第6話 思い出ボロボロ
近くの民家で、俺たち濡れ鼠は暖を取らせてもらった。
アンティークなガスストーブを祭壇のように囲む。
器用なことに、黒髪の少年は民家の主人から借りた針金1本でアロガンシアの手枷を外してしまった。
それでもアロガンシアの黒髪に対する表情には感謝より嫌悪の色が強い。
「――逃げる間、クランクルムさんが言っていましたわ。この世界は、物語の中の世界なのだと」
「そうだ」
もう誤魔化そうとしても無理だろう。
俺は言い逃れるのをあきらめた。
「クランクルム、正確にはクランクルムに取り憑いた悪霊みたいな奴が、物語の正しい筋書きを変えようとしている。俺はそれを阻止するため派遣されたエージェントだ」
アロガンシアは微妙な表情をした。
男言葉で話しだした友人に違和感が拭えない様子である。
「筋書き通りじゃなきゃいけないって法律があるのかよ」
そう言ったのは、あの黒髪の少年だった。
さっさとどこかへ消えてほしいのだが、命を救われた以上、無下にもできないでいる。
「著作権法ってこの世界にはないのか? 大雑把に説明すると、人の作ったお話やキャラはその人のもので、他人が勝手に弄っちゃいけないって法律だ」
「それで、アインザ――いえ、ええと、あなたをどうお呼びすればいいのかしら」
「アインザムでいい」
「オレさまはデスティミード・ストラングーロ。ミードでいいぜ」
知らんがな。
「アインザムさん、あなたはこれからどうするのです」
「クランクルムを排除する」
「……排除」
「物語には復元力があって、リライターがいなくなればやがて元の筋書きに戻る。病原菌のいなくなった身体が健康体に戻るように。ただし、それはクリティカル・ポイントが変えられなければだ」
「クリティカル・ポイント?」
「たとえばゲームなら、どんなにストーリーが分岐しても変わらない部分がある。小説ならば、ここを変えれば本来のエンディングに決して結びつかないという部分。そういった箇所を変更されると、もう手がつけられない」
「別に、変わっちまってもいいんじゃねえか? 法律はどうあれ、そっちのほうが面白くなるかもしれねえ。物語にとって大事なのは、面白さだろ」
ミードは挑発的な視線を向けてくる。
「改変者視点で見れば、あらかじめ決まった筋書きを変える物語は面白いかもな。だが現実世界の読者は、本来の主人公を窓にして作品に触れるんだ。先の展開をなぜか知ってる脇役が横からしゃしゃり出て、見せ場もロマンスも全部横取りしていく。そんな物語が、面白いと思うか?」
「…………」
「そもそも、面白さなんて俺にとっちゃどうでもいいんだ」
「なんでだよ」
「大抵のものは金で買えるが、買えないものもある。そのひとつは思い出だ」
「思い出……」
「子供の頃に読んで感動した話、辛いときに救ってくれた物語、おまえらにはそういうの、ないのか? それがどこかの誰かに勝手に書き換えられ、振り返ることさえできなくなるとしたら? 面白くなる? はっ、それがどうした? つまらなくても、時代に合わなくても、幼稚でも稚拙でも支離滅裂でも、俺たちが愛したのは、あの物語と、それに付随する思い出だ。それを面白い面白くないの問題で、他人に土足で踏みにじられたかないんだよ」
ミードは不機嫌そうに顔をしかめたが、なにも言わなかった。
もう話すことはないだろう。服も乾いた。ここにいる意味はない。
だが民家を出ようとしたときだ。ミードがいきなり俺を壁に押しつけた。
抗議の声をあげる前に、俺の頭の横に、奴の手が叩きつけられる。
いわゆる壁ドン。昔カツアゲされたときの記憶が甦る。女ってのは、これのなにがうれしいんだ?
「じゃあ、なんだよ。おまえらの感動のために、あの女に死ねってのか」
アロガンシアは息をつまらせる。
どんなにストーリーが分岐しても変わらない部分――すなわち彼女の死は、クリティカル・ポイントのひとつだ。
「……おまえらが嫌がるのはわかるし、死にたくないと言う権利はある。だが、俺は現実世界の人間だ。現実世界の問題をおろそかにしてまで、おまえらに肩入れはしない」
「だったらオレさまはあんたの敵だ。あんたにこの女は殺させねえ」
「俺がやるまでもないんだ、ミード。アロガンシアを死に追いやるのはいつだって、この物語の筋書きだ。わかりやすくいえば、運命ってやつだ」
「だったら」
今度はアロガンシアが口を開く。
「なぜ、溺れかけたわたくしを助けようとしたのです?」
「……ちゃんとしたイベントで死んでほしかっただけだ」
「わたくしとあなたが、友達だからではないのですか?」
「友達……?」
「あなたは昨日、わたくしをいさめてくれました。わたくしの未来を案じ、耳に痛いことを、あえて口にしてくれた。そしてエーデルライトさまに詰め寄られた時だって、わたくしをかばってくれたではないですか。だから、わたくしは――」
「……勘違いだ」
俺はひとり、民家を出た。
ミードもアロガンシアも、もう追ってはこない。
少し行ったところで、課長に会った。
「聞いてたぞ。いや、おまえがあんなに仕事に情熱を持っていたとは思わなかった。えっと、『俺たちが愛したのは――』」
「昔、すごく感動した本があったんですよ。重くて陰鬱で救いのない話だったけど、当時の俺にはそれが美しく見えた。でも、ある日たまたま古本屋で手に取ったら、ゴミみたいなハッピーエンドになってた。一流の悲劇が三流の喜劇に貶められたんです。『ハッピーエンドのほうがみんな好きでしょ?』っていう、リライターの独善が透けて見えるようでした」
だから俺はリライターが嫌いだ。
奴らの傍若無人な振る舞いを防ぐためなら、キャラクターに怨まれたってかまいやしない。
「ところで、ミード――デスティミード・ストラングーロって、どんなキャラなんです? 一応、ダイブ前に『原本』を1回クリアしましたけど、あんなのいましたっけ」
「2周目からルート解放される攻略対象だ。テロ組織の尖兵である仮面の男がいただろう、あれの正体だよ」
悪役令嬢と悪役貴公子が揃い踏みか。
なんだか嫌な予感がした。
そう、このモヤモヤした思いは先行きへの不安であって、アロガンシアやミードにすまなさを感じてるなんて、決してない。
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