ⅩⅤ

 長い夏休みが明け、ついに新学期がやってきた。9月といっても秋と呼ぶにはまだ暑すぎて、下を向けば最期を迎える蝉を見ない日はなかった。

 宿題の提出も一通り終わり、夏休みボケした体もようやっと毎日の登校に慣れ始めた頃、学校では10月末に行われる文化祭に向けた準備が始まった。文化祭といってもドラマや映画で見るような模擬店が立ち並ぶ華やかなものとは程遠く、文化部の活動発表のようなものが主で、クラス単位で行うことが許される出し物なんて研究発表か演劇くらいである。運動部の生徒や僕のような帰宅部の生徒会役員共にとっては面白みに欠けるが、中学生の文化祭なんてそんなものだろうと思う。

 僕達のクラスでは各自で選んだ本を紹介する読書感想文のようなものを展示することが決まっていて、地味ではあるが演劇で人前に立つなんてことだけは避けたかった僕には大分ありがたい。

 そんな訳で文化祭準備に充てられたLHRの時間は、各自で図書室で本を探したり、決めた本を読んだり、紹介文を考えたりすることになる。つまりはサボろうと思えばサボり放題の自由時間だ。騒いだりさえしなければ咎められることも無く、斜め前の席に座る修也なんかは放課後の部活に向けた充電とばかりに爆睡している。伊月先生も教室には居るものの、我関せずといった感じで課題の採点に取り組んでいるため実質無法地帯である。文化祭まではまだ1ヶ月以上もあるし、かく言う僕もまだ本腰を入れる気にはなれなかった。趣味として本に没頭するのは好きだが、それに対して感想を書いたり課題を課されたりするのは苦手なのだ。

 ゆっくりとした時間が流れる教室で、少し離れた席に目を向ければ、相変わらずの涼しい顔をしたソラが文庫本のページを捲っている。新学期になっても、ソラとは変わらず挨拶を交わす程度の関係が続いていた。1つ変わったことがあるとすれば、もう隣の席ではないという事だ。始業式の日に誰かが言った席替えしたいの一言にクラス中が便乗し、その日のうちに教室の席順は一変した。僕の席はあまり動かなかったが、ソラの席は廊下側の方に大きく移動し、代わりに修也の席が近くにやってきた。

 必然的に言葉を交わすことも一学期に比べると少なくなったと思う。雨が続くこともないので最近はわざわざ届け物をする必要もなく、思えば新学期が始まってからは公園で会ったのも1度だけだな、なんてぼんやりと思った。

 手元の活字が歪み始め、瞼が重くなり始めた頃にようやっと終了を告げるチャイムが響き、伊月先生から解散が告げられる。本を閉じてから一つ伸びをして、未だ夢の中にいる修也を揺すって起こす。帰り支度をしながら教室をミ渡せば既にソラの姿はなくて、速いな、なんて思いながら僕も帰路についた。


 なんとはなしに日々を送っていると、気がつけば9月も終盤に差し掛かっていて、そろそろ中間試験だななんて思う。

 今日は久しぶりに雨が降っていて、ソラの席は当たり前のように無人だった。放課後を迎えて校舎を出ると、バッグに忍ばせていたビニール袋からいつかのレインコートを取り出す。最近は傘を差すよりもレインコートを着ることの方が多くなっていた。特に遠回りをして帰ろうと思った日は決まってレインコートを選んでいる。

 体を叩く雨を感じながらいくつかの公園を見つつ歩いていると、すっかり見慣れたブランコに乗る黄色い塊が目に入る。

「ソラ」

「お、優太。おはよ」

 近づいて声をかければ、僕に気づいたソラがよっと手を上げる。

「おはよ」

 おはようの時間ではないけれど、と思いながら隣のブランコに座る。頭上で金属の擦れ合う音を鳴らす無機質なブランコが、お尻にひんやりとしたその温度を伝えてきた。

「...もう放課後?」

「じゃなきゃ来てるはずないだろ」

 不思議なことでも起こったかのように問うソラに皮肉を込めてそう返せば、そっかと小さく呟く。その声はいつもより少しだけ覇気がないように感じられた。

「文化祭の本、もう決めたか?」

 静かな雨が振り続ける中、話題を探して声をかけてみたが、2秒、3秒と待っても返事が帰ってくる気配がない。不審にに思って隣を見れば、フードの陰から見えるソラは心ここに在らずといった様子で虚空を見つめている。

