ⅩⅨ
嵐の去った朝は、僅かに湿った匂いが残っているものの台風一過の何とやら、秋晴れというにふさわしい青空が広がっていた。
疲労の残る身体で学校へと向かえば、台風に奪われた準備時間を取り返すように大勢の人が忙しなく動いている。 生徒が派手なことをできない分自治体なんかが模擬店を並べるグラウンドでは急ピッチで設営が進み、金属の支柱がぶつかり合う音は脳に響き欠伸を促した。
僕の教室も例外ではなく時間ギリギリまで装飾を増やしていると、伊月先生が入ってきて簡単にホームルームをする。
窓の向こうでは清々しい青空が広がっているのに、今日もソラは来ていない。
あの後ソラと共に高柳さんの車に乗り込んだ僕は、一人で帰す訳にはいかないと言う高柳さんの言葉に甘えて家まで送って貰った。僕の家に着くまでの車中は終始無言で、時折高柳さんが道を確認する声以外にはワイパーが視界の悪いフロントガラスを頻りに往復する音だけが鳴り続けていた。そこからの記憶はあまり残っていない。疲労困憊の身体を引き摺ってやっと家に入ったと思えば現れたのは怒り顔の母親で、長い間何か説教じみたことを言われた気がするが、既に思考の半分位がおやすみモードに入っていた僕には、言葉を断片的に理解して壊れたロボットのようにはいとごめんなさいを繰り返すことしかできなかった。
校内放送で文化祭の開始が告げられ生徒達が思い思いの場所に散っていくと、地味な展示物しか置かれていない教室は途端に静かになる。特に行く宛もないのでクラスの展示物を眺めていると、すぐ近くに僕の選んだ本が置いてあった。シリーズものの冒険小説で、一編が比較的短いのでかなり読みやすい。ソラのアドバイスを元に無難なやつを、と探したものだった。ジャンル別に陳列された本を眺めていくのは、本屋を物色している時のような気分で意外と楽しかった。ミステリー小説が並べられた場所に修也の名前をみつけて、あまりにも顔に似合わない気がして思わず笑ってしまう。ぐるりと1周回ったかという頃に漸くみつけたソラの名前は、恋愛小説の並ぶブースにあった。横に置かれた本を手に取ってみれば、知名度こそあまりないものの、偶に本屋で推されているのを見たことがある作家のもので、確かに女子ウケが良さそうだと思った。
それから疲労を訴える身体に従いバックヤードの荷物に隠れて少し寝ようと思った僕が意識を取り戻したのは昼も過ぎた頃で、文化祭の初日はあっという間に暮れていった。
「急げ優太!」
文化祭2日目、体育館に向かって一目散に走る修也のスピードについていけない僕は転ばないように足を動かすのに必死で、修也に引っ張られる腕は悲鳴を上げていた。
「そんなに、急ぐ必要、なかっただろ」
無事に最前列中央の席を確保した修也は息一つ乱しておらず、痛む肺を抑えて酸素を求める僕とは対照的に満足気な表情を浮かべる。まだ僕達以外にはステージの準備をする係位しか体育館を見渡して、今の拷問じみたダッシュは何だったんだと不満が募る。
「だって、余裕こいて席取られたらめちゃくちゃかっこ悪ぃだろ」
五十嵐に最前センターで見ると宣言してしまったらしい修也に、どうしようもないなと溜め息が漏れる。せめて僕を巻き込まないでくれ。
漸く息が整ってきた頃になってゾロゾロと集まってきた人達が周囲の席を埋めていく。
後方にできた人集りをきょろきょろと見渡し、今日は学校に来ている筈のソラの姿を探してみるも人混みの中にその姿を探すのは困難だった。今日のソラは、二日前の姿はまるで幻だったかのようにけろりとした顔でホームルームの時間ギリギリに教室に現れていたが、ホームルームが終わった瞬間に修也に引っ張られてしまった僕は、未だ挨拶を交わすことすらできずにいる。とりあえず元気そうなのでよかったが、なんとなく心が落ち着かずこのステージが終わったら探そうと思っていた。
照明が落ち、舞台の幕が上がるとまだ始まってもいないのに座席から壇上のメンバーの名を叫ぶ声が飛び交う。その光景に圧倒されていれば、両サイドに設置されたスピーカーからアップテンポの曲が流れ出し、パフォーマンスが始まった。壇上で複雑なフォーメーションを組むのは所謂キラキラ女子と呼ばれている面子で、その中でも引けを取っていない五十嵐はやっぱり違う世界の人間だなとしみじみ思った。修也も違う世界の人間なのでお似合いである。
