第3話
「これは泥舟先生。おはようございます」
腰が砕けたような頼りない歩調で足を引きずる泥舟の背中に声をかけたのは牛飼いの大郎だった。
「あれ? 先生、どうしたんですか? どうにも顔色の方が」
そこまで言った大郎、ふとあることに気がついた。
「さては、先生も夕べは楊貴妃とお楽しみだったんですね! わかります、わかりますとも。それなら夜通し聞こえた先生の叫び声にも合点がいくってもんです。阿三を磨きながら、つい思い出して悶々としてしまいました。先生もまだまだ現役なんですねえ。何だか親近感が湧いてきます。いやあ、あの玄宗皇帝を夢中にさせた技の数々を味わえるなんて、ほんと生きててよかったですよね。どうですか、今度、楊貴妃を知る者同士、熱く語り合いませんか? 思い出すだけで、体がとろけそうになるんですよ」
しかし泥舟はずっと黙ったまま、その瞳を宙に彷徨わせているばかり。
「あ、すいません。はしたないことを言ってしまいまして。きっとお気を悪くされましたよね。そうだ、それなら先生お得意の軍談を聞かせて下さいよ。少しばかりのお酒なら出せますし。そうですね、やっぱり一騎当千の張飛が大活躍する話がいいなあ。どうです?」
泥舟はゆっくりと大郎に顔を向けた。そうして、少しばかり口を動かしたかと思うと、バタリとその場に倒れ込んだ。慌てた大郎が助け起こすと、泥舟はお尻を押さえたまま、口から泡を吹いて気絶していた。
「蛇矛、蛇矛が。ぬらりと光って、血に染まった……」
泥舟の繰り返したうわごとだったが、三国ものの軍談がよほど好きなんだな、とますます軍談を望む声が多くなったのだった。
(おしまい)
近所の牛飼いの話が羨ましすぎて真似してみたら楊貴妃の代わりに張飛が来た件。 吉野川泥舟 @ni-zhou
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