「ソラ?」

「っ...ごめん、なんか言った?」

 驚いたように肩を跳ねさせたソラがポンチョの上に溜まっていた水滴を飛ばしながら振り向く。

「いや、文化祭の本決めたかなって...体調でも悪いのか?」

「ううん、ちょっとぼーっとしてただけ!あ、本ね!うん、決めたよ」

「大丈夫か?帰った方がいいんじゃ...」

「大丈夫だって!優太こそちゃんと準備進んでる?」

 少し空元気のようにも思えたが大丈夫だと言い張るソラに、今はとりあえず置いておくことにした。

「全然。まだ何にするか決めてもないよ」

「へえ、意外。いつも本読んでるし、もう終わったってドヤられるのかと思った」

「どんなキャラだよ。趣味で読むのと課題で読まされるのはなんか、別だろ。全然やる気でなくてさ。ソラは何にしたんだ?」

「うーん...秘密」

 悪戯っぽく笑ったソラがそう言って人差し指を口の前で立てる。

「どうせ当日にはバレるだろ」

「だから、展示されるまでは秘密。でもまあ、クラスの女の子とかにウケが良さそうなのにしたかな。折角だし読んでもらえたら嬉しいなって」

「なるほどな」

顔に当たる雨を感じながら、クラスメイトや同級生が興味を持ちそうなもの...と考えれば、数冊の本が思い浮かんだ。

「何か思いついた?」

「ああ、ありがと。ちょっと探してみるよ」

 今日中には決めてしまおうと立ち上がれば、辺りにはもうちらほらと街灯が点き始める時間になっていた。

「よかった。じゃあ、またね」

「ソラは帰らないのか?」

「うん、まだもうちょっとここに居る」

「そっか、また明日な」

「バイバイ」

 手を振るソラに背を向けて帰路を歩いていると雨足が少し強くなっている気がして、次に会うのは明日ではないかもしれないと思った。






 結局次の日も降り続けた雨は、夏の温度を洗い流すように少しだけ空気を冷やしていったような気がする。どこまでも青の広がるような雨上がりの空は清々しかったが、グラウンドに出来た巨大な水溜まりのお陰で今日の体育は男女共に体育館に詰め込まれることになった。

 重いドアを開いて体育館に入った瞬間、教師の持つボールを見て気分が重くなる。今日の授業はバスケらしい。運動自体が得意ではないというのはあるが、特に競技中走り続けなければいけないバスケは嫌いな部類に入っていた。室内なら動きの少ないバレーボールや待ち時間の多くなるバドミントンやさっさと外野に抜けてしまえばいいドッヂボールが良かった。

 心の中で悪態を吐き続ける僕を置き去りにするように、先生は2クラスを4つのチームにテキパキと分けていく。どうやら4チームの総当たり戦をやるらしい。どのチームに振り分けられようと戦力外であることは分かりきっているので、せめて足を引っ張っても恨まれるようなメンバーにならないことを必死に祈った。

 重いボールをパスされては走り、奪われては走り、味方が持っていても走る。とにかく体育館の端から端までを往復し続ける運動は僕の身体に多大なダメージを与え、最初の試合が終わる頃には既にヘトヘトになっていた。結果は当たり前のように敗北を喫していたが、大差がついていないことがせめてもの救いだった。コートから逃げるようにしてへたり込んだ床のひんやりとした感触が心地好い。

 次の試合を行っているチームには修也がいて、相変わらずの運動神経を遺憾なく発揮する姿を恨めしく思った。壁に背を預けて体育館内をぼんやりと見つめていると、中央に張られたネットを隔てた先では女子がバドミントンをしている。試合形式でもなんでもなくただペアを作って各自で練習をしているらしく、隅の方でラリーを続けるソラと五十嵐唯の姿をみつけた。

 ソラとはあれから話していないが、ラリーが途切れる度にあらぬ方向へと飛んで行った羽根を拾いに走る姿を見る限り体は元気そうだ。

「恋煩いか?」

 いつの間にやら試合を終えたらしい修也が僕の隣にどかっと腰を下ろす。得点板を見ればやっぱり修也のチームが勝ったらしかった。

「お疲れ、お前ほんとその話好きだよな」

 いい加減否定するのも面倒になってきた。

「お、唯じゃん」

 僕の返事なんて聞いていないらしい修也は彼女の姿を見つけてはしゃぐ。ネットの向こう側では僕達に気づいたらしい五十嵐が手を振っていた。

「惚気は他所でやってくれ」

「なんだよ、お前だって女子の方見てニヤケてただろ」

「ニヤケてはないだろ、むしろニヤけてるのはお前だ」

 幸せという文字を顔面に書いたような表情をする修也は、正直見ているだけで胸焼けしそうだった。

「お前も付き合えばこの気持ちがわかるって」

「だからそういうんじゃないよ、ただ最近ソラが元気ないみたいだからちょっと気になってただけだ」

 そう言えば修也は目を凝らしてソラの方を見る。ソラが打ったサーブは綺麗な放物線を描いて五十嵐のもとへと向かって行き、二人の間で何度も羽根が往復する。二人共運動神経はそれなりに良いようで、宙を舞う羽根は中々地に落ちることがなかった。

「俺には元気そうに見えるけどなあ、めっちゃ走ってるじゃん」

「体調とかじゃないよ。なんか精神的に?空元気っぽかったっていうか」

「へーえ、俺にはわからんな」

「だろうな」

 高い位置で往復し続ける羽根を眺めていると、ホイッスルの音が鳴り響いて目の前の試合が終了したことを告げた。

「次、俺のとこと優太のとこだ」

「うわ、まじかよ...」

 違うチームになっているのだからいつか当たることになるのは当たり前といえば当たり前なのだが、負け戦が決まっている試合に臨むのはやっぱり気が重くなる。

「お手柔らかに頼むよ」

「おう、任せとけ」

 何が任せとけなのか。五十嵐の前でいつも以上に張り切っているのだろう修也を前に、酷い点差がつきませんようにと切に願いながらコート内へと進んだ。

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