第11話
魔物、という存在がある。野生生物とは一線を画すもの。人獣問わず生物の大敵。体内に蓄積可能な量以上の魔力を取り込んでしまった結果暴走した生物ではないかという説が有力であり、あらゆる種族の姿で発見されてきた。総じて狂暴であることが特徴であり、自らの身体が傷ついても構わず破壊衝動のまま活動する。魔力によって肉体も強化されており、発見され次第討伐隊が結成される。
そんな魔物が遺跡の地下に現れた可能性がある。それならば、より正確で詳細な情報を集める必要が出てきたのだ。
そしてもう一つ。巨体過ぎて階段を上ってこれなかったのではないかという話について。これは魔物は外から入り込んだのではなく、遺跡内部で生まれた可能性だ。
こちらも原因の特定には未だ至っていないが、ある地点に空気中の魔力が溜まり続ける場所が生まれることがある。そのような場所を魔力溜まりと呼び、国や魔法研究所が厳重に管理している。発見した者には報奨金が送られる程に貴重であり、危険な場所だ。それが遺跡の地下に発生し、迷い込んだ野生の鹿が魔力を過剰摂取して魔物化したという可能性。
しかし、今までこの遺跡にはそのような魔力溜まりが発見されたことは無い。調査済みの場所で新たに魔力溜まりが発生した事例はノアもマヤも聞いたことが無かった。
マヤの提案にノアは頷き、荷物から遺跡の地図を取り出す。サンドイッチをほおばりながら、二人は調査範囲と速度、精度、及びルートの決定等の打合せを始める。訓練用に用意されたものとあって、既に二人とも入ったことのある遺跡ではあるが、魔物を調査するとなると退路を確実に確保するべきである。魔物は一匹だけなのか。他に危険は無いか。
調査についての話し合いも終わると、二人は遺跡の中へと足を踏み入れる。入口は人が入れる程度の大きさだが、入ってしまえば中は広大である。しかし入口の作りと上層、下層の広さを見て、この遺跡は地形の変動によって本来の入口が沈んでしまい上層が入口となってしまっているのではないかと考えられている。
天井までの高さは少なく見積もっても二十メートル以上はあるだろう、しかし劣化により天井の一部が欠けており所々から日の光が差し込んでいる。
横幅も十メートル以上はあるが、左右の壁一面に一定間隔で部屋が備え付けられている。扉のような仕切りは無く、一部屋でも二十、三十人以上は余裕でくつろげる広さだ。それがいくつも連なっている様を見て、専門家の説では遺跡そのものが大規模な商店街であり、部屋一つ一つに様々な店が入っていたのではないかという説が有力である。
天井の隙間から差し込む光で視界が確保されているので、用意していたランプを使う必要はなかった。部屋一つ一つを確認しながら二人は進む。そしてこの一階のもう一つの特徴が姿を現した。
通路の途中から始まる、地下一階との吹き抜けだ。地下一階も構造は一階とほぼ同一であり、通路に沿って吹き抜けが備え付けられていた。初めは床が抜けただけだという意見もあったが、転落防止用と思われる柵と手すりが用意されていたので十中八九吹き抜けだろう。
二人は足を止めて吹き抜けから地下一階を覗き込む。野生の動物が迷い込むこともあるが、視界には動くものは無い。しかし、耳をすませばわかる。遠く、下からうっすらと響く何かの声。手を添えていた手すりが微かに振動を伝えてきた。
ーー確かに、いる。
ノアとマヤは目線を合わせて頷きあい、止めていた足を動かす。まずは一階の確認を優先。地下はその後だ。
結果的には一階に問題は見られず、動物も特に入り込んでいなかった。それが確認出来た後は、壁沿いに折り返す形で備え付けられた階段で地下へ進む。地下一階も構造は一緒で、吹き抜けが無いくらいである。引き続き同様に調査を進める二人だが、ここでも特に魔物がいた形跡は見つからなかった。
「じゃあ、ここからは……」
「地下二階……だね」
ノアとマヤが二人並んで地下二階への階段を覗き込む。この階段は中断から折返す形をしている為、降りてみないと二階がどうなっているのかわからない。冒険者の訓練生や遺跡の管理者が来ない限りは人の手が入らず。陽の光も入らないことで暗く、カビ臭い匂いがふわりと流れてくる。
遺跡の入り口で出会った冒険者達がつけたままにしたのだろう、階段に一定間隔で備え付けられていたランプが起動したままになっていた。階段の横にランプと繋がっている装置があり、そこからランプを作動させる仕組みになっている。
