第5話

 マヤの実家でお昼ご飯を食べてから、ノアとマヤは冒険者協会ハダル支部を訪れていた。

 冒険者協会。その規模は大きいとは言えないが、決して無視することはできない組織である。各職業毎に協会が設立されている中、冒険者という職業は何を行うのか。傭兵協会のように誰かに雇われたり、危険な魔物や野生動物の討伐も行っているが、それは本業ではない。

 冒険者の仕事。それは世界の未知への調査である。この世界では人をも狙う狂暴な野生生物を始めとしたあらゆる外敵が跋扈していることも要因ではあるのだが、急速に発展する文化の中、人の手が届く領土はそれに不釣り合いな程狭い。脅威を退け、土地を広げ、人が住むことが出来るかを調査する。地域によっては、冒険者をそのまま開拓者と呼ぶところもあるという。

 その仕事柄、冒険者の得る情報は貴重なものが多く、内容によっては非常に高額で取引される。中には虚偽の情報が流れる場合もあることから、冒険者の持つ情報の収集や整理、信頼性を保つために設立されたのが冒険者協会である。

 付け加えると、そのような冒険者協会は街毎に施設を設けている。ここハダルの街に建てられた場所ということで、ハダル支部と名前に付け加えられている。

 さて、ノアとマヤが冒険者協会を訪れて行っていること。それはノアの父、トレンツを教官とした戦闘訓練だった。



「よぉーし! 今日も特訓を始めるぞ!」


「はい! お願いします!」


「お願いします」



 相変わらず声が大きいトレンツに負けじと大声で返事をするマヤと、普段通りの声量で返事をするノア。冒険者協会には複数名の教官が在籍しており、協会に登録した冒険者へと様々なノウハウの教育や戦闘訓練といった様々な内容の講習を開いている。

 ノアの父、トレンツも教官に就いており、教官になる前は冒険者として経験を積んでいる。トレンツが非番のタイミングで冒険者協会敷地内にある訓練場の一角を借り、ノアとマヤに訓練を施しているのだ。身内贔屓ではないかとの声も挙げられたらしいが、業務に支障をきたさないことを条件に許可を得ているようだ。



「マヤちゃんは止めが弱いな! 構えて、振り、止める。一つ一つの動作をしっかり反復するんだ!」


「はい!」


「ノアは迷うな! 迷いは剣筋に出る。そんなふらふらと振り下ろされる剣では擦り傷くらいしか付けられないぞ! 武器は最後まで振り抜け!」


「は、はい……」


「声が小さい!!」


「「はいっ!!」」



 ノアとマヤは子供用に小さく作られた訓練用の剣を使って、トレンツの掛け声と共に素振りを行っている。まだ体が成長しきっていない子供達だ、現在は簡単な反復訓練だけを行っている。



「いちっ! にっ! さん!」


「いち、にい! さんん!」



 掛け声に鋭さすら感じられるマヤとは対照的に、ノアは素振りを行うだけでもやっとだった。身長や体格がマヤよりも少々小さいノアに合わせてトレンツの訓練は組まれている。それをノアは察しているので戦闘訓練は嫌いだった。

 それだけではない。訓練場を見渡すと、そこにはノアやマヤと同年代の少年達が少なくない。冒険者という職業に夢を持つ少年達が講習を受けているのだ。そんな少年達と比較しても、ノアは弱い部類に入っている。

 一方、そんな彼らよりも強く、上の年代と比較しても遜色ない実力を持っているのがマヤだ。身体にも恵まれ、本人が夢中になって訓練を行う向上心がある。実力を伸ばすのは明白だった。茶髪が一般的な地方の中で煌々と輝く炎を思わせるカール譲りの赤髪、そして容姿も整っていることから同年代はもちろん、大人の冒険者からも非常に人気なのだ。

 家が隣り合わせ、互いの親が家庭教師であることもあり、ノアはそんなマヤと一緒にいることが多い。それ故に比較さればちでからかわれたり、マヤに近づかないようといじめられたこともある。そしてそれを救ってくれるのもマヤだった。

 ノアは、マヤに劣等感を感じている。女の子のマヤよりも弱く、マヤに守られているかのような……否、事実守られていることを恥じている。



「よし、今日の訓練は終わりだ! 二人ともお疲れ様!」


「ありがとうございました!」


「っい、あ、とう……ござい、ぁした……」



 さわやかな笑顔で答えるマヤとは裏腹に、息も絶え絶えで絞り出すようにかすれた声を出すノア。自分自身が情けない。様々な負の感情がぐるぐるとノアの思考を駆け回る。



「おじさん、私ミアさんのところに行ってくるね!」


「おう! お仕事の邪魔はしないようにな!」


「はーい!」



 マヤがトレンツに剣を手渡しながら伝えてくる。ミアとは冒険者協会の受付嬢であり、マヤとは年の離れた姉妹のように仲が良いらしい。マヤ自身もミアを姉のように慕っており、会うのが楽しみで仕方ないと言わんばかりに訓練場から駆け足で出て行った。

