第600話 世界で一番大好きだ!

 頭を抱えてうずくまるタカトの背後では、ビン子が腰に手を当てまっすぐにハリセンをタカトに向けて突き出しながら怒りの炎を燃やしていたのである。

「だいたい! なんで私だけが後片付けしないといけないのよ! このボケタカト!」


「なんでいきなりハリセンでシバくんだよ! このボケビン子!」

 その瞬間、タカトにはいつものタカトの意識が戻っていた。

 あれ……?

 ――俺は一体、今まで何をしてたんだ?

 体の奥底に残るは、おぞましい寒気。

 ――もしかして、あの赤黒い奴が俺を支配していたのか……

 しかし、どうやって俺は元に戻ったというんだ……

 もしかして、ビン子のハリセン?

 そんなわけあるかい!

 あれはただのハリセンだぞ!

 だいたいあのハリセンって……何の素材でできてるんだ?

 ふと疑問に思ったが、その瞬間、タカトの鼻先に何かが押し付けられたのであった。

「はい! これ! タカトもちゃんと片づけなさいよ!」

 そう、それは先ほどまで二人が片づけていたアイナの光。


 石畳の上で倒れていたアイナは、上目遣いでそれとなくタカトの様子をうかがっていた。

 ――ケケケッ……アダム様の気配が弱まった? もしかして、アダム様はまたお眠りになられたのか? 今ならいける!


 そんなときである。

 ステージ横のテントの幕が揺れたのだ。

「ふぁぁあぁぁ。真音子……おしっこ……」

 そう、寝ていたはずのチビ真音子がテントの中から出てきたのである。


 それを目ざとく見つけたアイナ。

 その体が瞬時にはね起きたかと思うと、すでにチビ真音子の首を羽交い絞めにしていた。

 キョトンとするチビ真音子は、この状況がよくわからない様子。

「アイナお姉ちゃん……痛いよ……」

 懸命に笑顔を作るろうとするのだが、アイナはそんな真音子の首をぎゅっと鷲掴みにするとタカトの前にこれ見ようがしに突き出したのである。

 真音子は締まる首から声を絞り出す。

「タ……ス……ケ……テ……タカト……お兄ちゃん……」


「チビ真音子!」

 タカトはとっさに駆け寄ろうとした。

 だが、そんなタカトの動きをアイナの言葉が制止するのだ。

「動くな! 小僧! ケケケッ……」

 アイナは真音子の首にさらに力を込めながら、タカトにいやらしい笑みを向ける。

 そう、先ほどキーストーンの部屋では、二度もの攻撃をこの入れ物の小僧にかわされてしまったのだ。

 アダム様が覚醒してないただの小僧にだ。

 もしかしたら、この小僧にも何か潜在的な力が眠っているのだろうか?

 ならば、ここは念には念を入れて……

 そう、もう失敗は許されない。

「動くなよ! 動けばこのガキを一瞬で殺す! ケケケッ……」

 真音子の首がミシミシと音を立てていく。

 真音子のか細い首など、今のアイナにとってはただの細い枝と同じ。

 少し力を入れただけで簡単に折れてしまうのだ。

 今や真音子は白目をむいて泡を吹いている。

 しかも、言葉なく垂れ下がる真音子の太ももからは我慢していたはずの尿が垂れ落ちて体と共に揺れていた。

 その様子を見るタカトは焦った。

 このままではチビ真音子が死ぬ!

 少しでも早く助けなければ……

 だが、自分が動いた瞬間に真音子の首は折れる……


 ――ちっ! どうすればいい!

 それを見るタカトは焦った。

 だが、今のタカトの手にあるのは先ほどビン子のよって押し付けられた融合加工道具アイナの光のみ。

 このアイナの光は『スカートまくりま扇』によって圧縮された超高圧粒子を打ちだすことができるのである。

 その収束された威力、真音子の体を避けながらアイナの体だけを打ち抜くことなど朝飯前!

 ならば! アイナが真音子を絞め殺す前に、その体を撃ち抜けばいいではないか!


 と、一瞬、アイナに向けて構えるタカト。

 だが、目の前にいるのは、あの憧れのアイナちゃん。

 どう考えても、そんなアイナちゃんを撃てるわけないだろうが! ボケ!

 当然ながらタカトの体はそこで止まった。


「ケケケッ……今度こそ! 確実にアダム様と一緒に滅ぼしてくれるわ!」

 それと同時、大きく息を吸い込むアイナ。

 この攻撃はキーストーンのある部屋でモーブを血祭りにした衝撃波!

 だが、タカトはもうディアボロマントは使えない。

 そう、先ほどの攻撃で許容限界を超えたディアボロマントは暴発してしまったのだ。


 そんなアイナの呼吸が止まる。

 もう後は衝撃波を発するのみ。

 ――万事休すか……

 ハッキリ言って、タカトには打つ手がない。

 しかも、よりによってタカトの後ろには、いまだ何も知らずにブツブツと小言をいい続けているビン子の姿があったのだ。

 ――このままではビン子も巻き沿いになりかねない……それだけは……なんとしてでも……

 だが、その方法が分からない!

 タカトの脳内のスパコン腐岳もこの問題を解くことができないのである。

 ――ああぁ! どうしたらいいんだよ! 俺!


 だが、ついにアイナの口から衝撃波が発せられた!


 ハァ~~~~


 と思ったが……

 それは衝撃波ではなく、吸い込んだ息をただ吐いた呼吸音。

 大きく膨らんでいたアイナの胸がみるみると小さくなっていく。

 そんなアイナから声がする。

「タ……カ……ト……君……」

 先ほどまで魔物同様の緑の光を放ていたアイナの瞳。

 その一つが黒き輝きを取り戻していた。

「お願い……タカト君……私を殺して!」

 そんなアイナが悲痛な叫び声をあげるのだ。

 へっ?

 訳が分からないタカトは呆然とアイナを見つづけるだけ。

 そんなアイナの黒き瞳が涙で潤んでいた。


「ケケケッ! 邪魔をするな! もう一人の私!」

「お願い! タカト君! もうこれ以上は押さえらない!」


 確かにこのアイナの光であればアイナちゃんの体を打ち抜くことは可能だ。

 可能だが……

「アイナちゃん……できないよ……そんな事、俺にはできないよ……」

「じゃないとまた、もう一人の私が……タカト君を殺しちゃう……もう……嫌だよ……これ以上……タカト君に嫌われるのは……」

「俺がいつアイナちゃんを嫌ったって言うんだ! 俺はアイナちゃんのことがこの世界で一番大好きなんだぞ!」

 それを背後で聞くビン子の体がビクンと硬直した。

 この世界で一番……

 この世界で一番好きなのはアイナなの……

 なんで……

 なんでなのよ……

 ビン子の瞳からも自然と涙がこぼれだす。


「……ありがとう……タ……カ……ト……君……」

 一瞬驚きの表情を見せたアイナの黒い瞳は切ない笑顔を見せる。

 ――もう止まらない……止められない……

 だが、その目からは止まることのない涙が次々とあふれ出していた。


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