第8話 悪役令嬢は破滅に挑む
アロガンシアはつかつかと部屋に歩み入る。
彼女は部屋着だった。
公爵は娘がこの場にいないことにしたがったが、実際は俺より先に連れ戻されていて、部屋に軟禁されていたらしい。
「立てますの?」
俺に話しかけているのだと、気づくまで数秒かかった。
お嬢さまは俺の前にしゃがみ、ハンカチを俺の頬に当てる。
「――お父様、婦女子の顔を殴るなど、紳士としていかがなものかしら」
「い、いいから部屋に戻っていなさい」
「あら、エーデルライトさまはわたくしに会いに来られたのでは?」
アロガンシアはエーデルライトに向かって優雅に一礼。
「ごきげんよう、殿下。それで、ええと、なんでございました? ノーマルーデさんに対する、いやがらせの件でしたわね?」
「あ、ああ」
「わたくしが主犯でございます。わたくしが、アインザムさんやクランクルムさんを使って、ノーマルーデさんにいやがらせを行いました。貴族にあるまじき振る舞いであったと認めます」
「……そ、そうか」
エーデルライトはほっとした顔をした。
聞きたかった言葉を聞けたわけだが、そこから先は彼の希望通りだっただろうか。
「――けれどそれは、殿下のせいでもあることを、御理解くださいませ」
「な――に?」
「殿下。わたくしは殿下を愛しております」
「それがノーマルーデを傷つける理由になるのか」
「なります」
「なんだと!?」
「愛する男が他の女の身体に触れ、微笑みをかわす。それを目にして
「ふざけるな。憎いからと言って迫害を加えるなど、獣の所業ではないか」
「では、既に将来を誓った相手がいるにもかかわらず、別の女に食指を伸ばす男は、獣ではなくて?」
「私を愚弄するか、アロガンシア!」
エーデルライトは立ち上がり、青筋を浮かせた。
けれどアロガンシアは怯まない。むしろ冷めた目で激昂するフィアンセを見ていた。
「愚弄されたのはわたくしです、殿下。殿下にプライドがあるように、殿下以外の者にもプライドはありますのよ。たとえば婚約者に浮気をされた女にも」
「浮気ではない、私の愛は……」
「本気ならば、なおタチが悪うございましてよ」
「…………」
「殿下が真実の愛を知ったのなら、それは臣下としても喜ばしいことです。目覚めた時点で仰ってくださいましたなら、もっと良かったのに。そうすればわたくしも殿下など忘れて、次の恋に進めたでしょうに」
「忘れる? はっ、しょせんおまえの私に対する愛も、その程度のものだったのだな」
やれやれ。
アロガンシアは、さびしそうな顔をした。
「――本当にその程度のものでしたら、ノーマルーデさんにいやがらせなどしておりません」
「あ……」
「殿下こそ、わたくしのことをなんだと思っていらしたのですか!?」
「…………」
「たとえ家の決めた関係であろうと、それは人と人との約束事ではありませんか。国民の範たる殿下がそれを蔑ろにしては、民に示しがつかぬとはお考えになりませんでしたか?」
「…………」
「わたくしの心根が卑しいと言うのは甘受いたします。けれどわたくしを卑しくさせたのは殿下で、そして卑しい者相手なら不義理でよいというわけではございません。わたくしの――」
「いいかげんにせぬか、バカ娘が!」
公爵の手がひるがえり、アロガンシアを強引に黙らせる。
「殿下、愚女が差し出がましいことを申しました。代わってお詫びさせていただきます」
「あ、ああ……いや、気にするな、公爵……」
「お父さま……?」
「おまえはもう黙っていろ!」
帰る、とエーデルライトは疲れた様子で立ち上がった。
公爵は鞄持ちのように後を追う。
お父さま、とアロガンシアが力なく呼びかけたが、彼女の父は振り返らなかった。
2人の姿が見えなくなると、アロガンシアは喉の肉が引きつったような笑い声を静かに漏らした。
「わたくしもまだまだ甘いですわ。わたくしが蔑ろにされたと聞けば、あの父でも娘のために怒ってみせる、などと期待するなんて」
「わかっていたでしょうに、なんで出てきたんです?」
「あなたこそ。わたくしが殿下に見捨てられたほうがよかったでしょうに」
「聞いてたんですか……」
「なぜ、あんなことを?」
訊かれたくないことを訊かれてしまった。
けれどはぐらかすのは彼女に対して礼を欠いた行為だ。そう思った。
「結局俺は、リライターが嫌いっていうよりも、自分の欲望で傍若無人に振舞う奴が嫌いなんだ。でもって、モテるイケメンはもっと嫌いで。ゲームの中じゃあんたは嫌な奴だったが、だからって浮気したうえでポイ捨てはひどいと思ってたんだ」
「ゲームの中は存じませんが、ここにいるわたくしは確かに嫌な女です。でももしあなたがそうではないと思ったのなら、それはあなたのおかげですわ」
俺の?