 ノアはそんなマヤを息を整えながら見送る。訓練が終わった後なのに走る余力があるマヤを見て、暗い感情がにじむ。



「悔しいか?」


「…………」



 トレンツが語りかけてくる。図星だったことも相まって情けなくなり声は出せないが、震えながらも頷くことでなんとか答える。



「今は耐えるんだ。耐える時間が長ければ長いほど、お前は強く成長できる」


「いつまで耐えればいいの?」



 トレンツの言葉にノアは反射的に問いだした。初めてのことにトレンツが少しばかり驚く。

 耐えろ。トレンツからそう言われたのは一度や二度ではない。言われる度に頷いて、にじり寄る後ろ向きな感情から歯を食いしばって耐えていた。

 もう既に毎日毎日、耐え続けていたのだ。マヤを見る度に想うのだ、どうしてマヤは自分が持っていないものを全て持っているのかと。同年代や大人達とも物怖じせずに交流を深め、授業では知りえないことを教わっている。訓練を受ける度にマヤとの差が浮き彫りになり、ノアを待つマヤの急かすような表情を見てこわばるのだ。

 マヤが成長していく様を見せつけられて、いつか振り向いてもらえずに一人置いて行かれてしまうのではないか、と。



「耐えてる間にも、マヤちゃんはもっと先に行っちゃう。耐えてれば、マヤちゃんに追いつけるの?」



 今の惨めな自分をどうにかして変えたい。だからノアは訓練を続けている。同年代の子供にからかわれたり、冒険者に笑われたり……ただただマヤに手を伸ばされているだけな今の自分を変える為に。

 もはや問いではなく慟哭だったノアの言葉。それにトレンツはたった一言、不思議そうに答えた。



「そんなに離れているのか?」



 父の言ったことがうまく理解できなかったノアは、傍らに立つトレンツを見上げる。トレンツと目が合うと、トレンツがにこりと歯をむき出しにして笑ってしゃがみ、ノアと視線の高さを合わせた。



「マヤちゃんのおじさんやおばさんから聞いてるぞ。ノア、お前はとても優れた生徒だってな。知ってるか? お前の質問を受けておじさんが飛び出していく時は、決まってお前の質問が魔法に新たな道を示した時だ。そこから答えを導き出し、おじさんはいろんな成果を上げたそうだ。お父さんはそんなお前のことを誇りに思うぞ」


「……」



 トレンツの言葉にノアは目を真ん丸に開いて驚いていた。貴族はもちろんのこと、平民に向けた学び舎は存在するが、入学するには高額な寄付金が必要とされており、ファリノス家やノルダール家は支払えずに入学を断念している。入学しない子供達の教育は親が行うので、ノアはマヤと、マヤはノアと比較するしかないのである。だからこそ、自分が優れていると評価されていることにノアは非常に驚いたのだ。



「生まれ持ったものはどうしようもない。ノアよりも強い子なんてマヤ以外にもいるだろう。でもな、お前はまだ十歳だ。これからどんどん大きくなる。マヤちゃんはもちろん、いつかはお父さんよりもでっかくな!」



 トレンツがノアの肩に両手を乗せ、強く語りかける。その言葉一つ一つが、ノアの身体に響く。ノアの思考は追いつけずに止まっているが、それは流水のようにノアの身体中を巡り、一言一言が染み渡っていく感覚を与えていた。



「だから、急ぐな。耐えて耐えて、一歩ずつ強くなれ」



 トレンツからノアに送る言葉。ノアの目を真っ直ぐに見つめ、言葉を違えないようにゆっくりと優しく、それでいて強い言葉。今はまだ理解できなくても、それはノアの心に深く深く刻み込まれた。



「汗をかきっぱなしだと体が冷えるぞ。中に入ろう」



 ぽんと優しく叩いてノアの肩から手を離し、トレンツが冒険者協会の建物へと歩き出した。ノアは動けずにトレンツの後ろ姿を見送っていると、建物に近づくにつれトレンツの周りに人が集まっていくのがわかった。 



「よう、こっぴどくやられてたなー」



 トレンツと入れ替わるようにノアに声をかけてきたのは、トレンツと同年代でありながら現役の冒険者であるベテランの一人だった。



「なあノア、親父さんが元冒険者だったってのは知ってるな。だったら親父さんの階級はど

こまでいったか知ってるか?」



 冒険者の問いに、ノアは首を振って否定する。冒険者協会に登録している冒険者には階級が与えられる。それは星の輝きを示す六等星から一等星までの六段階評価だ。全ての冒険者は六等星から始まり、星の輝きが増すように等級が上がっていく。等級を上げるにはそれ相応の実績と評価、信頼が必要となり、六等級から五等級に上がるだけでも困難であると言われている。

 それを話だけでは知っているノアに対し、冒険者はにやにやと笑みを浮かべて、もったいぶりながらも打ち明けた。



「親父さんな、現役最高は二等星だ。しかも一等星に届くと噂されるくらい有名だったんだぜ? 引退するには早すぎるんじゃないかって皆からは引き止められてたよ」



 二等星。しかも最高等級である一等星に届く程。ノアはその言葉に驚きはしたが、納得できた。父のトレンツは声も、体も、態度も大きい豪快な人で、母のマリアン以外にトレンツにかなう相手が思い浮かばない。自身の冒険譚を夢物語のように笑顔で語る様はまるで少年のような、そんな父親だった。

 皆から慕われている父の姿は、まるでヒーローのようだった。

 冒険者は道に迷った時、空を見る。居場所を見失った時は、夜空に光り輝く星を頼りに歩くのだ。そこから冒険者は星の光を等級にあらわした。星の光が導くように、冒険者という光が人々を導きますようにと願いを込めて。

 ノアはもう一度トレンツを見る。引退しても尚人々を集める父の大きな背中にノアは、全てを背負い、人々の導きとなる輝きを感じていた。

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