Ⅲ
ゴールデンウィークが開けるとすぐに中間試験がやってきて、その山を超えると学校は一気に体育祭ムードになった。5月末の本番に向けて体育の授業では競技の練習が本格化し、昼休みや放課後には連日、委員会や係の招集がかかっている。どちらかといえば運動が苦手な僕にとっては、体育祭はあまり喜ばしいイベントではない。夏がにじり寄って来るように日に日に暑さを増していく五月、何故こんな時期に態々屋外で運動するイベントを設定しているのかも謎である。
朝と言えども容赦なく照りつける太陽を鬱陶しく思いながらも、ようやっと学校へ辿り着く。教室に入り自分の席に鞄を置くと、なんだか一仕事終えた気分だった。
「おはよう」
既に登校していたソラが読んでいた本から目を上げ、そう言う。
「おはよう」
僕もそれに同じ言葉を返して席に着いた。学校でのソラは相変わらず大人しく、挨拶を交わすようになったものの、それ以上の会話は続かない。黄色いポンチョ姿のソラと制服を着たソラとでは、何故だか話しやすさが格段に違う気がした。
本を読みながらホームルームが始まるのを待っていると、朝の練習を終えたのだろう応援団のメンバーがバタバタと教室になだれ込んでくる。応援団には競技とは別に応援合戦という種目が用意されていて、二つの団がそれぞれパフォーマンスを競うことになっている。主に三年生のダンス部が仕切るのが恒例となっているので、要するにダンス合戦だ。やっている側はかなり楽しいらしく、他の必要な係さえ確保することができれば人数制限が設けられていないこともあってか、役職決めの時に毎年クラスで十人くらいは応援団に立候補する。確かに生徒の自由度の高い応援合戦はリレーや騎馬戦と並ぶ体育祭の花形ではあったが、朝も昼も放課後も、自由な時間は全て応援団の練習に費やしているのではないかとすら思えるその姿は、見ている側からしたらかなり大変そうという印象だった。ホームルームの開始時間を知らせるチャイムと共に先生が教室に入って来たのを合図に、散らばっていた連中がバラバラと自分の席に着く。隣の席ではソラが読んでいた本を閉じ、頬杖をついて先生が話し出すのを待っていた。
隣のクラスと合同で行われる体育の時間はグラウンドに集合させられ、前半は団体競技、後半はリレーと個人競技の練習を行うことを告げられる。白いグラウンドが太陽の光を眩しく反射して目が潰れそうだ。
学年ごとに行われる団体競技は1年生が玉入れ、2年生が綱引き、3年生が騎馬戦で、4クラスを2色に分けて行われる。出欠を取り終えた女子が合流すると、ホワイトボードで入退場のルートを図示される。整列して二、三度実際のルートを走って確認してから、いよいよ目の前に太い綱が置かれた。競技は男女別で行われるため、先に男子から配置についた。僕の所属する1組と同じ授業を受けている2組は共に白組のため、本番では味方同士となるのだが、相手がいなければ練習にならないので今回は敵同士になる。
先生の吹くホイッスルの合図で綱を持ち上げて引っ張る。独特の匂いを放つ綱は想像していたよりも重く、掴む手か、引っ張る腕か、どこに力を入れればいいのかわからなかった。2度目のホイッスルの合図で一斉に手を離す。綱は向こうへこっちへと大分動いていたように感じたが、中央に付けられた目印はグラウンドに引かれた線から僅かに2組の側へずれているだけだった。
「はい、男女交代」
先生がそう言い、男女の場所を入れ替わる。本番の半分の人数しかいない所為か、離れて見るとなんだか殺風景だった。ホイッスルが鳴り、綱が引っ張られる。大きな動きもなく、グラウンドに引かれた白線の上で綱の中心を示す印が右へ左へと行ったり来たりする。この競技、正直めちゃくちゃ地味だと思った。
綱引きの練習が終わると、リレーと個人競技の説明がされる。クラス対抗のリレーは男女各八人ずつが選抜されていて、リレーに出場するメンバーは個人競技への参加が任意となるが、それ以外のメンバーは徒競走、障害物競走、二人三脚の中から出場種目を選ぶことになっていた。全学年合同で行われる個人競技は入退場のルートを図示されるだけで、残りの時間は各競技ごとに集まって自由に練習するように指示される。リレーのメンバーはバトンパスの練習を始め、障害物競走のメンバーはハードルを跳んだり網を潜ったりとそれぞれに練習を始めるが、徒競走を選択していた僕は手持ち無沙汰になってしまった。とりあえず他の徒競走メンバーと同じように軽く走っておく。
