ⅩⅣ
どうしてこうなったのだろう。エアコンの吐き出す風が心地よい喫茶店。目の前には小洒落た皿に乗せられたケーキと背の高いタンブラーグラスに注がれたアイスティー、そして爽やかな笑顔を浮かべるソラの父親こと高柳さん。パニックを起こす心を隠すようにストローに口をつけると、ここに至るまでの経緯を思い返した。
夏休みも終盤となり膨大に思えた宿題からも無事に解放された僕は、新学期のお供にするための本を買いに行っていた。いつも通りのまわり方で本屋を物色し、熟考を重ねた末に数冊の本を購入して満たされた気持ちで帰路に着こうと思っていたところだった。夏に置いていかれまいとするように力の限り叫び続ける蝉達にうんざりしていると突如背後から肩を叩かれる。振り向くとつい数週間前にまた新学期に、と別れたはずのソラが立っていた。
「やっぱり優太だ。奇遇だね」
「やあ、久しぶりだね」
ソラの背後から三者面談期間に見たソラの父親まで現れる。ラフな格好をした姿はあの時よりももっと若く見える気がした。
「お久しぶりです」
「あ、そうだ!今からお茶するとこなんだけど優太も一緒にどう?」
「え?」
突拍子もない発言に間の抜けた声が出る。
「佐川くんが嫌じゃなければ、どうかな、奢るよ」
名前、覚えられていたのか。なんて暑さに鈍った脳で思考している間に、強引なソラに押され気がつけば親子のお茶に同席することになっていた。しかも席について注文をするなり言い出しっぺのソラはちょっとトイレ行ってくるね、なんて席を外してしまった。こうして冒頭の状況が出来上がった。
グラスの中で溶けた氷がカラリと音を立てる。結露したグラスは大粒の汗をかいていて、汗をかきたいのはこっちだよと思った。同級生の親と2人きりの空間なんて気まずい以外の何者でもない。よりにもよって店内にはトイレがないらしく、店外へと出て行ってしまったソラはまだ暫く戻ってこないだろう。
「あいつ、あんまり学校行ってないだろう」
気まずさに目線を落としていると、アイスコーヒーの入ったグラスを持った高柳さんが穏やかに口を開く。
「そう、ですね」
「実は2年前に母親を亡くしていてね、それからなんだ」
「あ、聞きました…ソラから」
そう応えると、高柳さんは少し驚いたような表情をする。
「空が、話したのかい?」
「はい」
何か変なことを言ってしまっただろうか、と思いつつ頷くと、高柳さんは数秒遠くを見つめるようにして、そうか…と呟いた。
「言い訳にしかならないが、妻が入院してた頃は仕事が忙しくてね、家を開けがちだった。空は毎日一人でお見舞いに行ってたんだよ。大丈夫だって笑う二人に僕も甘えてしまっていたのかもしれない」
過去を話す表情がソラにそっくりで、やっぱり親子なんだななんて場違いな事を考えてしまう。
「台風の日だった。その日は丁度出張に出ていて、病院から連絡を受けてすぐに向かおうとしたんだけど、交通機関が止まってしまって身動きが取れなくなった。結局僕は間に合わなくて、着いたのは次の日の朝だった。もちろん僕もショックを受けていたけど、廊下のベンチで放心状態になっていた空の顔は今でも忘れられないよ。それからあの子は僕の前でそれまで以上に気丈に振る舞うようになってしまった。まだ12歳だったんだ。頼れる大人もいない中で、僕は酷いことをしてしまったと思う」
深い後悔の念を滲ませながら話される過去に、僕はただじっと聞き続ける事しかできなかった。
「そんな負い目…ではないけれど、空にあまり偉ぶったことは言えないんだ。最初のうちは時間が必要なだけだと思ってしまっていたのも間違いだった」
高柳さんは困ったように笑ってそう言うとアイスコーヒーを一口飲んでグラスを置いた。
「佐川くんにこんなことを言うのも変かもしれないが、空のことよろしく頼むよ」
「え?」
またも間抜けた声が出た。今日は2回目だ。親子揃って僕の予想のつかないことばかり言い出す。
「いや、そんな、よろしく頼まれるようなことはできないというか…。そもそもソラ…さんとは教室で席が隣というだけで、僕にできることなんてプリントを届けることくらいで…」
「十分だよ」
焦る僕を余所に高柳さんは爽やかに笑う。
「母親を亡くしてからあまり自分のことを話さなくなっていた空が、最近は君のことを楽しそうに話すんだ」
「そう、ですか…」
一体何を話されているのかは分からないが、恥ずかしい話とかじゃなければいいと祈るばかりだ。
「僕も話してみてその理由が分かった気がするよ。佐川くんにはつい色々と話してしまう…と、丁度空も戻ってきたみたいだ」
入り口の方を振り向けば、ソラが歩いてくるところだった。時計を見ればソラが席を外していたのは十数分程度の時間だったのに、何故かもっとずっと長い時間が経ったような気がした。
「わ、もしかして食べるの待ってた?ごめん、結構混んでて」
席に着くなりいただきます、とフォークを手に取るソラになんだか苦笑が漏れる。
「優太?食べないの?」
「食べるよ。いただきます」
綺麗に飾られたケーキにフォークを突き刺し口へと運べば、フルーツの甘酸っぱさが舌の上を走る。さっぱりとした甘さがやけに美味しく感じて、夏だなあなんて抽象的な感情を抱いた。
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