第9話 主人公という闇


 クランクルムが――リライターが死んだ。

 それも対決の果てに、というよりはただの事故。物語なら拍子抜けも良いところだ。

 だがまあ、現実はこんなものか。

 現実に生きる俺たちには、ドラマチックな出来事なんてそうそう降りかからない。

 だからこそ、人は物語に惹かれ、求めるのだ――なんて。


「帰還手続きを開始する。衝撃に備えろ」

「待ってください」


 滞在期間の引き延ばしを申請すると、課長は予想通り嫌な顔をした。


「テイルマシン動かすのもタダじゃないんだぞ」

「現実時間にして数十分ってところじゃないですか。タイムカード押しといてくれていいですから」

「そういう問題じゃない」


 課長は俺をじっと見た。

 猫にさえ目が描かれている。このゲームにおいて脇役なんて猫ほどの値打ちもないということか。


「前にも言ったが、おまえまでリライターになるんじゃないぞ」

「なるわけないでしょ。心得てますよ」

「そうかな。アロガンシアにだいぶ影響を与えてしまったようだが?」

「あいつが愛情に飢えすぎなんですよ」

「……まあいい。ま、残るってんならその間も仕事っぽいことをしてろ。監査部に言い訳が利くくらいには」

「了解」


 そういうわけで、俺は遺体安置所に向かった。

 クランクルムの死を確認するためである。

 もうだいぶ遅い時間だったが、友達を喪って悲嘆に暮れる少女に職員は同情的だった。

 現実のままの姿だったら追い返されていただろう。


 壁に収納されたベッドが引き出され、濡れた髪を額に貼りつけた少女の遺体が現れる。

 ピンクの髪をした、目のない顔。

 間違いない。クランクルムだ。


 5分だけ、という約束でふたりっきりにさせてもらった。

 

「……しまらない奴だな」


 テイルズパトロールもリライターも、憑依先を選べない。

 その点こいつは好きなキャラのすぐ近くにいられるポジションにつけた。そこで満足していれば、幸せなひとときを過ごせただろうに。


「残念だろうが、アロガンシアは自ら処刑台に立つつもりだ。そしてノーマルーデは無事エーデルライトエンドを迎える。もちろんおまえの言ってたアロガンシアとノーマルーデのカップリングも成立しな――」


 ……え?


 カップリング?


『僕的にはアロさまとのカップリングはノーマルーデが鉄板だと思うんだ』


 あいつにとっちゃノーマルーデはアロガンシアのパートナーとして必要な存在だったのではないか。

 だが、靴箱に仕込まれていたトラップは殺傷力の高いもので――だからこそおおごとになった――ノーマルーデは危うく死にかけるところだった。


 クランクルムが仕掛けたにしては、殺意が高すぎやしないか?


 まだ面会時間は残っていたが、俺は早々に遺体安置所を辞去した。

 向かうは学生寮だ。

 通りすがりの生徒たちが俺を見て、コソコソよからぬことを囁き合う。

 構わず進む。どうせモブなんて目どころか鼻も口もない、のっぺらぼうの書き割りだ。


 ある部屋の前で、ドアをノック。


「はーい、誰?」


 わずかに開いたドアの隙間からスポーティなショートカット女子が顔を覗かせた。

 くりりとした瞳のチャーミングな笑顔が、しかし敵意に歪む。


「あんた、どの面下げて来たの」

「アリフレッタさんに会わせていただけます、リータさん?」

「馴れ馴れしく呼ぶな!」


 悪いな、ゲームで表示される愛称のが馴染み深かったんでな――と俺は心の中で呟いた。


 リータ――シンツェリータ・バヴァールはノーマルーデのルームメイトかつ親友である。

 原作ゲームでは孤立しがちなノーマルーデを幾度となく支えてくれるほか、「エーデルライトさまとの好感度は30ポイントだよ!」といったふうに、没入感ぶち壊しな台詞で各攻略対象との現在好感度を教えてくれたりするキャラクターだ。


