第2話

 さわやかにまどろむ朝、柔らかな日差しがその一室に差し込んでいた。少しだけ開かれた窓からやさしく入り込む風に、かけられたレースのカーテンがゆらゆらと揺れている。横に並ぶベッドが左右三つずつ並ぶ大きめの部屋。そのうち隣り合った二つのベッドで、二組の夫婦が語り合っていた。

 共通しているのは、男性が小さな木製の椅子をベッドのわきに置いて座っており、女性が二人ともベッドの上で横になって、上半身だけを起こしている。そして、二人の女性の腕にはタオルに包まれた乳幼児が抱きかかえられていた。


「どうだ、落ち着いたか?」


「ええ。はいはい、げっぷしましょうねー」


 大柄でがっしりとした体格の男性……トレンツ=ファリノスが声をかける。つい先ほどまで赤ん坊がお腹を空かせて泣いていたのだ。どうすればいいかわからずうろたえる巨漢の姿はどことなくコミカルで、問われた女性……マリアン=ファリノスは泣く赤ん坊を抱えながら笑っていた。搾乳を終えてはだけた衣服を整えて、両親と同じ明るい茶髪が目立つ赤ん坊の姿勢を直しながらとんとんと背中を叩く。



「ははは。さっきまではあんなにでっかい声で泣いてたのにな」


「お腹がすいてたのよ。しばらくはあなたも大変よ?」


「大変なもんか。俺と、お前の子だぞ? 全てが喜びさ」



 トレンツのストレートな表現にマリアンは頬を赤らめる。結婚する前も、結婚してからも、トレンツかマリアンへとかける言葉は情熱的だ。マリアンに一目惚れしたトレンツが猛アタックを繰り返し、マリアンが折れた時は周囲から拍手が送られた程だった。



「まあまあ、妬けちゃいますね、うちの人もあれくらい語ってくれたらいいのに」


「ソフィア……それはちょっと」



 そんな二人を尻目に、もう一つのベッドで笑顔を浮かべる女性……ソフィア=ノルダールが、自身の隣で座る細身の男性……カール=ノルダールをからかう。カールが自分の感情を表現するのが苦手であることを知っていて言っており、当のカールは困った顔を浮かべてた。ソフィアの抱く赤ん坊は茶髪のソフィアとは違い、カールと同じ赤毛である。生まれた赤ん坊が女の子だったこともあり、ソフィアの茶髪を継いでほしかったとカールは感じていた。



「もう、カールは恥ずかしがり過ぎなんですよ。貴方もそう思うわよねー」


「そうだぞカール! 魔法のことを語る時は俺以上に饒舌のくせに」



 ソフィアの腕に抱く赤ん坊に向けた言葉に便乗して、トレンツが大きな声で野次を入れる。少々大きすぎる声に赤ん坊が小さくうめき声をあげたことでマリアンがトレンツを小さく叱り、トレンツは頭を掻きながら苦笑いをした。

 そんな二人に優しい視線を送るソフィアだが、カールは対照的に深刻な顔をしていた。そのことに気づいたソフィアがカールに声をかけようとするが、それよりも早くカールがソフィアとソフィアの抱く赤ん坊の手を取って語りかける。



「……ソフィア。世界で一番愛している。君と子供の為に、僕は全てを捧げる。この気持ちは君に告げた時から変わってないよ」



 カールからの唐突な言葉に、ソフィアがぱちくりとまばたきをする。そしてその言葉の意味を理解した時、ソフィアは思わず吹き出してしまった。カールからソフィアへのプロポーズの言葉を改変して、新たに告げたのだ。笑うソフィアに困惑するカールだが、ひとしきり笑ったソフィアは満面の笑みを浮かべていた。



「もう、プロポーズの言葉を繰り返すなんて重すぎるわよ……私もよ。ううん、貴方は自分のことを顧みない悪い癖があるから、貴方以上に愛してあげるんだから」



 屈託のない笑みにカールは赤面して頬を掻くが、その目はソフィアからそらさず誠実に見つめていた。

 長くも短くも感じられる静寂。それを破ったのは、小さな小さな笑い声だった。赤ん坊が二人そろって笑いだしたのだ。あまりに良いタイミングだったので、つられて大人達も笑顔を作る。



「ねえ、子供の名前はもう決めたの?」



 マリアンがトレンツを、そしてカールとソフィアへ問いかける。それに待ってましたと言わんばかりに強くうなずいて答えたのはトレンツだった。



「もちろんだ! そっちはどうだカール?」


「当たり前だ。候補を挙げていたらソフィアに怒られたからな、ここ数か月は絞ることしかしていなかった」


「貴方、もしかして最近教授に怒られてたのそれが理由なの?」



 更に問われたカールの答えに思わず呆れた声をソフィアが上げる。それを尻目にトレンツがマリアンの腕で笑う赤ん坊を抱き、大きく上へ持ち上げる。高い高いと赤ん坊を見上げながら、トレンツが高らかに告げる。



「ノア! お前の名前はノア=ファリノスだ!」



 にっこりと笑うトレンツに、ノアと名付けられた赤ん坊は不思議そうな顔を浮かべる。その光景を見届けたカールが、トレンツに続くようにソフィアが抱く赤ん坊を受け取り、トレンツとは対照的にしっかりと確かめるように、大事に大事に抱きしめた。



「マヤ。マヤ=ノルダール。それが君の名前だ」



 そう告げて愛おしく微笑を浮かべるカール。すると答えるかのようにマヤと名付けられた赤ん坊が再び笑う。



「ノアに、マヤね。どことなく響きが似ているわね」


「確かに。もしかして二人で相談して決めたの?」


「まさか。自分で考えたに決まってるさ」



 マリアンとソフィアの言葉に、カールが不満そうに返す。実は彼の胸ポケットにはマヤの命名候補ノートが入っている。ほぼノート一冊丸々を名前と由来で埋めるほど悩み、決めたのだ。妻であるソフィア以外に相談するわけがない。

 ちなみに、トレンツは完全に直観である。



「そうだそうだ! まったく、お前とここまで腐れ縁だとは思わなかったぞ」


「それは僕の台詞だ」



 トレンツとカールが言い合い、人にらみして互いに笑い声をあげる。それにつられてマリアンとソフィアも笑い、部屋中が幸せに包まれた。

 大人達は願わずにはいられなかった。

 願わくば、新たな生命の限りない未来に、幸あれと。

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