体育祭の時の応援合戦とは比にならないような激しい振り付けが続き、僕にはまるでよく分からない動きが展開されていくステージを殆ど上の空で見つめていれば、いつの間にかダンス部の発表は終わっていて集まった人達もゾロゾロと入れ替わっていく所だった。
「修也!」
ステージを降りたばかりの五十嵐が修也をみつけて駆け寄ってくる。
「唯!めっちゃよかった!感動した!」
「大袈裟だなぁ、ありがと。佐川くんも、来てくれてありがと」
「ああ、じゃあ、僕は行くよ」
五十嵐を褒め続ける修也と照れたように笑って応える五十嵐は完全にカップルの空気を醸し出しており、一刻も早くその空気から逃れたくなった僕はそれだけ言い残して体育館を出る。昨日と同じく回る所なんて考えていなかったが、とりあえずソラを探してみようと古板がカタカタと音を立てる渡り廊下に足を踏み出した。
全て回ればどこかで鉢合わせるだろうと思いながら校内をうろつき始めて早3時間、未だソラを見つけることは出来ずに自分の考えの甘さを思い知った。展示の連なる他クラスの教室にも、自治体のテントが並ぶグラウンドにも、休憩所として開放された会議室にもソラはいなかった。気づけば文化祭終了まであと2時間を切っていて、遅くともホームルームでは会うことになるのだからと諦めて残りの時間は自分の教室で過ごすことにした。人気のないらしい展示教室には相変わらず誰もいないようで、エアコンの稼働音だけが静かに響いている。
今日もバックヤードにお世話になろうと衝立の裏に周り込めば、隅の壁に背を預けて座る先客の姿に驚いた。
「あ、優太」
さっきまで探し続けていたソラの姿に、なんだか身体中の空気が抜けていくような心地がした。
「ずっとここに居たのか?」
「ううん、一通り見て、さっき来たとこ」
少し横にずれたソラの隣に座れば、教室には再び静寂が訪れる。ずっと探していた筈なのに、いざ会ってみればどうすればいいのか分からない。
「あの後ね、パパと色々話したんだ」
先に沈黙を破ったのはソラだった。
「ママのこと、何があったのか、とか...もっと早くそうするべきだったんだって思った。それからね、昔の話とかも沢山して、ママの思い出とか話してたらなんか、楽しいことばっかりで、私色々忘れちゃってたんだなぁって、馬鹿だったなぁって...答えのないことでずっと悩んで、大切なもの全部台無しにしちゃうとこだったよ。ありがとう、優太」
静かな声でそう語ったソラは、今までに見たこともないような穏やかな笑顔を見せた。
「僕は何もしてないよ」
「ううん、嬉しかった、優太が来てくれて。だからはい、これあげる」
差し出されたのは灰色の厚紙でできた栞で、青いリボンが通されたそれにはタンポポの押し花がラミネートされていた。
「図書委員が出し物で栞作りやっててね、ほら、優太がポンチョのことタンポポみたいって言ってたの思い出して、お礼、って言うにはチープかもしれないけど、あげる」
「そんなのあったのか、ありがと、貰っとくよ」
僕が使うには可愛すぎる気がするけど、と付け足して受け取れば、吹き出したソラにちょっと面白いからちゃんと使ってねと念を押された。なんだか使ってはいけない気がする。
「あ、因みになんだけどさ。来週の水曜日、暇じゃない?着いてきて欲しいとこがあるんだけど...」
一頻り笑い終えたらしいソラが思い出したように言った。
「学校がある」
「わかってるって、放課後だよ放課後」
頻繁に休みを作り出すソラのことだからついに平日に授業を受けるという感覚を失ってしまったのかと疑いの目を向ければ、流石にそうではなかったらしい。
「特に予定はない、けど、どこ行くんだ?」
「それは行ってからのお楽しみってことで、じゃあ水曜の放課後、忘れないでね」
そう言って口元で人差し指を立てて悪戯っぽく笑うと、ソラは立ち上がって帰り支度を始める。時計を見ればもう文化祭の終わりが近づいていて、衝立の向こう側からはホームルームの為にぱらぱらと帰って来たクラスメイトたちの話し声が聞こえてきた。
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