第5話 俺を攻略してどうすんだ


 手枷の鍵は入口にあった。

 鍵を差し込みながらクランクルムを追いかける。


 どこだ、どこに行った。

 元々のキャラと同じ程度の能力しか持たないのは向こうも同じだ。

 アロガンシアを引きずりながら、そう早くは動けまい。


 悲鳴が聞こえた。市場のある方向だ。

 両側に露店のテントが並ぶ大通りに駆け込むと、血のついた剣を振り回しながら走るクランクルムの背中が見えた。手枷をつけたままのアロガンシアも一緒である。


「待て!」


 買い物客たちがテントの中に避難しているおかげで、本来は混雑している大通りはガラガラだ。

 追いかけるには好都合。と思ったのだが。


「わっ!」

「ん?」


 間抜けな通行人が無造作に出てきて、俺はそいつにぶつかった。

 背の高い男だ。

 少女相応の体格しかない俺は、一方的に尻餅をつかされる。


「なんだ、おまえ」


 女の子を突き飛ばしておきながら、謝るでもなく手を差し伸べるでもなく、奴は茫洋とこちらを見下ろす。

 よく見ると若い。というか、同じ学園の制服を着ている。

 イケメンといっていい、顎の尖った端整な顔。サラサラなびく艶のある黒髪。

 現実には自然発生しない様々な色の髪の毛が乱舞するこの世界では、黒い髪は逆に珍しい。いや、そんなことはどうでもいい。


「邪魔だ、どいてくれ」

「――あん?」

「もういい、俺が悪かった」


 殺人犯が通り過ぎていったばかりだというのに、少年は怯えるでもなく見物するでもなく、いつも通りといった様子だ。頭のネジが抜けてるのかな?


 かまっていられない。だが脇を通り過ぎようとしたところで、少年は俺の腕をつかんだ。


「おまえ、オレが怖くねえの?」

「は?」


 どう答えてほしいんだ?


「怖がってほしいなら、リーゼントかモヒカンにでもすりゃいいんじゃないのか? タトゥーでも入れてパンクファッションでもキメればもっといい。今急いでるんだ、邪魔しないでくれ!」

「……おもしれー女」


 独特の笑いのツボをお持ちらしい。


「さっき逃げてった奴を追いかけてんだな?」

「だったらなんなんだ」

 

 少年は突然しゃがみ込んだ――と次の瞬間、俺は彼に抱え上げられていた。

 いわゆるお姫様抱っこの状態だ。


「しっかり掴まってな」


 いうが早いか、少年は駿馬のように駆け出した。

 速い。小さく見えていたクランクルムの背中がどんどん大きくなっていく。


 ……さあ、各馬一斉にスタート。先頭を行くのはクランクルムオー。第1コーナーを曲がりました。それを追いかけるのはクロカミノコイツダレヤネン。クロカミノコイツダレヤネン、どんどんスピードを上げていく、ぐんぐん追い上げていく! クロカミノコイツダレヤネン、速い! しかしクランクルムオーも負けてはいない、追い上げてくるクロカミノコイツダレヤネンに気づき木箱をなぎたおして妨害! しかしクロカミノコイツダレヤネン、長い足で華麗に飛び越える! まったく問題にしていない! 見る見るうちに両馬の距離が狭まっていく、クランクルムオー逃げ切れるか? クロカミノコイツダレヤネンは追いつけるか!


 おーっと! ここでクランクルムオーつまずいた! これは痛い! クロカミノコイツダレヤネン、このチャンスを逃しはしない! 両馬ついに並んだ!


 抜いた――――ッ!!


 レースを制したのはクロカミノコイツダレヤネン! クロカミノコイツダレヤネ――――ン!

 ……いや、ホント、なにモンだよコイツ。


「そこまでだぜ」


 クランクルムの前に出た黒髪の少年は華麗にターン、クランクルムの進路を塞いだ。


 いつの間にやら街は遠く、そこは広い川にかかった石橋の上だった。

 昨夜の雨の影響か、うねる水面はクリーム色をした龍のよう。轟々唸る水音は、まさに怪物の嘶きだ。


「もうあきらめろ、クランクルム」

「……あ、あきらめたらそこで試合終了……うっぷ」


 運ばれていただけの俺とは違い、アロガンシアの手を引きながら全力疾走していたクランクルムは青い顔をしていた。橋桁はしげたに寄りかかり、川に向かって胃の中のものをぶちまける。武士の情けだ、落ち着くまで待ってやった。


「あ、あきらめたら、アロさまが死んじゃうだろ! アロさまは全ルート死亡エンドしかないんだぞ!」

「そういうお話だ。それをひっくるめて、おまえはこの作品を好きになったんじゃないのか。おまえの都合で歪められたこの世界は、おまえの好きな『減量のアウストラロピテクス』といえるのか?」

「『幻麗のアストラルリート』だ2度と間違えるな」


 口の端を拭いながらクランクルムは俺を睨んだ。

 剣をこちらに突きつける。

 アロガンシアは状況がまったくわからないという顔でただ怯えるばかりだ。


「多少筋書が変わっても、『幻麗のアストラルリート』は神ゲーなんだな。ただ1点、アロさま生存ルートがないのを除けば。だから僕がアロさまのハッピーエンドを作って、この世界を最の高にしてやるんだ」

