第7話
「ノア。ちょっといいかな?」
マヤとノアが世間話をしながら休憩をしている時、ノアを呼ぶ声が聞こえてきた。二人は声が聞こえてきた方向に顔を向けると、そこには杖を持った男女五人が立っていた。その杖を見て、マヤは彼らが魔法使いだと悟る。
剣などの武器以外で杖を選ぶ者の大半は魔法使いだ。魔法を飛ばす先に杖を向けて指向性を上げたり、魔力の操作を補助する役割を持たせたりするのだ。それは直接振り回して壊れてしまう頻度が高い武器には不向きなので杖を使用するのである。
では、現在ノアが魔法を使う際に杖を使っていないことがどういうことか。
「いいよ。どうしたの?」
「水弾の数を増やすとミスが目立っちゃってさ。ちょっとアドバイスが欲しくて」
「わかった。マヤちゃん、ちょっと行ってくるね」
ノアがマヤに断りを入れて立ち上がり、魔法使いの男女の元へ歩いていく。
道具を用いた指向性や魔力操作の補助。それを必要とせずに魔法を実践で使用出来るくらいに、ノアに魔法の才能があったのだ。ノア本人はあまり自分と他者を比較することをしないのであまり理解していないが、実際にノアと訓練を積んでいるマヤにはわかる。
ノアのように水弾を連射出来る魔法使いは大人を加えても少ない。ただ水弾を放つだけでも、続ければ続ける程に水弾の数、速度を維持し続けることが難しくなる。例えるならば、同じ絵を一定のペースで描き続けるものだ。そして当然ながら的が動いていたり自身が動きながらだと難度が跳ね上がる。
そもそも、魔法を攻撃手段に用いることが極めて難しいのだ。水弾を例として挙げると、水を生成する魔法、それを空中で維持する魔法、相手に飛ばす魔法、という工程ごとに魔法をかけ合わせて行う高等技術なのである。
それを高水準でやってのけるノアの存在は、冒険者だけではなく、カールを筆頭に魔法研究所の研究者も注目している。魔法の研究に理解があり、大人と同等以上の技術力を持つのだ。現在は冒険者協会での簡単な依頼の他、臨時でカールの助手としてアルバイトを行う機会も増えてきた。
二年前は頼りなかった幼馴染。そんな彼が大人からも一目置かれる程に強くなった。それはマヤも嬉しいことだ。しかしーー
悔しい。
それがマヤの心境だった。武器の変更で一緒に訓練をする機会が減った。両親を家庭教師にした勉強は続いているが、父のカールと二人で話している姿を遠くから眺める機会が増えた。
本当のノアはそんなじゃないのに。
幼い頃、赤ん坊の頃から一緒だったのだ。ノアの良いところも駄目なところも見てきている。自分が、ノアを一番知っている。そんな自負があった。
なのに、今では自分の知らないノアがいる。魔法を使う努力をしているのは知っていた。棒術を学んでいるのも知っていた。それなのに、今は訓練でノアに負け、他の誰かと自分がわからない会話をしている。
私は――
気づけばノアが自分から遠く離れたところにいる。そんな疎外感を感じてしまった時、知らずマヤは立ち上がり、ノアに何も言わず訓練場を後にしていた。
□■□■□
「マヤは、自分をノア君の保護者だと思ってたのね」
仲の良い冒険者協会受付嬢のミアにも挨拶出来ずふらふらと歩き、気が付けば家に帰っていた。母のソフィアが何も言わず迎えてくれるが、マヤは心ここにあらずといった具合で食卓に突っ伏した。
ソフィアがマヤに尋ねた時にマヤの口からノアの話を聞いて、ソフィアは納得したかのように答えた。
「……そんなことない」
「あるわよ。ノア君は正直、頼りないところがあったからねえ」
昔を思い出すような遠い目をするソフィアを、マヤはただじっと見いていた。自分でも否定しきれない言葉だった。何も言い返せない。
「そんなノア君が、いつの間にか皆に頼られるようになってて、置いていかれた、と……保護者じゃないっていうのなら」
そこで言葉を切って、ソフィアがマヤと視線を合わせる。しばらく二人は視線を合わせていたが、責められているかのようなそれにマヤは目を背けた。
「ノア君を下に見て、侮っていたわね」
「そんなこと!」
「ないって言いきれる?」
ソフィアの言葉にマヤは反射的に立ち上がって叫ぶ。しかし言葉が続かない。
自分はノアのことをどう思っていた? いじめられているところを助けたこともある。頼りないって思ったことなんて何度もあった。自分が守ってあげないとって考えたこともあった。
けど、見下していたことなんてない。ない、はずだ……自分のことなのに、断言できないことに困惑する。
「っ……お、お母さんだって頼りないって言ってたじゃない!?」
「思ってたわよ? 昔はね」
マヤの苦し紛れの言い訳に、ソフィアはあっさりと肯定した。その答えに声が出せないが、昔は、という言葉が妙にしっくりきた。
「あなたの憧れる、あの二等星トレンツの子供なのよ。弱いままなわけないじゃない」
お父さんは悔しがってたけどね、と軽口を加えて告げるソフィアに答えられないまま、マヤは再び椅子に座る。夢見る冒険者。憧れ、目標にしてる人。その人の子供だということをそんなに信用していいのだろうか。
「もちろんノア君はノア君。トレンツじゃない。でも、彼は成長したわ。とても強く」
