第10話 香水の匂い

白い雪の上に付けられた足跡が現れる。

何となく人の足跡に似ている様な気もするけれど、指が異常に長く、鋭い爪がある様にも見えるわね。

それと気に成るのは……。

「この長い指と指の間に、膜の様なものがある様に見えますわ……これってもしかして……」

私のつぶやきに上村さんが答える。

「ええ、水かきに見えますね」


「と云う事は、もしかして……犯人は河童と云う事なのでしょうか?」

冗談かと思ったけど、上村さんの目は真剣みたいね。

「こういう状況ですから、全否定は出来ませんけれど、お爺様からは河童が実在するとは教わっておりませんわ」

まあ、私の知らないところで、お爺様が河童とバトルしていたとしても驚きませんけど……。

「それに、岩手県の東野の辺りならまだしも、帝都の川に河童が住んでるとも思えませんし」

「成るほど、確かに」

と真剣な表情で頷く。

軽く冗談で返したつもりなんだけど……。


「とにかく、今の段階で、敵の正体を憶測するのは控えた方が良いかもしれませんわね」

「それも、そうですな」


「それと、この正体不明の足跡の周りにあるのが、警部補殿の仰ってた犬の足跡ね」

「ええ、確かに大きいですな、この二頭……と云って良いかは分かりませんが……こいつ等はやはり仲間や群れと云ったものでしょうか?」

「そうですわね……それも今は保留と致しましょう」


「そういえば一つ気に成ってる事が有りましたの。御遺体や足跡にシーツをお掛けに成ったのは、何方ですの?」

そのおかげで、昨晩降り続いた雪から証拠が守られたのだけど、正直警部補がそんな気の利いた事をするとは思えないし、仮に警部補が、実は出来る人だとしても、大使館から外務省に応援の要請が有ってからでは間に合わないでしょうから。


その質問に警部補が答える。

「その事か、私が来た時には既にシーツが掛けられていた、どうやら大使館の人間にも気の利いた者が要る様だ」

どなたかは……聞いても無駄そうね。


「それでは、上村さん、関係者の方達のお話しをお伺いに参りましょう」

「そうですね、では大使館の応接室の方に参りましょう。皆さんそこで、待ってて貰うことに成っていますので」


「では警部補殿、我々はこの辺で」



応接室に向かう道すがら。

「おっと!」

「キャッ!」

応接室手前の階段から降りてきた男性と肩が当たり、よろめいた私の肩を曹長が慌てて手で支える。

「これは失敬、お嬢さんお怪我は有りませんか?」

男性が声をかける。

少女漫画なら何かが芽生える展開ですけど……無いわね。

30代後半くらいのおっさんだし、それに生え際が少し残念な事に成ってるわ。

「ええ大丈夫です、怪我は有りませんわ」

それにしても、この匂いは……香水かしら?

ベリー系のフルーティーな香りですけど、少し香りが強過ぎるわね。


「有難う曹長さん」

支えてくれた曹長さんに礼を言おうと見上げると、何か渋い顔をしている。

香水が苦手なのかしら?


「これはビンガムさん、丁度我々も応接室へ向かおうとしていたところですよ」

「ミスター上村、これは失礼した」

「小町ちゃん、こちら参事官のジェームズ・ビンガムさんです」

上村さんが簡単に紹介してくれる。


「大使閣下とご家族を、あまりお待たせするのも申し訳ありませんから、取り合えず応接室の方へ行きましょう」

「そうですな」


ビンガムさん、上村さんの後に続き応接室に入ると、外交施設だからだろうか、なかなか豪華な調度品が飾られている。

私たちの入室に気付いて立ち上がった、恐らく大使閣下と思われる男性と、その御家族に向け一礼する。


その時、後から入室してきた誰かが「失礼する」と私の横をすり抜けていく。

恰幅の良い40代の男性が通り過ぎた後、ベリー系のフルーティーな香りが漂う。

あら、またこの匂いだわ、参事官さんよりは控えめだけど。

それにしても、同じ香水だなんて、流行ってるのかしら、それとも……。

……変な想像しましたわ、デブとハゲのおっさん二人では、腐女子のお姉さま方でも萌えませんわ。


何となく気に成って曹長さんを見ると、やはり渋い顔をしている。

やっぱり香水が苦手なのかしら?

それとも、曹長さんも変なことを想像してしまったのかしら?


「どうも大使閣下、遅くなってすみません。先に事件現場の方を見せてもらっていました」

「いや構わん、我々も今来たところだ。娘がぐずっていたものでね」

上村さんと大使が握手を交わす。


「こちら、蘆屋伯爵の御令嬢で蘆屋小町様です」

上村さんの紹介に合わせて、袴の裾をつまんでカーテシー風に挨拶する。

「蘆屋小町と申します、宜しくお願い致しますわ」

「おお、では貴女がマスター・アシヤの後継者ですか、此方こそ宜しくお願いします。英国大使のチャールズ・ノートン・リンドリーと申します」


「大使閣下は男爵家の当主であられまして、大の親日家でもいらっしゃいます。おかげで今、日英は凄く良好な関係なんですよ」

上村さんは続けて、大使閣下よりも20歳年の離れた奥様のマーガレットさんと、事件の唯一人の目撃者で、大使夫妻の御令嬢のステラちゃんの紹介をしてくれた。

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