1-3 魚の目と再認識

 自宅から歩いて約40分。ようやく俺が通っている学校、城永しろなが高等学校にたどり着いた。

 いつもはその半分の時間で登校しているが、今日は寄り道しなくてはいけなかったため、遅くなってしまったのだ。


 校門の前で挨拶運動をしている生徒会やふざけあいながら登校する生徒、朝練でグラウンドを走っている陸上部など、いつもの見慣れた光景にほっとした。

 それとほぼ同時に少し緊張もした。彼女が現在どうなっているか、知ることができるかもしれないから。

 一応、噂になっている可能性もあるので、周りの声に耳を傾けながら歩いてみる。今のところそれらしい会話はないが、近くで起こった殺人事件だ。一人くらい知ってる人はいるだろうと、更に聞き耳を立てようとしたとこで後ろから俺を呼ぶ声がした。


「タロちーーんッ!おっはよー!」


「おう、おはよう昌。」


 振り返ると、一年のときのクラスメイトで友人の菅原すがわら まさが大声で手を振っていた。


「って、うおぉ!タロちんどしたのその顔!?特に目!目が生きた魚の目だよ!!

大丈夫なの!?」


 あぁ、だから俺に挨拶した生徒会のやつの顔が引きつってたのか。あと昌、お前のことだから変に気を使ったんだろうが、例えるなら生きてちゃダメだろ。まあどっちも変わらんけど。


「…ちょっと寝不足でな。」


「またバイト?大変なのは分かるけど、程々にね。」


「おう、ぼちぼち頑張るわ。」


「うん!応援してる!」


 昌は、「じゃあまた!」と手を振って別れたあと、すぐさま別のやつに声をかけていた。

 昌はいつも底抜けに明るくてとにかく元気。少しおバカなとこもあるが、そこが愛されキャラである所以だろう。

 精神的にかなり参っていたけど、昌のおかげで少し元気が出てきた。


(サンキューな、昌。)


 心の中でお礼を言いつつ、さっきよりも少しだけ軽くなった足取りで教室へ向かった。


 俺の席は、教室を入って一番奥側の最前列という微妙な位置にある。教室を見回しながら自分の席に着くと、カバンを置いてすぐ机に顔をうずめた。


(…疲れた。)


 本当に疲れた。昨日は学校が終わったらバイトに行き、月を見に公園へ行ったらあれを見てしまい、全力疾走で家まで帰った後はオールナイト。当然といえば当然だろう。

 頭は妙に冴えていて、眠気はない。しかし、人の多いところで安心したからか、身体は異常なほど重く感じ、明らかに疲れを訴えていた。


 徐々に騒がしくなる教室のなか、少しでも身体を休めようと目を閉じると、元気いっぱいの声が教室中に響き渡った。


「みんなおっはー!!」


「おっはー!」

「おーっす。てかおっはーとか古くねぇ?」

「いつ見ても眩しい笑顔だねぇー。寝不足な私にはキツいわー。」

「好きだ…」

「おい!また既読スルーしたっしょ!」


 横目で入り口を見ると、すでに十数人が彼女を取り囲んでいる。それ以外のクラスメイトも、彼女の笑顔につられて笑顔になる人もいれば、いつ話しかけようかとソワソワしてる人もいる。

 そんな人たちにも彼女は嫌な顔一つせず、話しかけてきた友達一人一人に笑顔で対応(一人だけ苦笑いで)し、自分の席に座わってからも、ひっきりなしに話しかけてくる人たちと楽しそうに話す。

 これが新しいクラスになってから一ヶ月間毎朝なのだから彼女もクラスメイトもある意味すごい。

 そんな騒がしい日常のなか、俺は視界の端で彼女を観察しながら思う。


(あぁ…彼女は、旭 優希はいつも通りに登校してきた。)

 

 昨晩の彼女は、純粋無垢な子供のような笑顔で、そこに恐怖や戸惑いなど微塵もなく、普段学校で見る旭 優希そのままだった。

 あれが旭にとって普段と同じような出来事だったとしたら。いつも通りに、何事もなかったかのように登校してくるんじゃないか。

 さすがに考え方が飛躍しすぎているとは思うが、結果的には予想通りである。


 そのおかげと言うべきか、心臓の鼓動は速くなっているものの、思ったより落ち着いている自分にほっとした…のも束の間、旭と一瞬だけ目が合った。

 俺は慌てて視線を逸らし、机に顔をうずめる。しかし、一拍おいて椅子から立ち上がる音が聞こえたかと思うと、足音がこちらに向かってきた。


(嘘だろ、なんでこっちに…)


 急な接近で脳の処理が追いつかない。


(おかしいだろ!なんでこんな人の多い場所で接触してくるんだよ!)


 ついに足音が俺の席の前で止まる。

 心臓が激しく脈打ち、空っぽの胃袋から何かが込み上げそうになったところで、頭の上から声が聞こえてくる。


「タローくん、おはよ!」


 こいつは声もかわいいんだなって思った自分を殴りたい。


 ゆっくりと顔を上げると、太陽と称される眩しい笑顔が、想像よりも近い位置にあって一瞬、呼吸が止まった。


「うわッ!顔色めっちゃ悪いけど大丈夫?なんだか焼き魚みたいな目してるし、風邪でも引いた?」


 「お前のせいだよッ!」と言いたい気持ちをグッと堪えて、頭をフル回転させる。

 …焼き魚ってなんだよ。死んだ魚よりも更にひどいですよって意味なのか。


「ああ、ただの寝不足だから、ちょっと寝たら大丈夫。」


「ホントに?汗もかいててキツそうだし…私ってたぶんきっと保健委員?だったような気がするからさ、一緒に保健室いく?」


「いや、自分の委員くらいしっかり覚えとけよ。本当に大丈夫だから。」


「むー…了解!ツラくなったらすぐに言ってね?」


「わかったよ。ありがとう。」


 なんだか納得していない様子ではあったが、バイバイと手を振って自分の席に戻っていった。


(…マジでビビった。吐く一歩手前だった)


 いきなり目の前に来たんだ。普通に会話できた自分を褒めてやりたい。そこで初めて、自分が小さく震えていることに気づいた。

 俺が甘かった。いくら予想していたとはいえ、まさか急に接触してくるとは思わなかった。まだ頭の中がグルグルして思考がまとまらない中、ただひとつだけ分かったこと。


(あいつは異常だ。)


 そのことを再認識させられたとこで、朝のホームルームを知らせるチャイムが鳴った。

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