ⅩⅦ

教室内の机の配置だの装飾だの、折角だから廊下も飾り付けたいだの何だかんだと慌ただしく日々を過ごしているうちに、気がつけば文化祭前日準備の日を迎えていた。

今日は朝から不穏な空気が漂っていて、天気予報では夜に台風が直撃するだなんて言われている。予報によると夜の内には通過してしまうので文化祭の開催には影響ないはずだが、思わぬ台風の襲来に校舎の外を装飾する係なんかは大わらわだ。

まだ雨こそ降り出していないものの、生温い風が吹き荒れている様子は正に嵐の前の静けさという感じだった。台風が接近している所為なのか、文化祭前日だというのにソラは学校に来ていなくて、最近の空元気の件もあって少し心配になった。

ホームルームを終えると教室の机を1度全部寄せて衝立を運び込み、文化祭中の不要なものを隠すためのバックヤードを作る。見慣れた教室が姿を変えていく様はなんだかちょっとわくわくした。

部活や委員の活動がある生徒はそっちを優先することになっているため、教室で作業を行えるのはクラスメイトの半分程で、展示用の机を組んでいくのも一苦労だ。

お昼を迎える前にはなんとか形が出来上がり、あとは本と紹介文を並べるだけ、という所に突然校内放送を告げるチャイムが響く。

『台風接近のため、本日の最終下校時刻を1時とします。生徒の皆さんは1時までに速やかに下校して下さい』

まじか、と漏れた声は教室内のどよめきの中に溶けた。繰り返される放送の中、気付けば窓の外では雨が降り出していて、まだ昼前だと言うのに、黒い雨雲に覆われた空は一切の光を遮断しているかのようだった。

そこからは昼食もとらずに急ピッチで残りの作業を進め、物足りない部分は明日の朝に仕上げようということで伊月先生に追い立てられるようにして教室から出された。

昇降口は同じように教室から追い出されたのだろう生徒達で大渋滞していて、湿った空気の独特の匂いが鼻をついた。レインコートを着て外に出ると思っていたよりも風が強く、抑えていないとフードを取られてしまう。

一抹の不安を覚えて、学校付近の公園をいくつか覗いてはみたが、やっぱりソラはいなくて、こんな嵐の中じゃ流石に外に出たりしないよな、なんて不安になっていた自分を少しおかしく思った。

家に着くとどっと疲れが押し寄せてきたような感じがして、レインコートを風呂場に干すと、自室に直行する。ベッドに寝転がり冷えた布団に沈み込むと、無機質な天井が視界を占めた。そんなことはないだろうと思考で訴えても、何故か小さな不安が心の中から消えてくれない。それどころか窓ガラスを叩く雨の音が激しくなるに連れてどんどん肥大していっているようにさえ思える。

ぐるぐると巡る思考の中で時間だけが過ぎていき、いっそ連絡してみようとトーク画面を開くも、送信する言葉が思いつかなかった。呆然と画面を見つめていると、最後最後に送信されたログは9月で、日記代わりにでもされているのではないかと思うような他愛もないメッセージもここ1ヶ月程は届いていなかった。それは丁度ソラの様子がおかしくなり始めた頃とリンクしていて、妙な胸騒ぎを覚える。

そう思った時、見つめていたはずのトーク画面がぱっと切り替わり、断続する振動と共に表示された着信画面に、跳ねるように身体を起こして息を呑む。高柳空、着信元を示す文字が受話を急かすように震える。ソラから着信が来るなんて初めてのことで、誤操作かとも思ったが数秒待っても画面が消える気配はなく、恐る恐る受話のマークをフリックしてスマホを耳にあてた。

「もしもし」

『もしもし、佐川くんかい?』

「え...あ、はい、高柳さん...?」

スマホから聞こえてきた声はソラのものではなく高柳さんで、なんだか少し嫌な予感がした。

『突然ごめんね。その、もしかして空と一緒だったりしないかな?』

「今日は会ってません、けど、何かあったんですか?」

焦りの滲んだ高柳さんの声色に鼓動が早くなる。

『それが、スマホも持たずに出かけたみたいでまだ帰ってないんだ。まだ遅い時間ではないけれど台風が来てるから少し心配になってね。仕事も早上がりになったくらいだし...少し探してみるよ、ありがとう』

指先から血の気が引くような心地がした。この嵐の中でも、やっぱりソラは何処かで雨にあたっていたのだ。一際強く吹いた風が窓枠を揺らす音がやけに大きく聞こえて、通話が終了されようとするスマホに向かって僕は思わず叫んでいた。

「僕も探します...!」

『いや、危ないから佐川くんは外に出ない方がいい。見つかったら連絡するから、待ってて欲しい』

高柳さんはきっぱりとそう言い切るが、ざわりと嫌な予感に蝕まれている心がそれを受け入れることを許さなかった。

「近場を少し見るだけなので大丈夫です。危ないことはしません。だから、探させてください」

そう言い返せば数秒間の沈黙が流れた。いつもの僕ならこんなこと絶対に言い出さなかっただろう。自分の行動に1番驚いているのは、僕なのだ。大きく脈打つ心臓が秒針のように時間の経過を伝え、やがてスマホの向こう側で高柳さんが漸く口を開いた。

「わかった、でもくれぐれも無理はしないでくれ」

高柳さんの連絡先を貰うと、つい数時間前に干したばかりのレインコートを羽織る。未だ水の滴るそれは酷く重く感じられたが、フードを絞る紐を顎の下で固く結ぶと、母親の制止の声にも聞こえないふりをして外へと飛び出した。

風はさっきよりも数倍強くなっていて、激しく落ちる雨は痛い程に顔面を叩く。絶えず水の流れるアスファルトを蹴って、ばしゃばしゃと飛沫を上げるのも厭わず走った。

今までにソラと会った公園を虱潰しに駆け抜け、下校途中に見た場所も念の為確認したが、やっぱりソラの姿が見つかることはなかった。

気がつけば駅の方まで来ていて、最後の宛としていた広大な公園にもソラは居なかった。わかる公園は全て回ってしまったが、まだ高柳さんからの連絡は来ていない。

限界を超えて痛む肺を抑えながら膝に手をつき、まだ何処かなかったかと必死に思考を巡らせる。握手を交わした公園も、小さな家のある公園も、花火を見た公園も回った。あとは、何か...。その時、脳裏に色とりどりの花がぼんやりと浮かび上がった。あった。あと、一つだけ。

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