ノアの成長はマヤ自身がよく知っている。隣で見てきた。ずっと一緒だったのだ。彼の努力は一番近くで見てきた。本人は隠しているようだったけど、時折悔し涙に濡れる姿も見てきたのだ。
その涙も、マヤ自身は泣いてるなんて情けないって思っていなかったか。思い直す程、過去の自分の言動に不安を覚える。自分は、彼を傷つけるようなことをしてきたのではないか。
「根底にある自分の感情なんて自分でもわからないものよ。悩みなさい。そして、もっと頼りなさい。男の子は頼られてなんぼなのよ」
頼る……ノアを頼る? 以前の彼だったならばありえないと笑って返したかもしれない。でも今の彼ならどうだろう? 彼の魔法は水弾だけじゃない、マヤよりも巧みに、いくつもの魔法を使いこなすことが出来る。対棒術の経験を積むにも良いし、自分の培ったものとは違う知識を持つ彼の言葉は貴重だ。
「時には周りにも目を向けなさい。先ばっかり見つづけてたら、ひとりぼっちになってることにも気づけないわよ」
そんなところはお父さんに似ちゃったわね、と。ソフィアが過去に思いを馳せるような遠い目を虚空へ向ける。
……なんだか、身体が熱い。顔が赤くなっていないだろうか。ソフィアに諭されてノアを意識し直してしまっている。組手でノアに善戦されてからだろうか、それとも魔法の技術力の差を理解してからだろうか、彼を訓練相手とする機会は以前より増えた。圧勝から徐々に辛勝することが増え、いつしか敗北してから無意識のうちにノアを頼っていたのだろうか。
自分は負けず嫌いだったのではなくて、単にノアを頼っていたのだろうか。
「さて、夕食の準備終わらせないとね。手伝ってくれる?」
「……うん」
ソフィアが話を切り上げて立ち上がる。冒険者は数日かけて遠征をする機会も多く、当然ながら野宿する機会も比例して多い。保存食もあるのだが、
そうなれば自炊が出来なければいけないということで、ノアはソフィアから少しずつ料理を教わっているのだ。
ノアがソフィアに続いて立ち上がろうとした時、来客を告げる玄関のベルが鳴った。台所へ向かうつもりだったソフィアがそのまま玄関に向かって扉を開けた。
「こんばんは」
「あら、ノア君。どうしたの?」
聞こえた声とソフィアの言葉を聞いて、先に台所へ向かおうとしたノアの足が止まる。来客がノアだと気づいた瞬間、心臓がどきりと鳴った気がした。
「訓練場でマヤちゃんと一緒にいたんですけど、気づいたらいなくなってたので、帰ってるかなって」
「ええ、もう帰ってるわよ。心配かけちゃってごめんなさい」
ノアとソフィアが話し込む。マヤとしては今ノアとは会いたくなかった。自分の心の整理が出来ていないし、しっかりとノアを意識したばかりだ。焦燥感もある上に、訓練中に黙って帰ってしまった罪悪感が混じりあってノアの思考がぐちゃぐちゃになる。
「あ、マヤちゃん。急にいなくなったからびっくりしたよ。ミアさんも心配してたよ? 大丈夫?」
名前を呼ばれた。どうしよう、なんて帰せばいい? ごめんなさい? 大丈夫? ああもう、なんでこんなことになっているのか。それもこれも全部ノアのせいだ。
ソフィアの横まで近づくが、直接ノアを見ることが出来ず、顔を伏せてしまう。
「……マヤちゃん?」
「ちゃん付けしないで」
「え?」
思考がまとまらないうちに口から言葉が出てくる。言い返したいわけじゃないのに、どうしてか強気な言葉が流れ出てしまう。
「私もう子供じゃないんだから、ちゃん付けで呼ばないで」
「え、あ、うん。じゃあ呼び捨てで……マヤ?」
「うん。それでいい」
「そう?」
そうだ、もうすぐ私達も成人なのだ。いつまでもちゃん付けなんておかしい。幼馴染なんだし、呼び捨てで呼び合うのが普通だ、私もノアを呼び捨てにしているんだから。
ああ考えがまとまらない。そうだ、ノアを頼るのではなかったか。いつも自然と組んでいたが、直接お願いするなんて初めてではないか。
「……ねえ、ノア。また訓練に付き合ってくれる?」
自分の声がずいぶんと小さく、しおらしく聞こえた。ちゃんと言えただろうか? しっかりと頼れただろうか? そもそもこれでいいのだろうか? 何が正解で何が不正解なのかもわからない。答えを求めて、顔を伏せながらも視線を上に上げて恐る恐るノアを見る。
「? もちろん」
何の疑いもなく了承するノアの声を聴いて、マヤはつい深く息を吐いた。最善かはわからなかったが、不正解ではなかったことでついつい安堵の溜息を吐いてしまったのだ。
「うん……ありがと」
「どういたしまして。それじゃあ、またね」
「バイバイ」
本当にマヤの安否を確認しに来ただけだったのだろう。ノアがすんなりと帰っていく。その背を手を振って見送ってから扉を閉めるてふと横を見ると、そこには目じりを下げ、手で口元を隠しているにもかかわらずわかりやすくにやにやしているソフィアがいた。
「うるさい!」
「何も言ってないわよ~」
「ごはん作るんでしょ!」
「きゃ、ちょっと引っ張らないの。痛い痛い!」
悲鳴を上げて抗議するソフィアを無視して、無理やり台所へ連れていく。
ああもう、なんでこんなことになったんだろう。
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