第9話

 その日、ノアはいつもより遅く目が覚めた。前日は夕方に帰宅したにも関わらず睡魔に襲われて翌朝まで眠ってしまったのだ。二か月にわたって受けた魔法研究所での仕事が想定以上に忙しかったことが影響し、時には帰宅せず研究所で寝泊りする程である。夜通し実験を繰り返す日もあり、報酬は弾んだのだが帰って早々泥のように眠ってしまった。



「おはようノア。もう大丈夫なのか?」


「おはよう。ごはん食べられる? 食べられそうなら持ってくるわよ?」


「……おはよう。うん、大丈夫。自分で用意するから食べてて。あとサンドイッチありがとう」



 目が覚めて居間に向かうと、両親であるトレンツとマリアンがちょうど朝食をとっていた。深夜に一度目が覚めて、マリアンが気を聞かせて部屋に用意してくれていたサンドイッチを食べてまた眠りに就いたのだ。無茶な仕事をしたこともあって体調に不安があったが、問題なさそうで安心していた。



「今日はマヤちゃんと冒険に行くんでしょう? 昨日の今日で大丈夫?」


「大丈夫だよ。ぐっすり眠れたから体調は悪くないし」



 心配そうなマリアンにノアは答える。体調が悪くないのは事実だ。むしろ熟睡して普段以上に活力が沸いていると実感できている。それよりも今はそれと比例して食欲が強かった。



「ならいいんだけど……おじさんにはお母さんがしっかり言っておくからね」


「そんなこと……う、うん。お願いするね」



 マリアンの言葉を否定しようとするが、母の背後に不穏な空気を察してノアは言葉を詰まらせながら肯定した。そのまま台所へ向かい用意されている食事を食器に盛り付けて食卓へ持っていく。席に座って簡易ながらもしっかりと神への祈りを捧げてから食事をとる。一口一口食べていると、やはり力が湧いてくるような感覚があった。今日は調子が良い。



「ノア。今日の出発はいつになるんだ?」


「まだ決まってないよ。ただ遠出をするつもりはないから街周辺になるかと思う」


「そうか。今日は貴族の方が冒険者協会に来るから、もし会っても粗相のないようにな」


「貴族? ……もしかして職業体験って冒険者になったの?」



 驚きに目を丸くして思わず質問してしまうと、トレンツがこれからのことを考えたのか苦虫をかみつぶしたかのように顔をしかめながら頷いた。まさか危険が付きまとう冒険者が選ばれるとはノアも考えておらず、貴族側と冒険者協会側の両方で責任者が頭を抱えているだろうと感じてしまった。



「基本的には協会関係者が対応するが、もし貴族様と会うようなことがあったら粗相をしないようにな」



 トレンツに注意を促されるが、自分よりも豪快な性格をしているトレンツが粗相をしてしまいそうな気がすると考えてしまう。しかしそれは口には出さずに食事と共に飲み込んだ。そのまま食事を終わらせると、食器を片づけてから自室に戻って出発の準備を行う。

 部屋着から防具に着替え、何気なく自分の身体に目を向けた。身長が伸びて体格も大きくなってきた。同年代の傭兵や兵士、冒険者のような荒事に備える必要のある職業候補と比べれば未だ小柄ではあるが、それ以外の職業を目指す同性やマヤのように異性と比較すれば十分にたくましく成長した。サイズが合わなくなり想像以上に短い期間で防具を合わせなおさなければいけなかった時は、小柄だったことがコンプレックスだったノアにとっては嬉しいことだった半面、その度にお金が消えていくので素直に喜べないジレンマにやきもきしていたものだ。

 ふと、部屋の片隅に置かれている棒に目が向いた。棒術を学ぶことを決めた時に、それまでに貯めていたお金で買った初めての武器だ。手に取って振り、突き、払う動作を数度繰り返す。何年も使用していたものだが、戦闘用として丈夫に加工されていたこともあって問題なく使用出来る。初めての自分の武器ということもあって思い入れがあり、成長に伴って武器を新調した際にどうにも手放せずに持ち帰ってしまったのだ。



「……寄付するか」



 棒を手に取ってポツリと呟く。棒術は剣術をはじめとした戦闘技術の中では学ぶ人が少ない。刃が無く対人による捕縛術の側面が強いことで、野生動物と争うことの多い冒険者では活かしにくいのだ。そのような理由もあって備品である訓練用の棒は使われにくい。それにより消耗は少ないのだが補充されずに放置されてしまっていることも多く、使ってみたら経年劣化により壊れてしまうこともある。

 そんな事情はあるのだが、最近ではノアが棒術を学んで実力を伸ばしていることもあり、マヤを筆頭に対棒術の訓練を始める者も増え始めた。このまま部屋で埃をかぶってしまうよりも、まだ使われる可能性がある冒険者協会に寄付した方が作られた武器も報われるだろう。そう考えてノアは現在使用している棒と一緒に二本を背負って準備を終えた。



