第8章──死者の迷宮
第158話:第八章──
時は少し遡って……
「────ぁぁぁぁああああ!」
空から男が降って来た。
男が落ちた先は湖で、それゆえに助かったと言えよう。
「がはぁっ。おぼ、おぼばぼぼぉ」
おやうく溺れかけるところだった男は、なんとか自力で岸まで泳ぎ切った。
(おのれ……おのれルークエインめ! 俺様から大地の幻獣を奪いやがって!)
この男。名をアルゲインという。
そう。ボスの頭突きによって星になったアルゲインである。
だが星々の神はこの男を拒絶した。
とカッコよく書いたが、たんにふっ飛ばされただけだ。ただしゆうに1キロは飛んでいる。
地面に落下していれば確実に死んでいたであろう。
だが幸運にも彼は生きていた。
「くく、くははははははは。神は俺様に味方したのだ。そう、俺様は──」
体力も限界で下半身はまだ水に浸かったまま。仰向けに倒れるアルゲインの頭上から、ガサガサという葉の擦れる音がした。
茂みから出てきたのは、まだ太った少年だった。
生気の感じられない少年はふらふらと歩いてやって来て、アルゲインから十数メートル右で湖に向かって倒れた。
(な、なんだ?)
倒れた少年はぐびぐびと音を鳴らして湖の水を飲み始める。
いったいいつまで飲むのか、アルゲインが不気味さを抱く頃になってようやく面を上げた。
「っぶぱぁー、はぁー、はぁー……い、生き返ったじゃん」
(じゃん? ちっ。こんな所であのクソ生意気なガキと同じ口癖の奴に出くわすとは)
少年は水をたらふく飲むと、そのままごろんと仰向けに転がった。
くしくもアルゲインとは逆向きで転がることになったこの少年──。
(いや……似ている……。クソ伯父の娘、アンジェリーナの豚に)
アルゲインにとってアンジェリーナは従姉にあたるが、彼はそれを認めたくはなかった。
同じ血が流れていることを認めたくないほど、あれは醜かったからだ。
数回ほどしか会ったことのないアンジェリーナだったが、あまりにも強烈な容姿から嫌でも忘れられない。
すぐそこで転がる少年の横顔は、そのアンジェリーナに似ていた。
そして十年前、伯父であるアッテンポーに王宮勤めの口利きをして貰おうとゴマすりに行った際、そこで見た伯父の孫──エンディンの口癖も「~じゃん」だった。
アルゲインは戦慄を覚えた。
あの醜い豚女が生きている。
死んだという報告を聞いた。なのに生きているのか!?
(い、いや……他人の空似だきっと)
他人の空似などではなかった。だがアルゲインは勘違いしている。
アンジェリーナは確かに死んだ。だが息子のエンディンは生存していたし、アンディスタンの大地を耕している──はずだった。
「このボクちゃんに、朝から晩までずっと土弄りさせやがって……しかもご飯がたったの一日五食なんて信じられないじゃん!」
少年は突然吠えた。
普通、一日五食も食べる人間は早々しない。ましてそれを「たった」と言い放つ者など……。
「それもこれも、全部ルークエインが悪いじゃん!!」
豚が吠えた。
そしてアルゲインは確信した。
(アンジェリーナの子下がれっ!? い、生きていたのか。なら豚も?)
ようやく体が動くようになったアルゲインは、体を起こして辺りを見渡した。
誰もいない。
ここにはアルゲインとエンディンの二人しかいなかった。
「君……ひとりなのか?」
アルゲインは意を決してエンディンに声を掛けた。
会ったのはエンディンがまだ六歳の頃だ。自分のことを覚えているはずはないと、そう思って。
「あぁん? 誰じゃんオッサン」
「オッサ!?」
アルゲインは少しショックだった。彼の年齢は二十九歳。
オッサンかそうでないか、とても微妙なお年頃だった。だがもしろん、オッサンなどと呼ばれたくはないのだ。
「オ、オッサンではなく、俺はア──」
ここで名前を名乗るべきか、アルゲインは悩んだ。
アルゲインは伯父を恨んでいる。
彼の父が祖父から勘当させられたのは、全てアッテンポーの仕業だったから。
アルゲインの父が弟、アッテンポーが兄という関係であったが、実は二人は同じ日に生まれている。つまり腹違いの兄弟だ。
そして正妻の子がアルゲインの父であった。
公爵家の家督がどうしても欲しかったアッテンポーは、事あるごとに弟に嫌がらせをし、父の前では正妻の子を引き立てるよう見せていた。
元々それほど出来のいい弟ではなかったが、実はアッテンポーもそれは同じ。ただし悪知恵が働き、性格が悪いのはアッテンポーの方だった。
アルゲインの父はおっとりしていて、比較的温厚な性格だったのだ。
だからこそ陥れられた。
アルゲインはそんな父を嫌っている。どうやら彼は伯父であるアッテンポーに性格が似ていたようだ。
彼の父親は公爵家から追放され、貧乏子爵家へ婿養子として出された。
アルゲインは敗者である父を恨み、父を追放した伯父を恨むことはなかった。
成人した彼は、伯父に取り繕って王宮に召し抱えて貰おうとしたその時までは。
(あのクソ伯父め。いう通りにすれば口を利いてやると言っておきながら、自分が出世するために俺様を利用しやがって!)
そう。アッテンポーは突然やって来た甥に対し、王宮勤めの口利きをしてやると言ってそうはしなかった。
彼のギフト『調教の才』を使ってゴブリンを使役させ、適当に村を襲わせた。そのゴブリンをアッテンポーが対峙する。
調教されたゴブリンなどと知らない者は、アッテンポーが英雄のように見えただろう。
当然、アッテンポーに対する国王の評価も上がる。
トントン拍子に出世したアッテンポーは、海軍への配属を希望して士官に。
自分になびかない海賊は、アンジェリーナの『大波小波』で壊滅させ自分の功績に。
こうして海軍司令官に上り詰め、裏では海賊と手を組んで商船を襲わせていたのだ。
で、アルゲインは伯父が士官になった瞬間に用済みとしてぽい捨てされた。
だからアルゲインは伯父を憎むようになった。
さて、アルゲインの身の上話はこれぐらいにして──
(このガキが俺のことを豚からどう聞かされているかだな)
「お前、誰じゃん?」
「名前を尋ねる場合、まず自分から自己紹介するものだ。貴族ならそのぐらいの礼儀、嗜んでいるだろう?」
「ん? どうしてボクちゃんが貴族だと? あ、分かったぞ! ボクちゃんのこの溢れる気品で、すぐに分かったじゃんね」
泥まみれでごろごろ転がるのを見て、どこにどう気品があるのか。
その返事を聞いてアルゲインは確信した。
こいつはアホだ──と。
正解。
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