第32話●すがる者と待つ者

 自分が口にした言葉を聞いた側近二人がそれぞれの部下達とともに王都へ戻ってから三日目、側近筆頭も王都へ立つことにしたらしいと報告を受けて、アルスタールは彼の部屋を訪れた。


「おぬしも戻ると聞いたが意外じゃな。先の二人はともかく、おぬしはキャスカリオと共に残ると思っておったのに」


 勝手に部屋へ入って来てソファーに腰かけると、前国王アルスタールはウィリアムズ・ジェラルド侯爵の側仕えに酒を持ってくるよう言った。


「アルスタール様は一昨日から酒量が増えましたな。今日は朝から…。お体は一時期よりは随分回復されましたが、ワシ達も同様、度を過ぎるのは良くない歳にはなっておりますぞ」


「なに、もうたしなめるものがおらぬゆえ、儂も好きにすることにしたのじゃよ」


 自虐気味に笑いながら組み合わせている両指のうち、右人差し指を動かしている。


 何か思うところがあるときに出るアルスタールの癖だとジェラルド侯爵は知っていた。


「どうぞ。出発まではまだしばらく時間があったような…。ははっ、これではまた聞いたことも忘れてしまうやもしれませぬな」


 ジェラルド侯爵は、アルスタールがここ二年弱の間、精神的に塞ぎ込むことが多かったため、溜め込まないで吐き出させるよう積極的に聞き役をしていた。


「おぬしは……。うむ、そうか…。

 儂はな、もう、少しもなにかをやろうという気力が湧いてこんのだ。なにかを始めたとしてもやりきれる自信がない。

 それなりに国王として国を治めて来たつもりじゃが、それらはおぬし達がいたからこそ。儂一人では出来なんだ。これからも出来んだろう。エドワードからも頼られたことがないしの。

 それに、すでに王ではない儂には今はもう何も残っておらぬ」


 人差し指は一定の間隔を開けて動いてい る。


おのれ個人のことにしても、エドワードがロゼリアーナを得たように、儂もメリットを得た。しかしあやつらのように皆から祝福されたものではなかった。メリットは何も言わんかったが、寂しい思いをさせたまま死なせてしまったのだ。儂は愛した者を真に幸せにしてやることが出来んかった。愛してはいなかったが大切にはしていたつもりだったマリーテレサも愛想をつかされておる。

 おおやけの立場から降りた儂にはおぬし達を留める力も理由は元からなかったのだ。ベルナリオとジャムヌールが去り、今度はおぬしも去って行くとしても仕方がないことだとは分かっておる」


 アルスタールの心の声が聞こえた気がする。


 生きる目的がない。隣に妻はいない。側近達も去っていく。おぬしも行くのか。寂しい。


 窓の外からはジェラルド侯爵の部下達が出発の準備の確認を取っている声がしている。


おおやけには臣として、わたくしには友として、ワシにとってのアルスタール様は善きお人ですぞ。ワシにはそれで充分近くにおる理由になりますわい。ワハハハハ。なに、ワシは少し気になることを確認をしに行くだけ。じきにアルスタール様の元へ戻って参りますわい」


 アルスタールとジェラルド侯爵は共に来年50歳を迎える。


 側仕えが運んできたワインで乾杯をする。


 互いが妻をめとる前日、戴冠の儀の前日、退位の前日、二人で酒を交わしてきた。


「とりあえずの目標となるかのぉ。少しでも長く、こうして酒を飲み交わしたいと願うのも」


「これからの人生を謳歌することを目的となされるのなら、それもまたひとつの目標なるでしょうな。ですが、飲み過ぎないのであればですが」


「そうか……ふっ」


「「ワハハハハッ」」



 出発予定時刻を過ぎ、ジェラルド侯爵が王都へ向かったのは昼近くになってからだった。



 ※※※ ※※※ ※※※



 マリーテレサは待っていた。


 大切な息子夫婦の幸せを壊した者達を。



 自分は政略結婚だった。


 婚約当初より、エドワードからはマリーテレサを正妃として迎えるが、ただ一人愛している幼馴染も側室として迎えたいと聞いていた。


 だから自分が愛されるとは思わなかった。


 しかし、エドワードが生まれ、息子からは愛された。


 むろん、母親としてだが、自分の存在を信じてくれる愛してくれる存在はやはりいとしい。


 愛しい気持ちを教えてくれた大事な息子と、その息子が愛する優しく強いロゼリアーナ。


 大切な家族。


 家族には幸せでいて欲しい。


 そして王族にとって国家に属する者達も皆家族だ。


 家族には幸せでいて欲しい。


 一人の我が儘が家族から時間や幸せを奪うなどあってはならない。


 失敗には反省とやり直しを。


 そして壊れたものには修復を。


 マリーテレサは待っている。


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