迎えた体育祭当日。昨日の夜までは雨が降っていたので延期が懸念されていたが、朝起きてみれば雲一つない青空が広がっていて、太陽の光が何にも遮られることなく燦々と降り注いでいた。救護テント設営のためいつもより早く家を出て、まだ寝足りないと叫ぶ身体に鞭打つようにして通学路を歩く。学校が近くに連れて、それぞれ何かの係で呼び出されたのだろう通学路を歩く生徒が増えてきて、その表情は遠足に向かう小学生のような明るい顔か、眠気を必死に押し殺し今にも目を閉じてしまいそうな顔にはっきりと二分されているような気がした。もちろん僕は後者のうちの一人である。

 校門を潜ると、グラウンドの方からとぼとぼとした足取りで昇降口へと向かう見知った顔が見えた。

「おはよう」

 背後から声をかけると既に体操着を着ている修也が振り向く。既に疲れ切っているような顔だった。

「はよ…」

 そう返すと大きなあくびを一つした。

「朝から何やってたんだ?」

 修也は特に体育祭の係には入っていなかったはずだ。

「サッカー部総出で水溜りの処理に駆り出された」

「うわ、お疲れ」

 昨日の雨で通学路にはいくつも水溜りができていたにもかかわらず、グラウンドを見渡すとここだけ雨が降らなかったかのように小さな水溜り一つない。強いて言えば、砂が湿っていて踏み心地がふわふわしていることだけが昨日の雨が現実だったことを物語っていた。朝の時間だけでグラウンドをこの状態にまで復活させたサッカー部の労力は計り知れない。同情の目を向けながら辿り着いた校内は、まだ電気も疎にしか点いておらずコンクリートの壁がひんやりとした空気を放っていて、太陽に熱された身体に心地よかった。

 荷物を置きに教室に寄ると、所々に登校の形跡が残されているものの無人の静寂の中で冷房の機械音だけが響き、室温は肌寒い程に下げられていた。

「ちょっと寝るわ」

 もう限界だとばかりに椅子を繋げて横になった修也に、流石に冷房の効いた室内では冷えるだろうとフェイスタオルを掛けてやる。あまり大きくないので全身を隠すことはできないが無いよりはマシだろうと思う。

「ありがと母ちゃん」

「誰が母ちゃんだ」

 ネタのつもりなのか寝ぼけているのかもわからないような言葉にすかさずツッコミを入れるが、修也は既に意識を手放したようだった。

 体操着に着替えてから再び戻ってきたグラウンドでは、所々で各係が集団を作り各々の設営を進めていた。保健委員の集団に合流すると、委員長の指揮の下、救護テントを張っていく。屋外に保管されていた金属の支柱は移動させるたびに錆混じりの茶色い水を滲ませていて、一刻も速く手を洗いたくなった。テントを張り終えると、その中にパイプ椅子を並べ、保健室から応急処置用の道具や氷の入ったクーラーボックスを運び出す。これが中々の重労働で、ショルダーベルトにかかるクーラーボックスの重みに肩が凹むのではないかと思った。

 一通りの設営が終わり、解散が告げられる頃には体育祭の会場はすっかり出来上がっていて、白線で描かれたトラックの周囲にはパイプ椅子で作られた応援席が並び、放送委員が機材をチェックする音がグラウンドに響く。太陽が空の高いところまで登っていて、地面からの反射とともに挟み撃ちを仕掛けられている気分だった。こめかみに伝う汗を体操着の肩口で拭うと、涼を求めて校舎の方へと急いだ。

 静けさに包まれていた先程までとは打って変わって、声高らかに勝利宣言をする男子やヘアアレンジに勤しむ女子集団で賑わう教室には、日焼け止めの匂いが充満していて、なんだか息苦しいように思えた。修也はこの騒がしくなった環境でも別れた時の状態のまま、腕を枕にして眠っている。眩しすぎる太陽の所為で未だ室内の明るさに順応できずに薄暗く見える視界の中、自分の席に辿り着くと隣の席からソラがいつもの言葉をかけてくる。

「おはよう」

 体操着を着たソラは、いつもは下ろしている黒髪を高い位置で一つにまとめ、既に白い鉢巻きをカチューシャのようにして頭に巻いていた。

「おはよう」

 僕もいつものように応える。いつもとは違う姿に僅かに非日常を感じつつも、体育祭というイベントに昂る教室の落ち着かない空気の中で交わされるいつも通りのやり取りは、どこか安心感を覚えさせた。


「座れーホームルーム始めるぞー」

 教室の前にある扉がガラリと音を立てて開き、間延びした声でそう言いながら先生が入ってくる。今日ばかりは伊月先生もジャージ姿だ。

「全員揃ってるな。外は暑いから水分はちゃんと摂れよ。あと怪我はしないように。以上、解散」

「いっちゃんもっと応援とかないの〜?」

 ホームルームをあっさりと終わらせようとする先生に、目立つ女子グループの一人が不満げに声を上げると何人かがあちらこちらでてそうだそうだと便乗する。

「えー、じゃあ絶対優勝取ってこい」

「それはいきなりハードル上げすぎ」

 怠そうに言う先生にクラス中からくすくすと笑いが起こった。先生がそんなテンションでいいのかと思う。でも、下手にプレッシャーをかけられるよりはずっとマシか。

「まあ、程々に頑張れよ。早くグラウンド移動しろ」

 最後にそれだけ言うと先生は教室を出ていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る