第13話

「……ノア。どうする?」


「……三人が避難するまで時間稼ぎ。遺跡の損害は諦めよう」


「了解。援護お願いね」


「おい! 今のはなんだ。何が起こった!?」



 ノアとマヤが方針を確認しあい、いざ行動に移そうとしたところで背後から声をかけられた。その声は怒声とも取れる程に大きく、しかしそれでも狼狽の色を隠せてはいない。

 ノアとマヤが驚いて振り返ると、焦った様子の護衛達が小走りで近づいてきていた。二人に問いかけたものの、護衛はそのまま二人に並んで吹き抜けから地下一階を見下ろした。



「ヒィッ!?」



 魔物を見てしまったのだろう、その異形に気圧され、護衛は情けない悲鳴を上げた。その声が思いの外大きく、ノアは慌てて護衛の口を塞ぎながら吹き抜けから階下を見下ろす。



 ーー目が合った。



「離れろ!!」



 ぞくりと走る悪寒と本能に従い、ノアは反射的に自身に肉体強化魔法をかけながら叫ぶ。そして口を塞いでいた護衛を脇に抱え、後ろでうろたえていたもう一人の護衛をも体当たりをするように肩で担いで吹き抜けから避難する。視界の端では既にマヤがアルフレドを担いで壁際まで避難しているのが見えた。

 途端、床が爆発した。護衛二人を抱えた状態のノアでさえ宙を舞う強大な威力でありながら、あまりにも突然だったことで宙を舞っている最中にノアがようやく気づく。一度、階下でも吹き飛ばされた時と同様に身体を捻って背中のリュックをクッションにしようと目論む。三人分の体重を受け止めるには不十分だったが、一度でも衝撃が和らげば十分だとノアは考えていた。

 しかし、その判断は甘かった。地面に直撃することは防げたものの、片腕ずつで成人男性を抱えていたのだ。その二人を支えるには肉体強化魔法を施していた身でも耐えきれず、両肩に強い衝撃と激しい痛みが走る。歯を食いしばって耐えながら護衛二人を手放し、リュックを外しながらごろごろと床を転がる。勢いが収まって身体が静止した時、ようやく周囲の音が聞こえるようになった。

 固く重いものが崩れていく音。砕ける音。ぶつかる音。そして、激しく震える息遣い。痛む身体を無理やり持ち上げて顔を上げると、そこに爆発の原因がいた。

 これほど近くで見てしまうと、その巨躯に圧倒される。歪に伸びる角。小型の家が比較対象になるような身体。大人三人分以上はあるだろう高さにある頭。そしてそこからこちらを見下ろす黒く染まった眼。階下で遭遇した魔物が、角と巨体で砕きながら吹き抜けを目掛けて飛び上がってきたのだ。

 その場にいた誰もが魔物に気圧されていた。言葉を発せず、床に這いつくばりながら見上げるばかりーーただ一人を除いて。



「私達で時間を稼ぎます! 今のうちに避難してください!」



 誰よりも早く、マヤが魔物に向かって駆けていた。右手には愛用の長剣。魔物に相対するには頼りなく思える武器を構えて魔物に斬りかかった。

 本当であれば気づかれないうちに攻撃を仕掛けたかったが、魔物に気圧されてしまっていたノアを含め貴族と護衛達の目を覚まさせる為に声を上げた。そして、正気を取り戻しながらもマヤに声を上げさせる危険な行為をさせてしまったことに気づいたノアは、後悔しながらも棒を手に持って立ち上がる。

 描くのは風。魔物の特に顔を中心に突風を巻き起こし、近距離で動くマヤへの注意をそらすのだ。遺跡前で魔法を多用し、家から持ってきていた棒術用の棒を落とし、両肩を負傷した。ノアは自身のコンディションが非常に悪いと判断し、攻撃を行わず妨害に専念することを決めた。

 元々、魔物は個人で打倒出来る存在ではない。それに加え貴族達を避難させなければいけない



「はああああ!!」



 魔物化したことで身体全体の硬質化に始まり、巨大化している影響で足元には入り込みやすいが体格差によりマヤの身体では掠っただけでも吹き飛ばされてしまうだろう。

 しかしそれでもマヤが掛け声をあげながら果敢に攻める。元となった生物が鹿である以上、急所や重要な内臓の位置はそう変化していないだろう。効果が薄くとも執拗に前足を斬り、魔物に向けて存在感を出し続けた。


 こちらを見ろ。お前の敵はここにいる!


