第3話
「ノア! マヤ! 今日はモール鉱山跡を冒険した話をするぞ!」
「はい!」
「うん」
子供達を祝福した日から五年の歳月が流れた。今はノアの家であるファリノス家の一室で、ノアの父であるトレンツがマヤにせかされて話をしていた。それは自身が現役の冒険者だった時に経験した冒険であり、ノアとマヤはそれを聞くのが好きだった。トレンツが語るそれは子供達にはおとぎ話のようだったが、語り手が実体験を語っている為にとてもリアリティのあり、ノアとマヤには好評だった。
レンガの壁にかけられた、トレンツが現役時代に実際に使用していたいくつもの武器。野生動物や植物の図鑑などが置かれている本棚。この地域一帯の大きな地図が広げられた机。子供達にとって、トレンツの自室に入ることこそが冒険のようだった。
今はトレンツの正面に小さな椅子を二つ並べ、そこにノアとマヤがちょこんと座る。トレンツ自身も椅子に座っているが、その巨体が動くたびに椅子が小さく悲鳴を上げている。
「……だが、ここで予想外のことが起きた! なんと坑道とほぼ同じ大きさの大蛇が現れたのだ! キシャァァァ!」
「きゃー!」
「っ!?」
トレンツの迫真の演技と突然の叫び声にマヤが騒いでノアに飛びつく。父親なのだから当然ではあるが、ノアは普段からトレンツと一緒にいる。トレンツの普段の大声や強い口調はマヤ以上に聞き慣れていたのだが、突然マヤが飛びついてきたことに驚かずにはいられなかった。
「……そこで俺が剣を構えて大蛇の大口へ飛び込み、口内から脳天を突き刺したのだ!」
「おじさんかっこいー!」
「マヤ、やめ……うっぷ」
トレンツ対大蛇の戦いに決着がついた時にはマヤの興奮は最高潮に達し、抱き着かれたノアが振り回されて限界を迎える寸前だった。
「はいはい。もうお昼ご飯の時間だからお話はそこまでにしてね。マヤちゃん、そろそろノアを離してねー」
「えー?」
「は、離してお願い……」
トレンツが話を締めくくろうとした時、ノアの母であるマリアンが盛り上がる三人に話しかける。
「マヤちゃん。今日はうちでお昼ご飯食べていく?」
「今日はお母さんがカレーライス作ってくれるの! だからおうちで食べる!」
マヤがマリアンの問いかけに元気に答える。よほど楽しみにしているのだろう、「カレーライスカレーライス」と小さく口ずさんでいる。
「ノア、ごはん食べたら家に来てよ! 今日はお父さんもいるよ!」
「今日おじさんいるの?」
マヤの誘いにノアは落ち着いて答えているが、普段は仕事で帰宅が遅いマヤの父……カールが日中に在宅しているのは珍しく、何か面白い話が聞けるかもしれない。そう思ったノアはそわそわしながら父と母の顔色をちらちらと探っている。
「いいわよ。おじさんとおばさんにちゃんとご挨拶しなさいね。あ、マヤちゃん! 良かったらこれ持って行ってお母さんに渡してあげて」
「はーい。これなあに?」
「お母さんに渡すまで内緒」
マヤに冷蔵庫から取り出した容器箱を渡しながらもノアに許可を出すマリアン。ノアは許可をもらえたことが嬉しくにやにやしていたが、そこを後ろからトレンツに頭を鷲掴みにされる。トレンツからすれば頭を撫でているのだが、その大きい手はノアの小さい頭をすっぽりと覆ってしまい、鷲掴みという表現がしっくりしているのだ。
「ノア。カールおじさんによろしくな」
「うん」
「カールおじさんはどんな話をしてくれるんだ?」
「えっとね、魔法がすごいっていうんだけど、どうして魔法がすごいのってお話」
「カールおじさんは魔法が大好きだからなあ。好きすぎて魔法を調べる仕事をしているくらいだからな」
ノアの話を聞いてトレンツが笑う。カールは研究者だ、五歳の子供相手に専門用語を使ってうんちくを並べるカールを思い浮かべてしまったのだ。
「ノア、ごはん食べたら絶対来てね! おじゃましました!」
「うん。あとでね」
「マヤちゃん、また遊びに来てね」
「次はもっと面白い話を聞かせてあげるからな!」
マヤがノアに手を振り、マリアンとトレンツに丁寧にお辞儀をして帰っていく。三人はそれを見送り、早速昼食にありつくのだった。
□■□■□
「……このように、魔力を間にはさむことで人は色々なことが出来るようになる」
時間は少しだけ進み、ここはマヤの家であるノルダール家の居間。マヤの父、カールがマヤとノアに向けて魔法について解説している。トレンツの冒険譚のように緊迫した出来事や痛快な内容ではない。しかしそれは魔法とは何か、という興味を持たせるには十分にわかりやすい話だった。
カールは職場である魔法研究所で研究を行っているが、自宅でも行えるように自室にそれなりの設備を設けている。それ以外にも薬品の入ったビーカーやフラスコ、実験材料や専門道具があちらこちらに置かれており、危険が伴うため子供たちは立ち入り禁止である。なので手軽で危険性のない道具を少しだけ持って居間で話をしているのである。
「しかしなぜ魔力という燃料を用いることで魔法を起こせるのだろうか、と人々は考えた。それだけではなく、なぜ人は魔力を持っていて、魔力を扱うことが出来るのか。魔力を扱う人の個人差……上手な人、下手な人がいるのはなぜなのか。いろいろな不思議が魔法や魔力には詰まっている。それを解き明かすのが研究者なんだ」
「はい、お父さん!」
「なんだい、マヤ?」
「よくわからない!」
きっぱりはっきりとした答えにカールは思わず笑ってしまう。そしてなんて言ったらいいものかと笑いながらも額に眉を寄せるのだった。
