第2話 ゲームの世界に入れたら
その日の朝、俺は誰よりも早く校舎に入った。
命じられたとおり、アロガンシアの恋敵の上履きに仕掛けをするためだ。
「……なにが悲しゅうてこんなことを。
まあ、俺は母親いないんだけどな。
そのまま教室に向かう気にはなれなかった。
校舎裏手のベンチにどっかり身を預ける。
「ご苦労さん」
上司の声が、いつの間にか足元にうずくまっていた黒猫の口から聞こえた。
「とりあえず、イベントの下準備は終わりました、課長」
「ここまでは原作通りに進行してるな」
前にも言ったが、今、俺はあるゲームの世界にいる。
タイトルは確か、『幻麗のアストラルリート』。
中世ヨーロッパ風――とうたわれているが、唐突にスマホや遊園地が出てきたりする――の王国にある名門学園を舞台に、ごく普通の少女が、実はごく普通ではなかった自分の出生や、王国の未来を左右する事件に関わりながら、見目麗しいイケメンたちと惚れた腫れたをやる女性向け恋愛アドベンチャーゲーム、通称乙女ゲームの1作だ。
ノーマルーデこそ、この世界の
エーデルライト王子は数ある
そしてアロガンシアこそは、その2人の恋を妨害し、盛り上げ、最後には打ち倒される哀れな
「このまま行けば、3日後にはアロガンシアもおしまいですか」
「衆目の前で数々の悪事を断罪され、婚約破棄、実家からは勘当、祖国からは追放される。御存知の通りこの世界、城塞都市の外はモンスターがうごめく地獄だ。
「主人公をいびるだけの薄っぺらいお邪魔虫キャラにそこまでしますかね。やだやだ」
「なんだ、愛着が湧いたか?」
「……別に。あのイベント見て、小学校の学級会で他罰志向の強い女子からいじめられた記憶が甦っただけです」
「しっかりしてくれよ。おまえまで
はじまりはいつだっただろうか。
ゲームや漫画のストーリーが、知らないうちに書き換えられるという事件が頻発するようになった。
ハッキングなんて生易しいものじゃない。
市場から個人の自宅まで、本やゲームの内容が一夜にして入れ替わるのだ。
ヒロインはモブに降格され、脇役が主人公を蹴り落として大活躍。語られてもいない魔王の動機をなぜか勇者が知っていて、手を取り合って世界征服に乗り出した。
結論からいうと、こういうことらしい。
死んだ人間が物語の中の登場人物に転生あるいは憑依し、本来のシナリオから逸脱する行動をとった結果、現実に存在するその作品にまで影響が波及したのだ、と。
時間改変ならぬ物語改変。
それがどうしたって? 大問題だ。
ディズニーやハリウッドの大作映画が被害に遭ったと考えれば、その経済的損失がわかるだろうか。
経済問題だけではない。転生者が観客を意識して行動している例はまだないが、清純派俳優演じるドラマのヒロインが全裸徘徊をはじめたり、絵本のキャラクターが幼児には見せられないような残酷で陰惨なデスゲームをおっぱじめたら?
そういうわけで、タイムパトロールならぬ『テイルズパトロール』が結成された。
で、その末端職員である俺は今、『幻麗のアストラルリート』の脇役『アインザム』に憑依している。
アインザム。アロガンシアの取り巻きの1人。青いボブカットに褐色の肌。目は省略され、描かれてない。
カントラニ家の援助で学園に通っている身であり、それゆえにアロガンシアに逆らえない寡黙な少女。
それだけが設定のすべてである端役だ。名前の設定さえない。アインザムは苗字だ。
「俺、乙女ゲームなんて趣味じゃないんですけどね」
「だから回されたんだ。ファンはすぐ『推し』を優遇したり、自分の好きなカップリングを公式にしようとするからな」
「せめて憑依キャラの性別は一致させてほしいんですが……」
「Vtuberだのバ美肉だのがゴロゴロしてる時代に、細かいこと気にする奴だな。なに、そのうち慣れっこになる。むしろ病みつきだ」
課長はそう言って「ゴロニャ~ン❤」と身をくねらせる。
リアルじゃ50目前にしたハゲオヤジが、恥ずかしげもなく。
俺もああなるのか。辞めたくなってきた。
「そろそろ教室に行くべきじゃないか。もうすぐアロガンシアも登校だ」
アインザムに乗り移った以上、アインザムが取りうる範囲で行動せねばならない。
でなければ俺自身がリライターになってしまう。
設定も個別イベントもほぼないアインザムはかなり自由に振る舞えるが、いくつかのイベントでは必ずアロガンシアの後ろに控えている必要があった。
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