 俺も原作プレイ時は世話になったし、1番好きになったキャラクターでもある。

 その相手から憎しみの目で見られるのは、正直胸が痛む。


「アリフレッタさんに、一言お詫びを申し上げたくて」

「マルーならいないよ」


【――いいえ、リータちゃん。わたし、会います】


 部屋の中から声はせず、ただ、そういう言葉が流れたという認識だけが生まれた。

 マルーがそう言うなら――とリータがドアを開け放つ。


「ほら、入りなよ」

「…………」


 正直、追い返してくれたほうが心情的にはうれしかった。 


【ごきげんよう、アインザムさま】


 人の形をした黒い平面が、俺を出迎えてくれた。

 彼女こそ『主人公』――ノーマルーデ・アリフレッタ。


 『幻麗のアストラルリート』において、主人公ノーマルーデにグラフィックや声優は存在しない。

 プレイヤーの自己投影を高めるためだ。イベントスチルはノーマルーデの視点から見た構図に統一されている。設定すらない。


 それが、他のキャラの視点から見るこの世界においては、人の形をした影として処理される。

 すべての光を吸収するような暗黒は、三次元風に見える世界において二次元的存在のように映った。


【……どうかなさいまして?】


 音を持たない彼女の声は、ただその内容だけが脳内に浸透してくる。

 口元はぴくりとも動かない。


 主人公として魅力ある個性を要求されながら、同時に個性を持つことを望まれないという矛盾が生みだした異形の存在。

 吐き気がする。

 正直、のっぺらぼうのアインザムやクランクルムなど可愛いものだ。


【どうぞ中へ】


 リータが人数分の紅茶を入れてくれる。

 平面的な影法師がカップの持ち手をつかみ、頭部下段まで持ち上げてから、傾ける。


【リータちゃんの淹れてくれた紅茶は美味しいね】


 おまえに味がわかるのか――なんて言いたくなるのをぐっとこらえた。


「下駄箱の件について聞きたいのですけれど」

「まずは謝るのが先だろ」

「あれは私ではありませんわ」

「だとしても、あれ以外にいっぱいやってくれたじゃんか。まだ謝罪を聞いてないんだけど?」

【リータちゃん】

「そうですわね。えっと、その――いろいろ、悪かったですわ」


 頭を下げる。

 いろいろってなんだよ、とリータは追い打ちをかけてきた。

 容赦がない。友達としては心強かったものだが、敵となると面倒だ。


「えっと――教科書を隠したり、親の形見のペンダントを盗んだり、体育倉庫に閉じ込めたり」


 ノーマルーデがくすりと微笑んだ気配があった。

 彼女にとってアロガンシアのいやがらせは、攻略対象との恋愛イベントの前振りでしかない。

 甘酸っぱい思い出のどれかを連想したのだろう。


「机に落書きしたり、えっと、後は――」

【――怪文書を送ったり?】

「え?」


 怪文書。そんなイベント、あっただろうか。


「すみません。その怪文書について、詳しくお聞かせくださいまして?」

【え?】

「いいだろマルー。もう終わったんだから、いやなこと蒸し返さなくてもさ」

【大丈夫だよ、リータちゃん。ええと――】


 ――『エーデルライトさまに近づくな』。


 そう書かれた便箋が、朝起きると机の上に置いてあったのだと、ノーマルーデは言った。


【寝る前にはなかったはずなのに……。どうやったんだろうって、リータちゃんと首を捻りました】

「それだけですの?」

【他にも何度かありました。昼は食堂でカレーうどんを頼め、部活を休め、とか――】


 念の為に言っておくと、ここでいうカレーうどんはそのままの意味のカレーうどんだ。

 前にも言ったようにこのゲームは設定がいい加減で、異世界のはずなのに現代日本の風物が当たり前のように出てくる。そのユルさが受けて人気になったらしいのだから、世の中わからない。


「……カレーうどん……」


 確か、ノーマルーデが汁を飛ばしたせいでエーデルライトの白ランが汚れてしまい、好感度が低下するというイベントがあったはずである。

 部活をサボるというのも、生真面目なエーデルライトからの好感度を下げる選択だ。


「カレーうどんを頼んだとき、なにか起きませんでした?」

【よく御存知ですね。わたし、ついうっかりカレーうどんの汁を飛ばしてしまって、エーデルライトさまに――】

「それ、アロガンシアさまや他の誰かが、あなたにカレーうどんをぶちまけさせるよう仕向けたわけではないのですよね?」

【え、ええ。カレーうどんは完全にわたしの失態です……】


 誰かをかばっている様子はない。

 つまり犯人は意図してカレーうどんの汁を引っかけさせたのではなく、カレーうどんが引っかかることをあらかじめ知っていて、ノーマルーデにカレーうどんを注文させたと考えられる。


 だとすれば、犯人はリライターである可能性が高い。

 クランクルムではない。

 エーデルライトの攻略だけを妨害しても、アロガンシアの破滅には関係がないからだ。


 リライターがもう1人、いる。


 自分以外の転生者に会うのは初めてか、とクランクルムは言った。

 つまり、あいつは会ったことがあったのだ。


「手紙が来る前に、部屋の鍵は閉めてた?」

【もちろんです。リータちゃん、罠まで仕掛けたのに、全部避けられてたんですよ】

「そう……」


 もういいだろう、とリータが言った。


「そろそろ部屋に戻らないと、寮長に叱られるよ」

「最後にもうひとつだけ」

「しつこいよ。あんたの顔を見るだけでもマルーにはストレスなんだ。人に平気でいやがらせするような奴には想像もできないかな?」

【リータちゃん、ありがとう。でも大丈夫。ひとつだけだったら】

「矢の件なのですが。どうして助かりましたの?」

【下駄箱を開ける寸前、エーデルライトさまに呼ばれたんです。それで蓋の開け方が中途半端だったせいで、矢が蓋の裏側に刺さって――】


 エーデルライトも現場にいたのか。どうりで対応が早かったわけだ。

 とにかく、避けられたのは偶然であり、順当に行けば死んでいたのは間違いなかったらしい。


「ありがとうございます。ノーマルーデさん、信じるかはあなたの勝手ですが、怪文書と矢に関しては私たちの関与せぬことです」

【え……?】

「あなたの命を狙う者は、まだいるということですわ」

「なんだよ、怖がらせようってのかい!?」

「いえ、私は……」

「そのふたつが違ってたって、あんたがマルーにひどいことしてたのは変わらないんだからな!」


 帰れ、とリータは俺をドアまで押し出した。運動部だけあって腕力は向こうのほうが上だ。


「そうそう、もうひとつだけ」

「何個あるんだ『もうひとつだけ』!?」

「ノーマルーデさん、3日後のパーティには?」

【もちろん、出席いたします】

「リータさんは?」

「だから、なんであんたがリータって呼ぶのさ」


 リータは自嘲の笑みを浮かべた。


「……あたしが行くわけないだろ。エスコートしてくれる男がいれば話は別だけどね。あたしみたいな喪女は、去年同様、裏方さ」

「あら、あなたの魅力に気づく殿方は、きっといらっしゃいますわ。きっと」


 俺はノーマルーデの部屋を出た。


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