「そういうのはコミケでやれ」


 俺は慎重にクランクルムとの距離を詰めていく。


「おまえにとっちゃこの世界はゲームそっくりな別の世界かもしれんが、実際はゲームの世界そのものなんだ。おまえの行動は著作権を侵害している」

「来るな!」


 真っ赤に染まった剣先がカタカタ震えた。


「おい」


 背後から声がかかる。

 あの黒髪、まだいたらしい。


「あいつを取り押さえりゃいいのか」

「それができりゃサイコーだな」

「そうかよ」


 風が吹き抜けていった。黒い風が。


 怖じることなくまっすぐ突進してきた少年に、クランクルムは気圧された。びくっと剣を引っ込める。

 少年の長い足が閃き、クランクルムの右手を蹴り上げる。剣が手からすっぽ抜け、高く宙を舞う。


「でりゃあっ!」


 少年は間髪入れず第2撃。

 クランクルムが石橋の上を転がるのと、剣が地面に突き刺さるのは同時だった。


「クソッ……!」


 凶器を失ったリライターの狂気は予想外の事態を引き起こした。

 クランクルムはアロガンシアに駆け寄り、抱き上げる。

 そのまま奴は橋の下に身を投げた。


 水柱が立つ。

 激流の下にいったん沈んだピンク髪が水面に浮上したとき、だがその傍らに金の輝きはなかった。


「ぶはッ……、あ、アロさまぁ!?」


 間抜けな奴。一緒に流れて逃げるはずが、あっさり手を離してしまったらしい。


「あ、アロさ……ぶひょお!」


 制服は泳ぎやすくできていない。

 クランクルムは為す術なく下流に流されていく。

 少し離れたところに浮かんだアロガンシアが、ばしゃばしゃ水をかき立てる。


「ぶはっ、たす、たずげぼほ!」


 流れに抵抗できないだけのクランクルムと違い、こっちは完全に溺れているようだ。

 元々泳げない設定のうえ、手枷がついたままなのだから、なおさら自助努力は期待できない。


「ええい!」


 俺は制服を脱ぎ捨てる。

 上はブラウス、下はショーツとロングソックスのみ。

 お嬢さまに相応しからざるはしたない格好で、川に飛び込む。

 思った以上に深かった。川底に足がつく気配がまったくしない。


 もちろん、俺の狙いはクランクルムである。


 奴が言っていたように、アロガンシアに生存ルートは存在しない。どうせ死ぬ。

 彼女を助けても、テイルズパトロールとしての俺の任務には何のメリットもないのだ。

 だがクランクルムは逃がすわけにいかない。

 奴がこの世界にいるかぎり、この物語の危機は消えないのだから。


「だずっ……あぼあ……エーデルライトざま゙ッ……ずげ、で……」


 息継ぎの合間に、アロガンシアの悲痛な叫びが水流音に混じって聞こえたのは、気のせいに違いない。


「……ああ、もう……!」


 俺はバカだ。


「しっかりしろ、お嬢さま!」


 溺れる少女は全力でしがみついてきた。

 アインザムの細い身体に、手枷をつけた少女の重量がずしりと乗っかってくる。


「げっ」


 ――溺れる人を救助するときは、背中側から近づきましょう――


 学生時代にキャンプで教わったことを今更思い出したが、手遅れだった。

 アロガンシアと俺は入水カップルのように正面から抱き合ってしまっている。


 本当、俺って――


「……おもしれー女」


 強い力で引っ張られる感覚を最後に、俺は意識を失う。




 次に感じたのは、唇に触れる柔らかい感触だった。


「――んっ!?」


 目の前には夜空のように深い黒瞳。

 あの黒髪の少年にキスされている――。


「ぶっ、げほげほっ!」


 突き飛ばそうとした寸前に少年は自分から身を離した。

 抗議の声をあげようとして、だが飛び出したのは大量の水だった。

 代わりに酸素が肺に流れ込んできて、俺はしばらくゲホゲホと咳き込むことしかできなかった。


「な――なにすんだ、この野郎」

「人工呼吸だよ」


 奴は俺の頭に乾いた布を投げつける。

 橋の上で脱いだ制服だ。


 なんてこった。30過ぎまで守り通してきたファーストキスを、よりにもよって男に奪われるとは。


「へっ、なんて顔してんだ。ホンット、おもしれー女」

「こっちはこれっぽっちも面白くないんだが」

「大丈夫ですの、アインザムさん?」


 アロガンシアは無事のようだ。今は。


「アロガ――」

「よかったですわ!」


 お嬢さまは俺を押し倒す勢いで抱きついてきた。

 こんなにスキンシップの激しい人だっただろうか。


「アインザムっていうのか」


 黒髪の少年が声をかけると、アロガンシアは顔を真っ赤にして、跳びはねるように俺から離れた。

 なぜだろう、アロガンシアが黒髪を見る目には、嫌悪感が見える。


「助けてやったんだ。礼くらい言ってくれてもいいんじゃねーの? それとも『闇に愛された者』に感謝する義理はないってか?」

「……か、感謝を述べさせていただきますわ」

「数々のご協力には感謝する」

「おもしれー女」


 おまえ、それしか言えんのか。

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