数分間、歩いているのとほとんど変わらないようなスピードで走り続けたところで、これじゃ徒競走というよりも持久走だということに気づき、勝手に休憩を取ることにした。どうせ個人競技なんて出場種目数が偏らないように設けられたおまけのようなものだ。その証拠に先生達はリレー組の指導に付きっきりになっていて、個人競技組がこの時間に何をしていようと見ていない。
花壇のフチに座り込み、リレー組の様子を見物していると、バトンパスは見ているよりも難しいらしく何人かがバトンを落としたり、パスゾーンから出てしまったりしているのが見えた。修也がアドバイスを飛ばしている。こういう時にリーダーシップが取れる人間は純粋にカッコいい。小学生の頃に気づいたら友達になっていた修也だが、なんだかんだ遠い人間だよなぁと思った。出会ったのが記憶も曖昧な小さい頃でなければ友達になっていなかったのは確かだろう。なんだかしみじみとした気持ちになる。
走順を決めているらしい女子集団の方を見ると、いかにも運動やってますというような風貌のメンバーの中にソラの姿をみつけた。小柄なソラはリレー組の中ではいつもより小さく見える。よく学校を休んでいるし勝手にインドア派だと思っていたので意外だった。座っているだけでもじわじわと体力を奪っていくような太陽に辟易し、室内を恋しく思っていると待ちに待ったチャイムが鳴る。一度集合して授業終了の号令がかかると、足取り軽く校舎の方へと足を進めた。
昼休みを迎えた教室では、それぞれ思い思いの相手と昼食を取るべく大移動が始まる。特に大きなグループでは机を連結させるので、引き摺られていく机をうまくよけつつも自分の位置を死守し、動きが収まったところで鞄から弁当箱を取り出す。風呂敷を開いて箸を取り出したところで購買から戻ってきたらしい修也が隣の席にドカリと座る。席の本来の主であるソラは席に残って一人で食べていることも多いが、たまにどこかのグループに呼ばれていることがあり、今日はその日らしかった。普段は一人を貫いているが、特定のグループに属さない代わりに何処のグループでも浮いていない。案外世渡り上手なのだと思う。主が不在の席に陣取った修也は手に持ったビニール袋から焼きそばパン、コロッケパン、たまごサンド、メロンパン、と机の上に並べていく。
「どんだけ食べるんだよ」
見ているだけで胃もたれしそうだった。
「体育でエネルギー消費しただろ、あと今日選抜の練習あんだよ」
修也は焼きそばパンのラップを剥きながら答える。
「今年も出るのか」
「おう」
選抜リレーは3学年をクラスで縦に割り、各クラスから男女一人ずつが選出されるので出場者は学年あたりたったの八人。男女混合の六名一チームで一人がトラックを2周ずつ走りバトンを繋ぐこのリレーは毎年体育祭のトリとして行われ、振られた得点も一番大きい、正に選ばれし者のリレーだった。結果こそ3位だったものの、修也は去年もこの選ばれし者のリレーに出場している。
「今年は1位狙いたいよなー」
焼きそばパンを頬張りながらそんなことを呟く修也の心にプレッシャーという文字はなさそうだった。
「とりあえず、頑張れよ」
そんな全校生徒から注目されてしまうような競技への出場を想像することもできない僕には気の利いたことは言えない。
「もち」
そう言ってたまごサンドに手を伸ばす。食べるの速すぎじゃないか?
弁当箱の蓋を閉めたと同時くらいに、校内放送の開始を告げる軽快な音が響く。おそらくは体育祭関連の招集だろうと聞き流していると、僕の所属する保健委員にも招集がかかっていた。12時40分、会議室。そう繰り返すスピーカーからの声に時計を見上げると、長針が6を少し過ぎたところだった。
「あれ、優太保健委員じゃなかったっけ」
「ああ、ちょっと行ってくる」
気持ち急いで弁当箱をしまい、メロンパンを齧る修也を置いて教室を出る。
会議室に入ると、僕が最後の一人だったようで、一つだけ空いていた席に着く。机の上には体育祭当日の救護係のシフト表が置かれていた。全員が揃ったのを確認した養護の先生が当日の説明をしていく。軽い怪我への応急処置、体調不良者への対処法など、去年も同じ委員だったので大体は知っていることだった。食後の眠気も相まって働かない頭で聞き流していると、最後に男子は当日朝の救護テントの設営と終了後の片付けを手伝うこと、と付け足されて委員会がお開きになる。こういう時に駆り出されるのは決まって男子だけだよなぁ、と心の中で悪態をつきながらゾロゾロと会議室を後にする集団に続いた。
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