ⅩⅧ
遠くの空が眩しく光り、数秒遅れて雷が地を穿つ音が響いてくる。前髪はぴったりと額に張り付き、顔面に流れる水が時折目に入り視界が霞む。足元で上がる飛沫を吸い上げたスラックスは膝まで張り付いていたが、今はそんなことに気を回している余裕はない。
思いついたその場所にソラがいる確証はないし、場所も道順も覚えていないそこまで辿り着けるかは賭けだった。それでも、断片的な景色の記憶だけを頼りにただ足を動かす。
もうどれくらい走っているのかも分からなくて、同じ場所をぐるぐると回っているような気さえしてきた。視界の悪い道に足を出すスピードも徐々に遅くなって来た頃、ようやっと見覚えのある公園が視界に映る。着いた。庭園のようだった花壇には、誰が管理しているのか大きなビニールシートが被せられ、その下にいるのだろう草花を雨風から守っている。息も絶え絶えその敷地に踏み込むと、ブランコがあるはずの場所に街灯の光を受けてぼんやりと浮かぶ黄色い影が見えた。
「っソラ!」
掠れた声でそう叫ぶも、雨の音に遮られて届かなかったのか、黄色い影が動くことはない。正体を確認するように駆け寄っていけばそこにいたのは確かにいつも通りに黄色いポンチョを纏ったソラで、だけどいつもと違って頭にはフードが被っておらず、ぐっしょりと濡れた長い黒髪が俯く顔を隠していた。
「ソラ!」
近くまで寄ってもも気づかないソラの肩を掴むようにすれば、ようやくその顔がこちらへと向けられる。
こんな日に何をやってるんだと、危ないじゃないかと言いたかったのに、言うつもりだったのに、痛みに耐えるようなその表情を前にして、僕は何も言えなくなってしまった。
「優太...」
絞り出すように紡がれたソラの声は震えていて、絶えず顎を伝う滴は雨の所為だけではないのだろう。
かける言葉の見つからないまま、ソラの腕を引いて公園の端にあった東屋まで連れてくる。激しく吹き込む雨風を凌げるわけではなかったが、それでもブランコに座っているよりはマシだと思った。
「ソラのお父さん、心配してたぞ」
俯くソラにそう伝えれば、耳を澄まさなければ雨の音に掻き消されてしまうような小さな声で、ごめん、と呟くのが聞こえてきた。
高柳さんに位置情報を送るとすぐに既読がついて、ソラを見つけた安心からかへたり込みそうになる足に必死に力を入れた。
ソラは相変わらず俯いたままで、ビニールシートのはためく音や雨が地面を叩く音が空気を騒がせているのとは裏腹に、小さな東屋の中には沈黙が流れる。
「何が、あったんだよ」
膜を張ったような沈黙に、先に小さな穴を開けたのは僕で、そんなことを聞くなんて僕らしくないと思った。だけど、今日は既に僕らしくないことばかり冒していて、らしくないついでにもう一つくらい僕らしくないことを重ねてしまってもいいと思った。ソラが雨の中で苦しんでいるのが一種の自傷行為のように見えて、踏み込むべきでないと思っていた場所に、踏み込まなければいけない気がした。
「私、ね」
再び暫くの沈黙が訪れた後、漸くソラの口から小さな音が紡がれる。
「喧嘩してたんだ、ママと...ううん、喧嘩ですらない、全部、私が悪いんだ...ママにね、もしママが死んじゃったら、って、言われて...それで...っ、酷いこと、言ったの...」
細く震えた声で嗚咽混じりに吐露するその姿は、痛々しさすら感じさせる。
「私、寂しかったんだ...っだから、なんでそんなこと言うのって、死んじゃってもいいのって、そのまま病院飛び出して...、1番辛いのは、ママだって、分かってたのに.........帰ってからね、明日謝ろうって、思ったの...なのに、なんて言えばいいのか分からなくて、公園で、考えてたの...っ、そしたら電話がきて、危篤だって、言われて、頭真っ白になって...私...っ、謝れなかった...最後だったのに......っあんなこと言って、私なんか、いない方がよかったんだ...っ......」
顔を上げたソラの瞳には水の膜が張っていて、雨と涙と鼻水とでぐしゃぐしゃになった顔には悲痛が滲む。ソラの後悔と、ソラが雨の日に公園にいた理由、全てがやっと繋がったような気がした。ソラはきっと、一人でその日から進めなくなっていたのだろう。
「それは、違うよ」
自分でも驚くほど優しい声が出た。それでも、自分を責め続け、傷つけ続けるソラに言わずにはいられなかった。
「ソラのお父さんから聞いたんだ、ソラが一人で毎日お見舞いに行ってたって。ソラだって心細くなかった筈がないんだ。それに、ソラのお母さんだって、ソラに支えられてた部分もあったんじゃないかな」
「でも...っ優太は、何も知らないからそう言うんだよ...」
「うん、僕は聞いたことしか知らないし、ソラのお母さんの気持ちも、ソラの気持ちも、本当のことは何も分からない。だから、外側から見た僕の考えを言うことしか出来ない。ソラのことを許せるのは、ソラだけだよ」
そう伝えれば、涙を湛えたソラの大きな瞳が見開かれ、やがて大粒の滴がびしょ濡れの頬を伝ってぼろりと落ちた。
そこに雨を割くようなクラクションの音が響き、音のした方を見れば公園の入口の方に青い車が停まっていた。
「ソラ!佐川くん!とりあえず乗って!」
東屋から出ると、運転席の窓から顔を出した高柳さんが声を張る。
「お迎えみたいだ、帰ろう」
未だ動かずにいるソラの手を引いて高柳さんの方へと向かう。いつも以上に小さく見えるソラは手を離せば嵐の中に消えてしまいそうで、繋いだ手にぎゅっと力を込めた。
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