Ⅵ
午後のプログラムは応援合戦から始まる。入場門には団ごとに揃いのTシャツを着た応援団が集まっていて、午後のプログラム開始の放送を今か今かと待ち侘びているようだった。
『只今より、体育祭午後の部を開始します。紅組応援団、入場』
スピーカーから響く声に赤いTシャツの集団が一斉に駆け出す。採点者のいる本部テントを正面として組まれるフォーメーションは、本部テントから近い距離にある救護テントから見た方が、応援席からよりもかえって見易かった。中央にいる団長らしき人が合図を出すと、スピーカーからは流行りのJPOPが流れ出し、パフォーマンスが始まる。ここ最近はパフォーマンス曲の聞こえてこない休み時間が無かっただけあって、全員がそれなりのダンスを披露していた。勿論正面に配置された精鋭達は他の団員よりも頭一つ抜けたような動きをしていたが、自分だったら振り付けを覚えることすらままならないのだろうと思う。
各団の持ち時間は十五分で、それぞれのパフォーマンスが終わると紅白合同で十分間のパフォーマンスを行う。採点基準が何なのかは公表されていないし、正直言って採点者に選ばれた先生陣の好みなのだろうと思った。素人目に見れば両団に大きな差はないし、優劣がつくようなものでもないだろうと思う。総合優勝を逃した側に情けとして応援優勝が与えられるなんて噂もあるが、稀に総合優勝も応援優勝もしてしまう所謂W優勝をする団が現れるため、その線は薄いらしい。
体育祭で唯一の祭らしい華やかさを持った応援合戦が終わると、いよいよ得点の奪い合いもラストスパートになる。三年生の騎馬戦なんかでは特に激しい争いが繰り広げられていた。来年はあれに出場することになると思うと今からすでに憂鬱である。絶対に上には乗りたくないし、できれば騎馬を組む一人になって逃げ回ることに徹したい。そんなことを考えていると、綱引きの招集がかかったので快適な救護テントに別れを告げ、入場門へと向かうことにした。
「がんばれよー、全身で引っ張るんだぞー」
入場門の前には伊月先生が応援に来ていた。ホームルームの時は微塵もやる気のなさそうだった先生だが、なんだかんだで応援してくれるらしい。
『選手入場』
練習通りに綱を迂回するようにして入場し、綱の周囲にしゃがむ。
『男子の部、位置について、用意』
ピストルの音と共に綱を引っ張る。相変わらず綱はずっしりと重たいし、練習の時の倍の人数が綱を掴んでいるせいか、あまり動いている気がしない。精一杯に踏ん張っているつもりの足も、靴裏が砂で滑ってずりずりと音を立て、少しでも体重をかけようと後ろに倒れるようにしたこの体勢では、今にも転んでしまいそうだった。
二発のピストルの音がパンパンと響き、綱から手を離す。ただ綱を引っ張っていただけなのに気づけば息が切れていた。
『只今の結果、勝者、紅組』
負けた。勝敗なんてどうでもいいと思っていたけど、なんだか悔しいような気がした。モヤっとした気持ちを抱えて、待機していた女子と場所を入れ替わる。続く女子の部では白組が勝って得点は離されずにすんだ。それにしても見ているだけではめちゃくちゃ地味な競技だ。
残る競技も選抜リレーだけとなった。得点版を見ると紅組が優勢だったが、配点の大きい選抜リレーの結果によっては簡単にひっくり返る。応援席では並べられたパイプ椅子は意味を成しておらず、ほとんどの生徒が応援席の前方で固まって声を上げていた。人だかりの隙間にやっとの思いで視界を確保すると、一走目の選手達は既にスタートラインについていて、ピストルが撃たれるのを待っていた。待機している修也は五番のゼッケンを着ているので五走らしい。
『位置について、用意』
ピストルが放たれ、体育祭最後の競技がスタートする。クラスでトップのタイムを持っていないと出場できないだけあって、一人一人がかなりの速さでトラックを駆け抜けていく。男女も学年も混合されているこのリレーでは一周ごとの順位は簡単に覆され、一走目では四位だったチームが二走目では先頭に躍り出る。組まれた走順によってカラフルなゼッケンが次々に入れ替わっていくのもこのリレーの醍醐味だ。
応援席から選手の名前や団のコールが響く中、一走から二走、二走から三走へと順調に渡っていたバトンだったが、三走から四走に渡ろうとしたその時。一組のバトンが地面に落ち、カラン、という音が嫌に大きく響いた。激しく競り合っていた中でバトンを拾う数秒間のロスは大きく、あっと言う間に他の組との差が開いていく。選手でない僕でさえも背筋が冷えるような気がした。四番のゼッケンを着た女子が気を取り直して走り出すが、なかなか追いつけず、前方を走る三人の間にも徐々に差が生まれ始める。二組は先頭の数メートル後ろを走っていて、このままの順位をキープすれば白組の敗北が確定してしまうためか、応援席からのコールにも一層の熱が入り、最早掠れてしまった叫び声すら聞こえた。
