第9話 現場検証

「それにしても、御出世がどうこうだなんて、私そんな権力、持ち合わせては居りませんわよ」

「ハハハハ、それがまんざらブラフと云う事でも無いのですよ。伯爵閣下は貴族院議員であられますし、まして警視庁も生前の御隠居様には、随分世話に成っていましてね、もし小町ちゃんが御両親に話をすれば、恐らく警視庁のお偉方に伝わるでしょうからね。そうなれば、まず左遷でしょうな、離島勤務とか」

そういえば出かける前お母様が、「虐められたらお母様に言うのよ!」って言ってたのはそういう事だったのね。

恐るべし蘆屋家だわ!


警部補が少しこんもりと盛り上がっているシーツの前に立ち、ニンマリと笑みを浮かべて聞いてきた。

「お嬢ちゃん、大分損傷の激しい遺体ですが、本当に宜しいのですかな?」

「少しお待ちを」

懐からハンカチを取り出し鼻と口に当てる。

「宜しくてよ」


「吐いて現場を荒らすなよ」

警部補が合図するとシーツが取り払われた。

シーツの下に籠っていた死臭が舞い上がり鼻を刺す。


確かに、無残な遺体がうつ伏せで横たわっていた。

遺体の周囲は大量の血痕や肉片が飛び散り、中佐から受けた説明に有った通り、頭部の左半分が削り取られた様に無く、そして右腕の肘から先が無かった。


ウッと上村さんは口に手を当て、吐くのを我慢している様だ。

まあ、普通はこういうリアクションよね。


私はというと……以前お爺様に後学の為にと、ネクロマンサー退治に付いて行かされて以来、この手のグロには免疫が出来てしまったわ……。

乙女にあるまじき事よ!


因みに曹長さんは、眉一つ動かさず見下ろしている。

さすがね。


警部補がフンと鼻を鳴らす。

どうも、私の薄いリアクションがお気に召さなかったみたい。


まあ、そんな警部補は放って置いて、遺体を検分しましょう。

頭部の削り取られた方の半分は、多分周りに飛び散っている肉片がそうね。

だけど、右腕は見当たらない。


「右腕が見当たらに様ですけど、何処に行ったのかしら?」

「さあな、野良犬が咥えて持って行ったんだろう、犬の足跡が有ったからな」

警部補がぶっきら棒に答える。


「犬の足跡が有りますの?」

「ああ、土佐犬ぐらいある大型の犬の足跡だ。恐らくこの男も、その犬に噛み殺されたんだろうよ」

なんか随分適当な推理ね。


だいいち、土佐犬に襲われてこんなに成るかしら?

腕は刃物で切られた様に、とまではいか無いまでも、結構鋭利にスーツの袖事切り取られているし、頭部に至っては、明らかにかじり取られたものでは無いわ。

だって、かじられたなら、そのかじり取られた肉片は口の中、こんなに周囲には飛び散らない。


取り合えず、詳しく観てみるしかないわね。

集中し、魔力を両目に集める。


遺体の傷口から薄っすらと、黒くくすんだ紫色の煙の様なものが立ち上っている。

残留魔力だわ。

これは、魔力を帯びた攻撃を受けた痕跡。

でも、この色合いは……。


「何か分かりましたか?」

私の怪訝な表情に、ハンカチで鼻と口元を抑えながら上村さんが声をかける。

「やはり、野生動物や野良犬などでは有りませんわ」

「では、やはり大使閣下の御令嬢が仰る通り、悪魔によるものと……?」


「いえ、確かに、この御遺体の傷口には残留魔力が残っていますわ。ですから、野生動物や野良犬などでは無く、魔力を持った者に害されたのは、間違いありません。ですが、残留魔力に強い濁りが有りますの、召喚された悪魔は純粋な魔力の結晶の様なものですから、もっと色合いが鮮やかなはず、なのですけれど……」


「まったく、適当な事を」

あざ笑う口調で警部補が茶々を入れる。

貴方の推理程適当じゃありませんわ!

まあでも、魔力を見る事の出来ない人にとっては、信じがたいのは仕方ないかも。


「どうせ、見える振りをしてるんだろうが、もしそれが本当なら我々にも見える様にして欲しいものだ」

あら、それは良いかも!

「出来ますわよ」

「なに?フン、面白いやってみろ」

「では、そのまま立っていて下さいましね」

警部補の背後に回り、背中に手を添える。

警部補の背中から両目に向けて魔力を注入する。

「うわ!何だこれは!貴様、俺の目に何をした!」

「何と仰られても、警部補殿のお望み通り、魔力を見える様にして差し上げただけですわ」

少しイタズラで、全身から魔力を無駄に発散してみる。

「うわっ!」

警部補は驚いて尻餅をつく。

多分警部補の目には、私が放つ大量の魔力が見えるはずよ。


まあ、これ位にしてさし上げましょう。

発散していた魔力を抑える。

「心配しなくても、暫くすれば元に戻りますわ」


「これは凄い……魔力を見える様に出来るのですか」

上村さんは、感心したように頷いている。

「もし、宜しければ私も?」

「ええ、宜しくてよ」

上村さんにも、魔力を注入する。

「おお、凄いですね!確かに、御遺体の傷口から紫色の煙の様な物が見えます」


「曹長さんも如何ですか?」

曹長さんの顔を見上げて聞いてみる。

「いえ、小官はその……またの機会に」


警部補は目頭を押さえ、未だ座り込んでいる。

少しやりすぎましたかしら……。

まあ、放っておきましょう。


さっき迄、吐きそうだったのを忘れて、珍しそうに遺体の傷口を覗き込んでる上村さんに歩み寄る。

「上村さん、これ覚えてらっしゃる?」

さっき魔法陣を描いた10円札を取り出す。

「ああ、これは先ほどの……これが何か?」


10円札に魔力を通すと、白く光り出し、粘土の様に形を変え、猫の姿へと変化していく。

輝きが収まると、腕の中に一匹のキジトラ模様の猫が。

そして、「にゃー」と甘える様に声を上げる。


「これはまた、可愛いものですなー。猫を召喚する魔法でしたか」


「この子の魔力と、御遺体の傷口とを見比べになって」

「あっ!確かに違いますね、猫ちゃんの魔力の方が鮮やかで澄んだ色をしてます」

「ええ、召喚されたものは大抵、悪魔であれ猫であれ、この様な魔力の色をしていますわ」


「それと、此方も」

右手に魔力を流して上村さんに見せる。

「人の持つ魔力も、多少の個人差が有れど、この様に若干くすんでいるの」

「ですが、御遺体の傷口に残っている魔力は、さらに黒く濁っていますわ」


「では、悪魔でも、人でも無い加害者の正体と云うのは……何者なのでしょうか?」

真剣な面持ちで上村さんが聞いてくる。

「御免なさい、さすがに此れだけの情報では何とも……」


「すみません、少し慌ててしまった様で。それに、そういえば未だ、足跡の方も観ていませんでしたね。警部補殿、足跡の方も見せて頂けませんか?」

上村さんにそう促されて、やっと立ち上がった警部補は、無言のまま手で合図すると、もう一枚のシーツがめくられる。

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