立ち上がり、魔物が飛び込み床が崩れて出来た穴へと向かう。まだ階下から魔物の叫び声が聞こえてくる最中で満身創痍のまま近づくのは危険だ。アルフレドは慌てる護衛を無視してマヤへと駆け寄る。



「女! 今は逃げるぞ!」


「来ないで。自分の立場を理解してよ。早く避難して」


「あの男なら生きている。傷を負った身体では救えるものも救えない」



 アルフレドの言葉はただマヤを鼓舞させるだけの嘘ではない。護衛の二人もそうだろう、彼は見たのだ。魔物がノアへと飛び込んだ時、魔法を唱えていたことを。描いていたであろうは土。床を変形させて大きな柱を作成すると同時に、自らの頭上を守るように床で覆ったことを。

 それだけではない。ノアが立てた柱は魔物の胸……否、マヤが突き立てた剣を押し込むように当たった。魔物が自ら負傷することになったのだ。それに加えて崩れた床を見る。瓦礫は階下に落ちてしまったが、残った床が綺麗に円を描いていた。

 それを理解した瞬間に、ぞくりと背筋が凍った。土の魔法は無から有を生み出すのではない。既に有るものを作り変えるようなものだ。既に存在する床を作り変えた時、柱として変形させた体積を周囲の床から引っ張り出した。それによってノアの周囲の床が薄くなり、壊れやすくなっていた。それが影響して巨体を持つ魔物が飛び込んだには床の崩壊が少なく済んだのである。

 あの瞬間、ノアは魔物に攻撃を加えつつ、マヤとアルフレド達を守ったのである。



「あの男は生きている。確実に救う為に、今は体勢を立て直せ」


「貴方に何が!」


「わかるさ! わかるとも!」



 わかってしまった。自尊心など既に崩れ、アルフレドが立っていられるのは意地と誇りだけ。同年代でもいなかった、明らかに年下であろう者に実力差を思い知らされた。

 屈辱に拳を震わせ、自らの驕りに歯を食いしばる。マヤが気づいたのだろう、それ以上は何も言わず、しかしアルフレドの手を振り払い歩き出す。自暴自棄になったかと思われたが、マヤの向かう先にはノアが背負っていた荷物が転がっていた。偶然にも床の崩落の範囲から外れていたようで、戦闘の影響で壊れていなければ薬等で治療が可能なのだろう。

 しかしその足がピタリと止まる。マヤが立ち止まった理由がわからずアルフレドが戸惑っていると、階下から一段と大きく魔物の雄叫びが響き渡る。アルフレドを含めた四人がそれを聞いて、あまりの大きさに身震いする。



「どうにかして時間を稼ぎます。これが最後です。逃げて……いえ、援軍を呼んできてください」



 マヤがアルフレド達へと振り返って告げる。擦り傷や埃、土に汚れているその顔がとても綺麗で、三人は魅入られた。強く覚悟を持ったような、とても儚げで、もう見ることが出来なくなるような。

 崩落した穴から、魔物が雄叫びを上げながら這い上がりつつある。マヤが再び前を向いて走り出す。アルフレドは、その姿を見て……歩き出すことが出来なかった。

 本当にいいのか。仕方ないだろう。何か出来るのか。確実な手段を取るべきだ。


 ――――まだ、何もしていない。


 歯を食いしばり、剣を抜いて上段へ高く掲げる。スキルを得てから振り始めた弱い剣を握り、これくらいで良いと発動に成功した時点でやめてしまった魔法を描く。

 自信は傲慢に、芯ある志は折れて棒きれに。それでも、汚してはならない誇りがあった。



「我が名はアルフレド=イェフォーシュ! ハダルを背負う者の末裔! 貴族の負けは街の……民の滅亡! 相手も捉えられない愚か者でも、貴族が一太刀も入れることすら出来ないことは許されない!!」



 掲げた剣を振り下ろす。スキルが発動し、天井を削りながら魔物へと刃が迫る。肉体強化魔法によって強化された攻撃はしかし、感情的に振り下ろされたそれは愚直にも真っ直ぐで、魔物の頭に伸びる角に容易に阻まれた。



「ぬううううう!!」



 スキルによって伸びた見えない刃は魔物の角に食い込んだ。容易に阻まれたそれを下に、ただ下に振り下ろそうとアルフレドは力を籠める。それがアルフレドにとっての償いと、誇りの証明の為に。

 しかし、しかし。キンと甲高い音と共にアルフレドの腕が跳ね上がる。魔物が首を振って抵抗しただけで、簡単に剣は弾かれた。

 当然だ。長年修業を続けたマヤの練度で強化魔法を行っても、魔物の圧倒的な暴力を正面から受け止めることは出来ないのだ。それを今まで生半可な修業を続けていたアルフレドが一時の感情で超えられるはずもない。

 アルフレドは弾かれた衝撃で後ろへとたたらを踏む。そして、そこからは早かった。

 全力を軽く振り払われて呆然とした。そんな数瞬で魔物は穴から這い上がり終えていた。

 それに気づいた時、魔物が大きく見えた。否、真っ直ぐこちらに向かって走り出していた。



「あ」



 アルフレドは後ろから聞こえてきた言葉で察した。自分が愚かにも立ち向かったから、護衛である二人が避難することに迷ってしまったのだと。

 まるで全ての音を置き去りにしたかのような瞬間。意識だけが高速を駆けるようなゆるやかな時間。逃げようにも、もう間に合わない。自分のわがままで、護衛の二人と二人の冒険者を殺してしまう。そんな後悔が生まれるよりも早く、押しつぶそうと魔物の角がアルフレドの前へと迫った。



「貴殿の言葉、確かに届きました!」



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