ランプからは足元から階段の先まで十分に視認出来る光量が発されている。訓練用として極力人の手を加えないようにしているとはいえ、貴重な前時代文明の遺跡である。調査や現状維持の為に補強等人の手が加えられているのだ。
ノアとマヤが顔を見合わせて、頷く。壁越しに伝わる振動や遠くから響く声。この先に魔物がいるのは確実だ。外見の特徴や体型、種類、全長等を確認しないといけない以上、危険が伴っている。それは遺跡の前で瀕死になっていた冒険者がいた時点で二人共覚悟を決めていた。
かつん、かつんと二人の強化ブーツが床を叩く音が響く。折り返し先に辿り着いたマヤが階段の先を覗き込み、ノアは壁に手を添えながら跡を続く。
「……いた」
地下二階に降りた先に続く長い通路。地上階と同じく左右に一定間隔の部屋が連なるそれの先。大いに暴れたのだろう、壁が破壊されて部屋と部屋が繋がってしまっている場所もあれば、天井にいくつもの突き刺さったかのような跡があり、いくつもの破片が床に剥がれ落ちている。壁に繋がっていたはずのランプも壊されたらしく、視界も途中から暗闇に阻まれていた。
その暗闇の先に、何かがいる。姿は見えなくても鳴き声や振動は伝わる。かなり大暴れしているようだ。しかし階段からでは姿が見えない。もっと近づいて姿を確認しなくては。
ノアとマヤがゆっくりと階段を降りようと足を踏み出し――ノアの腰に差していた寄付の為に偶然持っていた戦闘用の棒が、ずれ落ちた。
「あっ!?」
「ちょっと!?」
思わず声を上げる二人。ノアが反射的に手を伸ばすも間に合わず、二人の声以上に大きく高い音がからんからんと響く。戦闘用に加工されたものの為、余計に甲高い音がフロアに鳴り響いた。
階段から転げ落ちる棒の音が収まったと同時に、静寂が辺りに漂う。通路の先から聞こえてきた騒音も消えており、ノアは自分のしでかしたことの重大さに唾を飲み込む。
「……後で説教だからね」
「本当、ごめんなさい」
内容は軽口のようだったが、声色は緊張に満ちていた。それに応えるかのように地響きが怒る。徐々に強くなるそれにつれ、通路の奥から鳴き声と破壊音が生まれる。
そして暗闇から元凶が姿を現した。外見は冒険者が言ったように巨大な鹿だ。しかし巨躯にも程がある。いくつもの枝に分かれたいびつな角が天井を削り、身体がぶれて壁に当たった場所を破壊しながらこちらに疾駆してくる。
叫びながら走るソレはよだれを垂らしながらノアとマヤへと目掛けて走る。特徴的なのは眼球だ。瞳と白目の区別がつかなくなる程に黒く染まっており、それこそが魔物である証拠だと言われている。
「上がれええええ!!」
ノアとマヤが身をひるがえして階段を走り登る。マヤが一足早く地下一階に上がり、それに続こうとしていたノアの足元が、轟音と共に破裂する。下から魔物の角が突き上げられ、階段を突き抜けたのだ。
「うわあああああ!?」
あまりの威力にノアの身体が舞い上がる。あまりの勢いにマヤを飛び越えてしまう程だったが、床に落ちた際に背負っていたリュックがそのままクッションになったことでノアに怪我が無かったのが幸いだった。
「ノア! 大丈夫!?」
「な、なんとか」
マヤが駆け寄ってノアの状態を確認し、問題ないことが確認出来てほっと息を吐く。後ろにあった階段は崩れ落ちており、魔物の叫び声が聞こえてくる。しかし巨躯と角を含めた全長を考えると、魔物となった影響で身体が大きくなり過ぎたのだろう。階段のある通路よりも大きかったことで魔物が上がってこれないことが幸いした。
「出てくるには身体が大きすぎる。討伐隊を結成する時間はあるかもしれない」
「うん。それじゃあすぐに帰ろう。外見の情報だけで大丈夫でしょ?」
「大丈夫。鹿が素体だって情報の裏付けが出来ただけで十分だよ」
「了解。帰ったら説教なの忘れないでね」
先に立ち上がったマヤに手を差し伸べられ、ノアがその手をつかんで引っ張り上げられながら立ち上がる。背中の荷物が気になったが、確認は遺跡を出てからで良いだろう。それよりも魔物の情報を持ち帰ることが先決と判断し、ノアとマヤは地上階への階段に向けて足を速めた。
「おい! そこのお前達。冒険者だな?」
後は帰るだけ。そう一安心して地上階に登った二人だったが、強い口調で呼び止められた時に強烈に嫌な予感がよぎったのだった。
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