第12話 婚約破棄
ホールは静かだった。パーティが終わったわけじゃない。出席者は踊りもせず飲み食いもせず、チェス盤の上の駒みたいに行儀よく突っ立っている。
「すみません、通して――」
現実世界なら触れれば即ハラスメントで訴えられそうな肩出しドレスの淑女や、指紋がついただけで法外なクリーニング代を請求されそうな高級スーツの紳士を押しのけて、俺は人混みの中心へ移動する。
そして見た。
床に膝をつき頭を垂れるエーデルライト王子と、彼の前に立つアロガンシアを。
エーデルライトの向こう側には、ノーマルーデもまた膝をついていた。
まるで、2人がアロガンシアから説教されているような構図だ。
……なにこれ?
なにこれ?
「あの、すみません」
俺は隣にいた人の良さそうな老紳士にそっと声をかける。
「今来たところなのですが、いったい、なにがありまして……?」
「君、それはもったいないことをしたね。さっきカントラニ嬢がおひとりで入場されたと思ったら、殿下が彼女の前で膝をついて
アロガンシアは困惑を通り越して呆然としている様子だった。
罵倒と侮蔑のなか追放されるのを覚悟してやってきて、実際は
見れば、リータは野次馬の中で立ち往生していた。
彼女の目的はノーマルーデを幸福の絶頂直前で殺すことである。
そのためにはまずアロガンシアが婚約破棄を受け入れてくれねば意味がないのだ。
アロガンシアは心細げに周囲を見回し――俺に気づいて、目配せをした。
もちろん「こんにちは」なんて意味じゃない。「こっちに来い」と言っている。
やだなぁ、この注目の中に出ていくの。
とはいえ無視するわけにもいかなかった。
「ご、ごきげんようアロガンシアさま」
「この状況、どうしたらいいと思います?」
俺が聞きたい。
「アインザム嬢か」
俺に気づいたエーデルライトが顔をあげた。
「君とアロガンシアに言われて、目が覚めた。私は恋の熱情に浮かされて、身近な人間の心を蔑ろにしていたと気づいたのだ。気づかせてくれた君には感謝の意を述べたい」
「俺……いや、わたくしが……?」
なんてこった。俺が最大のリライターになってしまうなんて。
これ、どうやったら収拾がつくんだ?
「だがその上であえて言おう。私のノーマルーデへの想いは、決してひとときのまやかしではないと」
「ソ、ソウデスカ」
知らねえよ――。
背後から圧がする。リータがナイフを抜く時を今か今かと待ち構えている。
アロガンシアのところに出る前にリータを取り押さえるべきだった。
いや、そうなるとパーティは確実にお開きで、アロガンシアの追放イベントは起きない。
だからってこのままでも追放イベントは起きないぞ。
どうすればいいんだ?
アロガンシアが追放されなくとも、恋愛劇の敗者になればそれでいいのか。
破滅しなければダメなのか。その場合、ここからどうやれば原作通りにもっていけるんだ?
いや、そもそも――。
俺はアロガンシアを見た。
アロガンシアも、俺を見ている。
宝石みたいな翠の瞳に、眼のない少女の強張った顔が映っていた。
『――じゃあ、なんだよ。おまえらの感動のために、あの女に死ねってのか――』
彼女だって、ただのお邪魔虫キャラじゃない。
悩みもすれば成長もする、この世界に生きる1人の人間だ。
それを別の世界の都合で破滅させていいのか。それは傲慢じゃないのか。
彼らが自分の意思で考えを改め、別の道を歩みはじめたなら、好きにさせてやるべきじゃないのか。
「逃げてはなりません、アインザム」
アロガンシアが言った。
「あなたもまた己という物語の主人公であるならば、
「…………」
「わたくしの破滅も、誰かの大切な思い出ならば、価値がある。そうではないのですか?」
「…………」
「わたくしに言ってください、あなた。破滅を選べと。なすべき定めに立ち向かえと。それがあなたの使命であり、幸福なら、わたくしはそれを怖れません」
ああ。薄っぺらいのは、俺だった。
俺はテイルズパトロール。現実側の人間で、現実世界の理を第一に行動すると、自分で言ったじゃないか。
ならばそこからブレるべきじゃない。
「……受け入れてくれ、アロガンシア」
「よくってよ」
アロガンシアはエーデルライトに向き直る。
「殿下。殿下の御心のままになさいませ」
「おお……! ありがとう、アロガンシア!」
エーデルライトはノーマルーデとともに立ち上がり、聴衆を振り返った。
「私のわがままと、それを受け入れてくれたアロガンシア・アクーヤ・カントラニの厚意により、私はアロガンシア嬢との婚約解消を、ここに宣言する! そして、新たな婚約者として、ノーマルーデ・アリフレッタ嬢を、皆に紹介したい!」
おそらくこの世界にとって前例がない、王族側が公共の場で臣下に頭を下げての婚約破棄。
そして名前も聞いたことがないような下級貴族の少女との婚約宣言。
観客たちは呆然としていたが――やがてまばらな拍手が、静まりかえったダンスホールに響いた。
それはやがて大きなうねりになっていく。
世間はどうあれ、このパーティの出席者たちは新たなカップルを認めたようだった。
「……なんでだよ!?」
だが1人、ただ1人、全身全霊の叫びをもって異を唱える者がいた。
リータである。
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