「わたくしの周りの人間は、いつだってカントラニ家が1番で、わたくしのことは考えてくれない。殿下は自分個人を見てほしいと仰っていたそうですが、わたくし、その点は理解できますわ」
「…………」
「だけど、あなたはカントラニ家ではなく、わたくしのことを考えて、苦言を呈してくれました。もちろん言われた直後は腹が立ってしかたありませんでしたし、お父さまに頼んで追放してやろうとも思いましたけど、その後、よく考えて……わたくしのことを憂いてくれた、あなたの期待に応えたいと思いましたの」
そんなことで。
俺の薄っぺらい説教が、ここまでこいつを変えたというのか。
ただ「おまえを見ている、心配している」と告げるだけで。
それだけで、エーデルライトと真っ向から張り合うようになれたのか。
ああ、ああ、そうだった。
物語のキャラクターってのは、それまで散々ウダウダやってる奴でも、成長イベントが起きればそのページから別人みたいにきびきび動くような連中だった。
「……まあ、惚れ直させることはできなかったようですわね」
「残念なことにな」
もう最後の選択肢は通り過ぎた。今更エーデルライトがアロガンシアとよりを戻し、ノーマルーデが独り身で終わるバッドエンドはありえないし、あっては困る。
「ゲームでは、わたくしはこれからどうなりますの?」
「聞いて楽しい話じゃない」
「聞かせていただきたいですわ」
「卒業式後のダンスパーティに、君はただ1人で出席することになる」
スカートの上に置かれたアロガンシアの手が、きゅっと握りしめられた。
パーティはペアで出席するのが常識だ。1人で来るのは恥ですらある。
だがエーデルライトがエスコートするのはノーマルーデだ。必然的にアロガンシアが余ってしまうが、公式にはまだ次期王妃である彼女に手を出す命知らずはいない。しかしその立場ゆえに、アロガンシアに欠席は許されない。
「王子は衆目の前で君の罪を告発する。婚約は破棄され、同時にノーマルーデが新しい婚約者と紹介され、そして彼女は拍手とともに受け入れられる」
「屈辱の極みですわね」
苦笑いするアロガンシア。目の端に輝くものがあったが、俺は極力見ないことにした。
「欠席するか? みんなの前で辱められるのだけは避けられるかもしれない」
「そうすると、あなたが困るのでは?」
「……そうだな」
「では、出ます」
「いいのか?」
「貴族には、いいえ女には、負けるとわかっていても戦わねばならぬ時があるのです。わたくしを立ち直らせてくれたお友達のためですもの。それに、アリフレッタさんにいやがらせをしたのは事実なのですから、ちゃんと罰は受けないと」
「…………」
「任せてくださいませ。誰かの素敵な思い出のために、そしてあなたのために、誇り高く打ち倒されて御覧に入れましょう」
アロガンシアは立ち上がった。
「お願いがあります、アインザムさん。あなたにも、どうにかしてパーティに出席していただきたいのです」
「俺が……?」
「わたくしが立派に責任を果たすところを、あなたに見届けてもらいたいのです」
女1人を死地に追いやって、まさか殿方が逃げたりなどなさらないでしょうね――とアロガンシアは不敵に微笑む。
引き受けないわけにはいかなかった。
「お安い御用です、お嬢さま」
アロガンシアは挑発的に微笑んだ。
「あら。はたしてお安いかしらね」
意味ありげな台詞の真意を問いただそうとしたところで、中庭に面する窓の外から、猫が鳴いた。
アロガンシアの前を辞去し、庭に回り込む。
課長は開口一番、こう言った。
「喜べ、仕事は終わりだ」
「は?」
「クランクルムが溺死体で発見された。もうこの世界に留まる理由はない」
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