第142話●頼んでいません
雨降りだ。
今日は王妃様の外出がなくなり護衛も不要だと言うことだったので、アムネリアに自分は少し出てくると伝えてきた。
町を囲む山には落ち着いた色が付き始めているせいで、人足が少なく雨に煙る町並みには厳かな雰囲気さえ感じる。
その中でも特に平素から厳粛な雰囲気を
床石にコツコツと足音が響くことに妙な罪悪感を覚える。
いくつもの気になる視線を感じながら、前回と同じように建物の奥、柱の影に作られた扉をノックして入ると見知った顔が振り向いた。
「……何故貴方がここにいるんですか?」
この部屋はこの建物の事務所だ。
入室した俺の方を向いた事務員に黙礼した後、ここにいるはずがないエドワード様にいつもより固めの口調で聞いた。
「何故ってホセルスの手が回らないみたいだったから私がやっているんじゃないか」
「頼んでいません」
「そうだな、頼んだのは私だからね。だから自分で確認に来たんだ」
あんな人数を引き連れて!と口から出そうになったが、今日は幸いなことに雨降りだからこの建物を訪れる者も少ない。
深呼吸をして気持ちを落ち着かせ、本人が来た方がスムーズにことが運ぶのだからと気にしないことにした。
「ありがとうございます」
「いや、それより今、詳しく話を聞いていたんだがすぐにでも可能らしい」
「は?」
「だからいつでも使わせてもらえるそうだ」
「本気ですか?」
「もちろんだ。昨日のうちに住民権の確認もして来たんだが、ホセルスのお陰でこの町の滞在日数も足りていたから問題なかった。彼女の方はもとから問題なかったから二人分の証明書をもらって来たよ」
俺がモチェスのアパートをエドワード様の名前で借りてから2ヶ月以上経つから住民権が取れることはわかっていたが、この建物をいつでも使えるってどういうことだ?
「確かにこちらには提出していただいた証明書をお預かりしておりますが何か問題がおありですか?」
事務員がエドワード様と王妃様の名前が記載されたモチェスの住民証明書を並べて見せてくれた。
「いえ、問題はありません。少し驚いてしまっただけです」
「そうでしたか、ではこちらはお預りいたしますがお日にちはいかがされますか?
トライネル王国、国教会のアントニオ大司教様からご紹介していただけたとは私共も大変誇らしいです。
明日からしばらくはこちらを利用される方があまりおりませんので、先ほどおっしゃられたような簡単なものであればいつでもご利用いただけますよ」
「大司教様の紹介?」
首を傾げて顔を向けるとエドワード様が頷いているが、この方が自分で動き出したらもう何でもありだ。
「ね、私は今後こちらにはなかなか来ることが出来ないし、ちょうど彼女も来ているのだから今しかないだろう?」
「そうですね」
俺にはこれ以外の返事を選択することは出来なかった。
***
「ですから、ロゼリアーナ様はお世継ぎのことを考えられて身を引かれるおつもりなのだそうです」
外出から戻るとアムネリアから相談があると言われて聞いていたのだが、話の内容に驚いて聞き返しても、同じことを繰り返し言われてしまい
決してストレスから来る目眩ではないと思いたい。
「こちらの若夫婦の奥様がご懐妊だそうで、今日の午前中はそちらでご一緒に過ごしておられたのです。どうやらその間に思うところがおありになったらしく、お部屋へ戻られてから先ほどのお話をしてくださいました」
アムネリアは一人で胸にしまっておくことも出来ず、こういう時は今までならリカルドに相談をしていたらしいが、生憎この場で話せるのが俺だけだからと待っていたらしい。
「確かにお世継ぎの件だけを考えれば話の通り王妃様が必要なのだが、本人にはその気がないということなのか?」
「ご自分は一度離婚した身だからと諦めていらっしゃいました」
「……エドワード様は何も話をしていなかったのか?」
「陛下が何か?」
「あ?あぁ、いや、陛下は納得されないだろうと思ってな」
「そうでございましょうとも。でも決まりは決まりかと……」
立ち話が出来る内容ではないからと空き室を借りたのだが、あまり長く二人でいて良いものではない。
「とりあえずどのような覚悟をされているのかはわかった。ありがとう。しかし、アムネリアが心配するようなことにはならないと思う。今すぐ答えが出ることではないから、しばらくこの話は私が預かる。いいな」
「はい。よろしくお願いいたします。では私はロゼリアーナ様のお部屋へ戻ります」
先に部屋から出ていったアムネリアの表情は始めの時より強張りが取れていたようだ。
しかしこの話は急ぎエドワード様に知らせるべきだな。
俺は戻ったばかりの屋敷からエドワード様が滞在している宿屋へ向かうことにした。
夕暮れまでまだ少し時間がある外は朝より雨足が強くなっていた。
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