「あれ? 父さんはもう行ったの?」


「ええ。今日来る貴族様を迎えに行く役目みたいよ」


「母さんは?」


「今日はお休み。ミアちゃんによろしくね」



 部屋から出るとすでにトレンツが家から出ており、マリアンが台所で食器を洗っている姿だけがあった。手を拭きながらマリアンが台所から出てきて、食卓に置かれていた布に包まれた箱を持ってノアに渡す。ノアはそれが弁当箱だと理解出来たが、激しく動き回ることが多い冒険者の仕事をする時は保存食で済ましていた。もちろんノアは今日も保存食のつもりであり、それはマリアンも知っていると思っていた為、困ってついつい言葉をこぼす。



「今日は冒険で研究所じゃないよ?」


「いいから。家を出るまでは親に甘えておきなさい」


「わかった。うん、ありがとう」



 マリアンに弁当箱を押し付けられ、これは譲らないな、そう判断したノアは苦笑いをしながらそれを受け取った。

 玄関で見送るマリアンに手を振りながら家を出て、冒険者協会に向かって歩き出した。途中顔見知りの人達とすれ違って挨拶をしながら街中を歩き、冒険者協会に到着する。二か月ぶりの協会である。こんなにも間を空けたことは初めてで、皆がどんな顔をするか想像して思わず笑みが浮かんだ。まだ外にいるのに屋内からざわめきが聞こえる協会の扉に手をかけ、ゆっくりと扉を開けた。



「おはようございます」



 扉を開けた途端協会内が静まり返り、屋内にいる皆が一斉にこちらを向いた。数人程度ならよくあることだが、一度に注目を浴びてノアも思わず動きを止めた。驚かれることは想像していたが大勢から注目されるとは思わなかったので、浮かべていた笑みが引きつる。



「……あの?」


「おはようノア。依頼は受けておいたよ」


「ああマヤ、おはよう。良さげな依頼あったんだ」



 特に義務ではないが、冒険者は冒険に出る際にどこへ向かうかを協会に報告している。行先で何か不幸があった際に救援へ向かいやすくする為だ。行きたい場所に行くような依頼があればそれを受けながら向かい、用事をこなしつつ依頼を達成するのが冒険者の一般的な行動だった。



「いつもより騒がしいけど、なにかあったの?」


「これからあるみたい。貴族様が来るんだって」


「ああ、父さんも言ってたよ。父さんが何か失礼なことしなければいいけど」


「流石に大丈夫だよ……うん、多分」


「マヤちゃーん。お待たせ」



 マヤと雑談をしながら待っていると、受付からマヤを呼ぶミアの声が聞こえてきた。マヤと共に受付へ向かい、久しぶりに会うミアに会釈をする。



「あらノア君。おはよう、久しぶりね」


「おはようございますミアさん。元気そうでなによりです」


「ありがとう。それよりやせたんじゃない? 魔法研究所の仕事が激務だって聞いたけど大丈夫?」


「ええ、大丈夫です。今日は調子が良いくらいですよ。でも念の為軽めで済ませようってことで前からマヤとは決めてます」



 母のマリアンの後輩であり、冒険者として登録する前から知っているミアは、マヤはもちろんノアからしても姉のような存在である。マヤと同様に優しく気にかけてくれるミアにはお世話になっており、尊敬の念を込めて会話をしていた。



「ミア姉さん。話すのはいいけど早く鍵ちょうだいよ」



 そこにマヤが割って入ってくる。ここは受付でありノア達以外の冒険者も使う場所だ、長居をするとミアに迷惑がかかるだろう。ノアはそう判断したが、マヤに注意されたはずのミアが妙ににやにやとにやけながらマヤへと鍵を渡す。無表情で鍵を受け取るマヤが妙に刺々しい。



「うるさい」


「何も言ってないわよぉ」


「顔がうるさい」


「顔がうるさい!? ノア君のことになると相変わらず辛辣ね……」



 唖然とするミアを放ってマヤが受け取った鍵をノアに渡す。この鍵は番号が割り振られており、受けた依頼と紐づいている。これがそのまま冒険者が依頼を受けたという証拠になるのだ。剣を使い前衛に立って激しく動き回るマヤでは落としてしまう可能性がある為、ノアとマヤが組む際は基本的に後衛であるノアが貴重品を預かっている。



「マヤ、流石に失礼じゃ……」


「いいの。行ってきます、ミア姉さん」


「いってらっしゃい。二人とも気をつけて帰ってきてね」


「い、行ってきます。ちょっとマヤ引っ張らないで」



 マヤに引っ張られて無理やり連れていかれる。首をひねって強引にミアへと振り返って挨拶をして、バランスを崩しながらも来たばかりの冒険者協会を後にした。



「…………やっぱり唾付けておいた方が良かったかしら」


「ミアちゃん、ノアはまだ未成年だよ?」


「素直で、礼儀正しくて、将来有望な子がたまたま未成年だっただけよ!」


「お、俺も成人したばっかりで年下ですよ!」


「だから私は年下趣味ってわけじゃないの! あと女性に年齢の話をさせない! そこが駄目なのよあんた達、ノア君に学びなさいよ!!」


「それでも職場の同僚の子供に唾付けるのは駄目でしょ」



 協会を出た後、ミアとまだ協会に残っていた冒険者達でそんな会話があったことをノアとマヤは知る由もなかった。 


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