ノアの家でトレンツの話を聞いていた時のように、並べられた椅子に子供たちが座り、正面にカールがいる。違いというと、間にテーブルが置かれているぐらいである。
「……つまりね。魔法はいろんなことが出来るけど、そもそもなんで魔法がいろんなことが出来るのかわかっていないんだ。お父さんはその理由を調べているんだよ」
「いろんなことが出来るから魔法なんじゃないの?」
マヤが質問し、カールが答える。その繰り返しで話は進んでいく。ノアはそれを横から口をぽかんと開けながら聞いていた。カールの話を自分の中で咀嚼して理解する前にマヤが質問を繰り返すので理解が追い付いていないのである。
「ノア君はわかる?」
そこにマヤの母であるソフィアが横から問いかけてくる。カールと同じく、ソフィアも魔法の研究者だ。カールの助手を務めていたソフィアと結婚した形であるが、現在もその関係は変わっていない。
「……わからないから、わかりたい?」
「うん、そうだね。わからないなー、不思議だなーって思ったときに、わからないままじゃ嫌だ、わかりたい! って思った人達がおじさんやおばさん達なんだよ」
ノアににこりと笑顔を向けたソフィアは、カールの横に移動する。その手には食器を置くプレートと二つのコップを持っていた。コップのうち一つには水が入っている。
「マヤ。ノア君も。実際に体験してみようか」
そう言ってソフィアがテーブルの上に空のコップを置き、その上でプレートを縦に持つ。マヤとノアから見ればコップの上空にプレートによって見えない空間が出来ている形だ。
「今からコップに水を入れまーす」
ソフィアが水の入ったコップを強調させるように一度掲げ、プレートの裏側に持っていく。そしてテーブルに置かれたコップに水を入れた。
「ノア君。今どうやって水を入れたかわかったかな?」
「……コップの水を入れた?」
「はい、正解」
子供たちでもわかるよう、大げさに水の入ったコップを主張していたのだ。子供たちからはプレートによって見えない状況だったが、問題なく回答出来てノアがほっと胸をなでおろす。しかしこれがどういう意味なのか、子供たちは首をかしげていた。
「それじゃあ空になったコップを置いて、……はい、もう一度コップに水を入れまーす」
そう言ってソフィアが何も持っていない手を上に上げる。しかし今度は手を上げたままプレートの裏に隠さない。テーブルの上に水の入ったコップのと入っていないコップが並んでいるので、当然ながらコップに水は移動しない。しかしその時、プレートの裏から水が流れはじめ、コップに水を注ぎ始めた。てっきりもう一度コップの水を移し替えるのだと思っていた子供たちは驚きに目を丸くする。
「マヤ、今どうやって水を入れたかわかった? ちなみに、魔法は使ってないよー」
「え? 魔法じゃないの? うーんと、うーんと……わかんない!」
「ノア君は?」
「……わからない、です」
マヤとノア、二人の回答を聞いてソフィアがにこりと笑う。
「魔法っていうのはね、プレートの裏なの。どんなことが起こっているのかわからない。でも何かが起こって水を入れることが出来た。二人とも今何が起こったのかわからなかったように、大人の人も何が起こったのかわからないの」
ソフィアが一度言葉を切り、カールに視線を向ける。
「だからプレートの裏で何が起きたのかを調べているのがお父さんとお母さんみたいな人たち。ちなみに今のプレートの裏はこうなってまーす」
そういってソフィアがくるりとプレートを裏返す。するとプレートを持っている手にはもう一つコップが持たれていた。その中に水が入っており、そこから水を下のコップに注いでいたのだろう。種明かしをされた子供たちが「あー!」と大きな声を上げた。
「マヤ、ノア君。二人には魔法だけじゃなく、いろんなことにどうしてだろう、どうやっているんだろうといった疑問や興味を持ってもらいたい。この服はどうやって作っているんだろうとか、お母さんはどうやって料理をしているんだろうみたいなちょっとしたことでいい」
カールがマヤとノアに語りかける。それは教育でもあるが、願いでもあった。
「そして、そうやって気になったことを自分で調べて、解決してほしい。お父さんやお母さんのように研究者になれとは言わない。でも、興味を持って調べるということは、きっと二人の心を豊かにするから」
「ゆたかー?」
総括のつもりで話していたのだろうカールの言葉は、流石に五歳の二人には難しかったようだ。マヤはカールの言葉の端々でわからない言葉が出てきたころで理解できず、ノアも言葉通りにしか読み取れず意味を理解できていない。
「貴方」
「ああ、すまない。説教のつもりはないんだ。ただ」
「そうじゃないの。まったくもう」
ソフィアが溜息を吐き、カールが申し訳なさそうに説明しようとする。それを遮って、ソフィアは苦笑した。
「はい。魔法についてのお勉強はおしまい。ずーっとお話聞くだけだったから退屈だったでしょう? 公園までお散歩しようか」
「はーい!」
「うん」
ソフィアに誘われてマヤとノアが返事をする。椅子から降りて出かける準備をする二人の子供たちを見て、大人二人は未来を思い描かずにはいられなかった。
冒険者でなくても、研究者でなくても良い。只々、幸せであれば。トレンツとマリアンも同じことを祈っていることだろう。
……しかし、ここから二人は大人達の想像とはちょっと外れながら成長していった。
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