第91話●母達からの呼び出し

 侍従が入って来た扉の開閉音が聞こえて目が覚めた。


 最近は睡眠時間をしっかり取ることが出来るようになり寝起きも良くなっている。


 広い寝台で一人でいることには慣れたくないし寂しさを感じてしまうが、意識してその気持ちから目をそらす。


 今日もやることは待ってくれない。


 顔を洗った水の冷たさが心地好く、気温が高くなった夏を感じる。


 侍従が開けた窓から吹き込んだ風がまだ湿り気を残している肌に気持ち良くさらりと触れた。


「陛下、宰相様から今朝は少し遅くなるとの連絡が入っておりました」


 侍従が水盆を片付ける前に言った。


 ヴィクトルには珍しいことだと思いつつ、最近は鬼気危機迫るほどの忙しさから解放されて来ているので、それほど焦って片付ける書類も案件もないはずだから私も少しゆっくりすることにしよう。


 身支度をして朝食を済ませてから私室に近い庭園に出ると、光沢ある緑色の葉の間から白い花を咲かせているクチナシの甘い香りがただよってきた。


 クチナシの花言葉は『とても幸せです』『喜びを運ぶ』と知って、ロゼリアーナと婚約してから庭師に植えさせたものだ。


 またロゼリアーナと二人で訪れるのだと強く思いながら香りを撒き散らす花を眺めていると侍従が呼びに来た。


「陛下、王太后様からお茶会への招待状が届けられたのですが、開催日時が本日の午後とのことです。宰相様がまだ登城されておられませんのでこちらへ直接届けられたようです。いかがされますでしょうか」


 母上には突然の呼び出しはご遠慮いただくようお願いしてあったはずなのに何かあったのか?


「わかった。とりあえず伺うと返事をしておいてくれ。都合が悪くなるようであれば連絡を入れることも言い添えて」


「かしこまりました」


 侍従が去って行くのを見送り再び庭園に向かおうとしたが、ヴィクトルがいなくても片付けておけるものがあれは済ませておいてもいいかと思い立ち、行き先を執務室へ変えることにした。



 ***



「申し訳ありません、遅くなりました」


 執務室で侍従を一人残して政務を片付けていると昼近くになってヴィクトルが入室して来た。


「いや、私一人でも片付けられるものが随分増えたからやっておいた。調整するものもあるだろから確認してみてくれ。それよりヴィクトルが遅れるなんて珍しいな」


「あぁ。早朝に母から呼び出されて別邸へ顔を出したんだが、実家であったいろいろの話を聞かされて、ようやく最後に本題だっていうこれをエドワードにお渡しするよう言い遣って来た」


 侍従が出て行きヴィクトルの口調が戻った。


 ヴィクトルが執務机の上に置いたのはアクセサリーケース。


 それを見てからヴィクトルに視線を向ければ困惑しながら説明し始める。


「それは母上からなんだがな、公爵領で採掘された水晶の中から『水入り水晶』が見つかったそうだ」


「『水入り水晶』!?」


「そうだ、私も驚いた。さらに驚いたことに母上がその貴重な『水入り水晶』を加工させたと言われたんだ」


「なんて思い切ったことを……」


「まぁ、母上だからな。それでどうしてそうなったかと言えば、マリー様から王妃様とエドワードの事情を聞いたからだそうだ。二人のことについて私から母上には何も伝えていなかったからな、自分には連絡が来ていなかったとしばらく文句を言われた」


 ヴィクトルの頬が引きつっているところを見るとかなり言われたんだろう……すまん。


「話はそれたが、母上がそんな大それたことをされた理由はエドワード達の為なんだそうだ」


「は?私達の為に貴重な『水入り水晶』を加工させたと言うのか?」


 いやいや、記録にはあるが現物が今現在、国内には存在が確認されていないと言われているものなのだから、そこは国宝登録するところじゃないのか?


「母上が言われた言葉をそのまま言うとだな

『愛している者同士は一緒にいるのが一番の幸せ』だそうだ。これはエドワードに献上するものだから好きにしていいらしいぞ」


「それはこんな大層な代物しろものを個人的に好きにしていいと言うことか?それは国王としてもおかしいだろう」


「国王が王妃に贈るのなら問題ない。国王であろうと王妃であろうと所持するものは国の物だからな」


 さすが宰相だな。我が国のことを良く知っている。


 アクセサリーケースを手に乗せて開いて見ると、立柱の先が下向きになった『水入り水晶』がまず目に止まり、持ち上げるとネックレスの鎖がさらりと尾を引き、水晶の真ん中辺りに揺れるものが見えた。


「これが『水入り水晶』か」


 水晶を細い金の細工が立柱の辺に沿うようにぐるりと囲い、上部にはどのようにしてあるのか薔薇細工が取り付けられている。


 さらに細工された『水入り水晶』の周りを白金で出来た縦長の楕円が囲み、その楕円には小さなダイヤモンドが上下左右に一つずつ嵌め込まれている。


「見事な細工だな」


「母上から直接有名な工房に依頼したそうだ。これ以上の贈り物はないだろう」


 公爵夫妻の豪胆さにはかなわないな。


「確かにそうだろうな。ありがたく受け取らせていただこう。礼を伝えてくれるか?」


「……エドワードから直接伝えてくれ」


 そんなに嫌そうな顔で断らなくてもいいだろう。


「わかった。これの代わりに返せるものはなかなかないから、とりあえずお礼の手紙を送っておくよ」


 ネックレスをもう一度眺めてからアクセサリーケースに戻して引き出しにしまった。


「ところで、私も母上から今朝呼び出しを受けてね、こちらは今日の午後からお茶会だそうだ。行くつもりで返事はしてある。政務に不都合があるようならやめるから、それも確認してくれ」


「そうか、わかった。話はここまでだな。

 ではこちらから確認させていただきます」


 ヴィクトルは書類に集中し始めた。



 左手の指輪のアメジストを見る。


『愛している者同士は一緒にいるのが幸せ』


 私もそう思う。


 私はロゼリアーナを愛しているし、ロゼリアーナもまだ私を愛してくれていると信じている。


 早く君に会いたいよ。

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