LINEの友達リストに猫のアイコンが増えたあの日以来、僕のスマホにはたまにどうでもいい報告が届くようになった。修也もよくどうでもいいことを連絡してくるから、事務連絡のようなことしかしない僕の方が使い方を間違えているのだろうか。

 昼休み、主不在の隣の席の椅子に陣取った修也といつものように昼食を取っていると、机の上に置いておいたスマホが短く振動し、反射的に画面に目を向ける。


[高柳空:画像を送信しました]


 手にとって内容を確認しようとすると、もう一度スマホが振動する。


[高柳空:かたつむり]


 トーク画面を開くと、小さなかたつむりが紫陽花の葉に乗っている画像の下にかたつむりという文字が添えられている。見ればわかる、と思ったが、写真に題名をつけているようでなんだか笑えた。よかったな、とだけ打ち込んで送信ボタンをタップし、スマホを机に置いて昼食に戻ろうと箸を持ち直すと隣の席から視線を感じた。

「なあ、お前と高柳って付き合ってんの?」

「は?」

 サンドイッチを食みながら何気なく問う修也に箸が止まる。

「なんか噂になってるらしいぞ。ほら、お互い呼び捨てだし」

「ただの成り行きだよ。てか誰に聞いたんだよそんなこと」

 小学生の頃までは大体みんな名前か愛称で呼び合ったりしていたのに、そんなことで勘繰られちゃ堪らないと思った。圧倒的に目立たないタイプだろう僕みたいなヤツでさえ詮索するなんて相当に暇なんだろう。

「隣のクラスの、俺の彼女」

 何気ないように言っているが、若干口角が上がっているのを僕は見逃さなかった。

「お前それを言いたかっただけじゃないだろうな」

「噂になってるのはマジらしいぞ、ていうかもっと驚けよ」

「うわーお前彼女がいたのかー」

「棒読みで言うのやめろ」

 修也が不服そうに口を尖らせる。

「で、いつからいたんだ」

 修也のそれらしいところは見たことがない。尤も、何となく昼食は一緒に食べているというだけでいつも一緒にいるわけではないので当たり前といえば当たり前なのだが。

「あー、体育祭の後ぐらい?に告られた」

「へえ」

 なんとなく想像がついた。大方体育祭での修也の姿に背中を押されたのだろう。

「反応薄いなー」

「自慢したいなら相手を間違えてるぞ」

 生憎そういったことには全くといっていいほど興味がなかった。恋愛を主題にした小説なら読まないこともなかったが、現実世界での色恋沙汰となればまったく別の話だ。自分がそうなることなんて想像もつかない。

「ま、優太にもそのうち春が来るって」

 僕の方に手を置いて納得したようにうんうんと頷く修也に少しイラッとしたが、話を自己完結したようなので放っておいた。



 六月も終わりに近づき、三者面談週間に入った。連日、生徒の保護者が校舎内にいるというイレギュラーな雰囲気に生徒も先生もソワソワして落ち着かない。いつも気怠げな空気を纏っている伊月先生でさえもここ数日はなんだかピシッとしていて、最初のうちは生徒から揶揄われていた。

 今日も教室前の廊下には、順番待ちの生徒とその保護者が緊張した面持ちでベンチに座っていて、その前を通り過ぎるたびに一応軽く頭を下げる。

 僕の面談は初日にすでに終わっていたので幾分か気が楽だった。と言っても面談の内容なんて生活態度も成績も良くも悪くも目立たない僕にとっては大したことではなく、ほとんど先生と母親の世間話のようなもので、正直二者面談でもよかったと思う。他に聞かれることといえば進路のことくらいだが、僕には特にはっきりした目標のようなものはない。なんとなく高校へは進学するものだと思っているが、どこの高校がいいとか、何科に行きたいとか、そういったものは全く考えていなかったし、これから考えますと言っておいた。残り時間は母親の横で置物に徹し、時間が過ぎるのを待っていた。まだ二年生だし、進路に悩むのはもう少し先でもいいだろう。

 今日も帰宅部としての活動を全うしようと、上履きローファーに履き替え校舎を出たときにふと異変に気付いた。いつもポケットに入っているはずのスマホがない。恐らくは机の上かロッカーの中あたりに置き忘れたのだろうと思う。面談待ちの保護者が待機する廊下に引き返すのは気が進まなかったが、流石に不便なので腹を括って来た道を戻ることにした。

 面談中の教室に置き忘れたとなれば割って入るわけにはいかないし、諦めるしかない。せめてロッカーに入っててくれと念じながら教室前のロッカーに辿り着く。パチパチとダイヤル式の鍵を合わせ、つまみを回してロッカーを開くと見慣れたスマホが端に置かれていた。よかった、と安堵の息を漏らし、スマホをポケットにしまう。ロッカーにかぎをかけ、今度こそ帰ろうと踵を返すと、今来たらしいソラと視線が交わった。

「あ、優太」

 そう呟くソラの隣にはスーツを着た男の人が立っている。三十代くらいに見える。端正な顔に柔らかい雰囲気を纏った姿は、ドラマにでも出てきそうだと思った。

「パパ、この前話した優太だよ」

 スーツの男の人はソラの父親らしい。随分若い父親だと思った。兄弟とまではいかなくても、僕の父親と比べたら大分歳が離れていそうだ。というか僕は一体何を話されたのだろうか。

「初めまして、ソラの父です。ソラがいつもお世話になっているようで」

 ソラの父親はにこやかに笑って一歩進み出ると、右手を差し出してきた。その姿が初めて公園で会ったときのソラと重なり、一瞬呆然としてしまう。血は争えないとはこのことだと思った。

「あ、初めまして。佐川優太です。いや、こちらこそ」

 右手を出して握手を交わす。ソラが父親の後ろで笑っているのが見えた。

 なんだか気恥ずかしい思いに苛まれていると、助け舟を出すように教室の扉が開いて、面談を終えたのだろう生徒と保護者が出てくる。こちらに会釈をして去っていく二人組に続いて伊月先生が顔を出した。

「高柳さん、お待たせしました。どうぞ入ってください」

「あ、はい」

 ソラの父親はなんだか忙しなくてごめんね、と困ったように笑うと教室へと入っていく。

「じゃあ優太、またね」

 小さく手を振ってから父親について教室へ入るソラに、僕も同じように手を振り返した。

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