第34話終わりとはじまり
彼女の中から聞こえてくるのは、赤ん坊の泣き叫ぶ声。さらに強く抱きしめると、彼女もかすかに力を入れてくれた。
私たちは、暗い森の中で立っていた。彼女は赤ん坊を胸に抱いている。どうやら私の声は聞こえていないようだ。遠くから何かが駆けてくる音がする。竜の鳴き声らしきものも。地鳴りのような音と共に、森は赤く染まった。不思議と熱さは感じないが、火は燃え広がっていく。彼女は、赤ん坊を守るように抱え、地面にしゃがみ込んだ。何かを見上げている。目線を辿って空を見ると、手の長い茶竜が火を吹いていた。その火はあっという間に森を巡り、目の前で母親と赤ん坊にも燃え移る。必死に叫んで近づこうとしたが、地面に固定されたかのように、一歩も動けなかった。母親の叫び声が聞こえる。
「ダーコイル! ダーコイル一族だけは何があっても許さない!」
その声が何度も頭の中でループしていた――
ふわふわとした意識の中で、白い光に包まれていた。ナイトとナターシャの姿が見える。年の離れた兄妹は仲良く森で遊んでいた。そこへ黒い影が差す。倒れたナターシャを抱える兄の姿が見えた。その出来事がぱっと消えると、次が現れた。ナターシャを鍛えようと指導する兄の姿。怪我をしても何度も立ち上がらせ、ついに少女は森へ逃げた。線の細い女性が待ち構える。兄が到着した頃には既に妹の息は絶えていた。ついては消え、消えてはつく情景。最後に水の中で朽ちていく彼女の姿が見えた。血に染まった傘と共に。
*
森林の香りに目覚める。ベッドの横の椅子には誰かが座っていた。私の気配に気が付くと顔を上げる。
「ナタリア!」
自然と涙が零れていった。慌ただしい足音が聞こえる。ドアの方を向くと沢山の人が入ってきていた。視界がはっきりとしない中、一人だけが目に入る。
「お母さん?」
初めて見たような、前から知っていたような顔の女性。たどたどしい足取りで彼女は歩いて来た。エデンさんは席を譲り、少し離れたところに立つ。その女性は椅子に腰かけると私の手を握って額につけた。白く細い手には幾重ものやけどの跡がある。不自然な細さの片足はどうやら作り物のようだった。
「お母さん……」
顔に雫が垂れてくる。
「ごめん、ごめんね。あなたを手放してしまった」
「ううん。わかってたよ。私のためにしてくれたんだって……ありがとう」
私はそのまま優しいぬくもりに包まれた。冷たくなっていた体が少しずつ熱を持つ。ずっと、この時を求めていたのかもしれない。心に灯った光が段々と強まっていくのを感じた。ほっとすると、視界と頭の中もゆっくり晴れていく。
「そういえば、あの女性はどうなったの?」
近くに立っているエデンさんが口を開く。
「女性?」
「私と一緒に溺れた人」
「湖には君しかいなかったよ」
その言葉に背筋が凍るようだった。あの花畑の方へ目をやるが、当然そこには誰もいない。
「フォリンは? フォリンはどこ?」
「それが……どこにもいないんだ」
一気に冷や水を浴びせられた気分になった。茶竜の朽ちていく姿が蘇る。私は無理やり体を起こした。
「ナタリア! 無理しちゃだめよ」
ベッドに駆け寄ってきたのは、育ての母だった。傍に来た祖母が口を開く。
「全部終わったんだよ。ナイトの気配は消えたんだ」
私は優しい兄の顔を思い出していた。彼は闇雲に強さを求めたわけじゃない、そうわかったから。けれど、フォリンは? 消えかかった彼はどうなったのだろう。私はベッドを飛び出していた。足はズキズキと鈍く痛み、まともな走り方ではない。赤い絨毯の上に崩れ落ちそうになった。寸前で優しく受け止められる。甘い香りがして、顔を上げなくても誰だかわかった。
「シアンさん……」
「皆、心配しているよ」
「わかってます。でも……」
「フォリンを助けたい。そうだよね?」
私は強くうなずいた。
「こんなことしたら、エデンに殺されちゃうかもなぁ」
シアンさんはふっと笑うとしゃがんで背中を向けた。
「乗って」
「え?」
「フォリン、探しに行くよ」
「はい!」
シアンさんは軽々と持ち上げて、煌びやかな廊下を駆ける。後ろから何人もの声が聞こえたが、私は一層力強く彼に掴まった。
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