依然として一組が最後尾のまま、バトンは五走目の修也へと渡される。二年連続で選抜されているだけあって流石に速い。
「白組ファイトー!」
気づけば隣にはソラが来ていて、両手をメガホン代わりにして叫んでいる。
「修也頑張れー!」
つられて僕も叫ぶ。
三番目を走る紅組との距離が徐々に詰まっていき、もう少しで二周目に入るというところで遂にその順位が逆転する。もう固定されてしまったかとも思われた順位の変動に応援席からは歓声が上がり、興奮に沸き立った。
順位を一つ繰り上げたものの、一位、二位の競り合う場所までの距離を残したまま二周目に突入し、勝負はアンカー戦に持ち込まれると思われたその時、既にかなりのスピードで走っていたはずの修也が加速を始める。
「すご…」
そう口に出さずにはいられなかった。みるみる二位との距離を縮めていく修也は、パスゾーンを目前にしてまたもやその順位を入れ替え、先頭にすら並び立つ。応援席からの声は絶叫にも近く、キャーという女子の黄色い悲鳴さえ上がっている。
二つのゼッケンが競り合いつつもパスゾーンに突入するとバトンはアンカーへと委ねられ、待機場所には役目は終えたとばかりに大の字に倒れ込んで空を仰ぐ修也の姿があった。
最終周で一位を争うのは三年生の男子同士で、一歩リードしては抜き返されるような、手に汗握る接戦が繰り広げられる。応援席もこれが最後と声を枯らして叫ぶ。先頭を走る二人がほとんど同時にゴールにたどり着き、テープが切られた。
銃声が二度響き、最後の競技が終了したことを告げる。つい数秒前まで誰も彼もが声の限りに叫んでいた応援席は静まり返り、順位の判定が下るのを固唾を飲んで待っていた。
『只今の結果、一組白、四組紅、二組白、三組紅の順でした』
スピーカーから響いた声に応援席が再度沸き立った。
「すごい、やったね」
隣にいたソラが笑って、掌を向けてくる。
「うん、すごかった」
たった今繰り広げられた戦いに握りしめていた拳を開いて、体操着で手汗を拭ってから向けられた手にハイタッチする。
選抜リレーでの逆転劇は競技内に留まらず総合得点すら逆転させた。閉会式で白組に優勝杯が授与され、体育祭が幕を閉じる。閉会後に行われたクラスごとの記念撮影では、選抜リレーで少女漫画のヒーローのような活躍を見せた修也が数人の男子に担ぎ上げられていた。救護テントの撤収作業を終えて制服に着替えると、今日一日分の疲労がどっと押し寄せてきたような気分だった。教室に戻ると、騒がしいほどにクラス中が勝利を喜び合っていた。
「ホームルーム始めるぞー」
伊月先生がやってきてようやっと騒ぎが収まる。
「まずは体育祭お疲れ様、よくやった」
先生の言葉にあちこちからイェーイと声が上がる。応援であれだけ声を出していたのに元気なものだ。
「嬉しいのはわかるが今日は早く帰ってゆっくり休めよ」
それから先生はいくつか連絡事項を告げてから解散を告げた。
校舎から出ると、傾いた太陽が西の空を赤く染めていた。昼の凶暴な太陽とはまた違った眩しさだ。すっかり元通りになったグラウンドを通り抜けて帰路に着く。ついさっきまで騒がしい環境にいた所為か、帰り道がやけに静かに感じる。
「優太」
疲労に重くなる足を引き摺って歩いていると、背後から名前を呼ばれた。
「ソラ」
振り返ると、同じく帰宅途中のソラがいた。一つにまとめられていた黒髪は下され、跡が残っている。制服を着たいつも通りのソラだった。
「お疲れさま」
「お疲れ、ほんとに、いるだけで疲れた」
「優太は全然出てないもんね」
ふふ、と笑いを溢しながらソラが言う。
「いいんだよ、こういうのは得意な奴が出たほうがいい。修也みたいなさ」
「たしかに。田中くん凄かったね。勝てないと思ったのに、ドキドキしちゃった」
「僕も。優勝とか興味なかったしどっちが勝ってもよかったけど、あの時だけは勝って欲しいって思ってたな」
「順位とか勝ち負けとかさ、どうでもいいって思ってても」
ソラが一歩前に出て振り向く。
「勝つとやっぱり嬉しいよね」
そう言って笑うと、じゃあねと言って分かれ道を曲がっていく。ソラの色素の薄い瞳は西の太陽の光を反射して、橙色に煌めいていた。
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