 そして、その時は来た。足元を走り回りチクチクと責め立てる鼠、顔の周りをまとわりつく綿毛のような風。ただ暴れまわるだけの魔物だからこそ、苛立たされた後に躊躇わずに衝動的な行動に走る。前足を上げて上体を起こし、まずは足元を這う鼠を踏みつぶそうと振り下ろす。

 しかしそれこそが好機。迫る前足とすれ違うようにマヤが跳躍し、胴体…胸部に向かって剣を構えた。魔物の強固な肉体に対するには軽い体格ではあるが、肉体強化魔法に補われた跳躍力と踏みつけようと身体を動かした魔物の膂力が、体格差を補って余りある衝撃を生んだ。



「マヤ!?」



 踏みつけによる衝撃音と床の破砕音が響く中、ノアの目には勢いよく床に叩きつけられるマヤの姿が見えた。魔物の胸部にはマヤの持っていた剣が刺さっている。魔物との衝突で見事魔物の皮膚を突き破り刃の根元まで刺さったのだろうが、その衝撃はマヤ自身にも激しく叩きつけられ、剣を残して床へと落ちたのだ。

 魔物の雄たけびが聞こえる。それは胸部に傷を負った故の痛みか、苛立ち故の咆哮か。



「……やらせないっ!」



 コンディションが悪いなんて言っている状況ではない。ノアは風の魔法を解除し、新たに別の魔法を唱える。描くのは土。魔法が発動されると、魔物の足が床に沈む。床の硬度と形状を変形させて足を飲み込み、元の硬度以上に強く床を固めるのだ。

 魔物が再度マヤを踏みつけようと動いてしまったら、今のマヤでは回避できない。魔物を少しでも拘束させようとの試みだったが、ノアの想定以上に魔力が使われる。床はもちろん、遺跡そのものがただの土ではない化合物によって作られている影響で、大量の魔力を消費することで無理やり魔法を発動させているのだ。

 ノアは土の魔法を完成させた後、間髪入れずに新たな魔法を唱えようとする。しかし避難するはずのアルフレド達がまだ棒立ちでうろたえているだけであることに気づき、声を張り上げる。



「何をしているんです!? 早く避難してください!」


「わ、私は……」



 アルフレドがなんとか言葉を繋げようとするが、しかし言葉が続かない。その姿にとうとうノアの我慢が限界を迎えた。

 


「何のために僕達が戦っていると思ってる!? 早く行け! 死にたいのか!!」



 言葉遣いも崩し、声を荒げるノアに驚いてアルフレド達が身体を強張らせる。ノアはそれを最後にアルフレド達を無視することに決めた。貴族? 協会? 知ったことか。そんなものはマヤにかえられるものじゃない。

 描くのは火。手を魔物へと伸ばし、意識の向きを調整する。魔力という燃料をくべるだけくべて、伸ばした手の先で生まれ完成されたのはこぶし程の大きさの炎。周囲が揺らぎ、白く染められた炎が凝縮されている。伸ばされた手が赤く染まり、手の皮膚が膨らみ始める。

 描くのは風。火傷の痛みにより絶叫したくなるが精神力で強引に噛み締め、乱暴に風を起こす。魔物と同じ空間に既に存在する空気や床と異なり、火はノアが目の前に生み出したものだ。風を起こして炎を飛ばし、魔物へと送りつけなければならない。飛ばす方向は手を伸ばした先。ノアは乱暴に炎を魔物へと吹き飛ばした。

 炎を飛ばした直後、ノアがその場にうずくまる。あっという間に複数の魔法を使い分け、大量に魔力を消費したのだ。限界まで全力疾走し続けたのと同等の疲労がノアを襲う。呼吸が浅くしか出来なくなり、視界がかすむ。それでもノアは顔を上げるの生きる為。マヤと共に生き残るために。

 だが、その目は驚愕に見開かれる。既にそこに魔物の姿はなく、見喘げるような巨体を見失ったのだ。瞬時に察知して上を見上げる。



「飛んっ……!?」



 ノアが驚きに声を漏らす。魔物が床の拘束を無理やり壊し、飛来する炎を飛んで回避したのだ。そして魔物の着地点を理解したと同時にーー


 着地した魔物の巨体に耐えきれず、床が崩壊する。雄叫びを上げながら魔物が階下に落ちていく。瓦礫と共に、ノアを巻き込んで。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る