第586話 激しい青春! 飛び出す汗!

 今夜は月が美しい。

 そんな月光に照らし出された砂漠はまるで大海原のように青白い砂のさざ波を立てていた。

 砂の沖合から吹き付ける乾いた風が城壁の上に噴き上げると、まっすぐに伸びるレンガの屋上を駆け抜けていく。

 幅車二台分ほどのレンガ道は、駐屯地をぐるりと一周かこむと元の位置へと戻ってきた。

 舞いあげられた小さな砂が、道上のいたるところにまるで水たまりのように集まっている。

 そんな砂から端に並べられた投石車たちを守るかのようにかぶせられた小汚い布が、風にたなびいてバタバタとひときわ騒がしく音を立てていた。


 こちらも騒がしくバタバタと階段を駆け上るコウテン。

 先に上っているはずのマッシュを追いかけて、そんな屋上へと飛び出した。

「どこに行ったすか?」

 辺りを見回すも、そこにはマッシュの姿は全く見えない。


 ――おかしいっす……これ以上どこに行くっていうんすか?

 そう、これより上は夜空のみ。もう登るところなどないのである

 可能性があるとすれば、城壁の四隅に立てられた見張り台。

 魔物襲来を早期に発見するために昼夜問わず、守備兵たちがそのてっぺんに設けられた窓から警戒を行っているのだ。

 ――まさか⁉

 マッシュは、見張り台にいる守備兵たちを襲いに行ったのだろうか?


 コウテンは目の前の見張り台の元へと駆け寄ると、三階ほどの高さを見上げながら叫び声をあげた。

「大丈夫っすか? 生きてるっすか?」

 しばらく後、一人の守備兵が開け広げられた窓から顔を出した。

「オイオイ! もう交代の時間か?  ちょっと早すぎやしないか?」

「違うっす! 何か変なものがそっちに行かなかったすか?」

「へ・へんなもの?」

 その問いかけになぜか慌てる守備兵。

「そ・そんな人がココにいるわけないだろうが!」

「何を慌てているっすか?」

「いや、別に交代じゃないんだったら、お前、帰れよ!」

「今からそこに行くから、待ってるっす!」

「来るんじゃねぇよ! 用があるなら俺が降りて行ってやるから、そこで待ってろ!」

 と、言うと守備兵は頭を引っ込めた。

 なにやら、その窓の奥から女の声も聞こえてくるのだが、下から見上げるコウテンにはその内側は全く見えない。

 ……ま……まぁ、守備兵の中には、女性もいるので特に気にすることも無かろう。


 そんなコウテンの後ろから、何やら騒がしい音が聞こえてきた。

 ズッコン! バッコン! ズッコン! バッコン! しゅっしゅっーー!

 その音はまるで蒸気機関車!

 慌てて背後を振り向くコウテン。

 蒸気機関車らしきものは遠くに見える城壁の角を勢いよく曲がり、まっすぐ伸びた屋上の一本道を白い蒸気を噴き出しながらどんどんと近づいてくるではないか。

 しゅっ! しゅっ! しゅっ! しゅっ! しゅっ!

 そう、それは駐屯地を取り囲む城壁をぐるりと一周まわってきたマッシュの姿であった。


 だが、分からない。

 コウテンは呆然とその様子を見ていた。

 と言うのも、なんで奴が白い蒸気を噴き出しているのだ?

 もしかして、トランザムによって赤く輝く体から高濃度粒子が噴き出すかのように、走って熱くなった体の水蒸気が噴き出しているのだろうか。

 まあ、確かに厳冬の第八フィールドの地なら分からないでもない……

 だがココは第七フィールドの砂漠、暑いのだ。水蒸気もあっという間に乾いてしまう。


 たしかに、今のマッシュは遠目で見ても分かるほど大量の汗をかいていた。

 それほどまで必死に走ってきたのだろう。

 なんかその光景は、運動音痴の高校生がマラソン大会でお目当ての女の子にいい格好を見せようと夜中に懸命に練習をしているようにも見える。

 初々しい!

 頑張れ青年!

 これぞまさしく! 激しい青春! 飛び出す汗! と言ったところ。

 しかし……どうみてもその白い水蒸気は、つぶつぶの水滴ではなくて粉、そう、大量の粉なのだ。


 トランザブ! トランザブ! トランザブ!

 よく見るとマッシュは走りながら手に持つ洗剤のザブを振りまいていたのだ。

 辺り一面に飛び散る白い粉。

 その白い粉が、遠目では機関車が吐き出す上記のように見えていただけなのだ。

 なーんだ! そうだったのか!

 って、

 ――何がしたいんすか! コイツ?


 そんな頃、見張り台の入り口から先ほどの守備兵が苛立った様子で出てきた。

「ちっ! 一体なんの用だって言うんだよ!」

 どうやらかなり慌てていたのだろう。ズボンが前後ろ逆である。


 コウテンは守備兵に目を戻す。

 歩く守備兵の足元には白い粉が広がっていた。

 しかもその白い粉は、守備兵の足元だけでなく、屋上の上をまっすぐに走り見張り台のところで直角に曲がってさらに伸びていた。

 どうやら、この洗剤の白い粉は城壁の上を一周ぐるりとまかれているようなのだ。


 コウテンは互いに近づいてくるマッシュと守備兵を交互に見比べた。

 どちらも何やらブツブツ言っている。

 どう考えても、タダでは済みそうではなさそうだ。

 というか、

 ――何か嫌な予感がするっす!

「来たらダメっす!」

 とっさに、守備兵に向かってコウテンは叫んだ。


 だが、その声はすぐそこまで近づいていたマッシュの異常に大きなしゅっ! しゅっ! しゅっ!でかき消された。


「お前なぁ! 時間は守れっ! うわっ! うわっ!」

 先ほどまで怒っていた守備兵が、こんどはお笑いコントのボケのように手をぐるぐると回しながら近づいてくるではないか。

 いや、近づいているというよりも、スベっている。

 まだ、オチを言っていないのスベっているとは、これまた斬新なネタである。

 というかこの状況、ネタがスベったのではなく、レンガ道にまかれた洗剤の上でスベっているのだ。


 しかし、なぜ、粉末状の洗剤が滑るのだ? 普通、粉状だとザラザラとするはずなのでは?

 よくよく見ると、なんとレンガ道にまかれていた洗剤が泡立っているではないか。

 って、洗剤を泡立てるには当然、水がいるよね。この乾いた砂漠でどこから水が出てきたっていうんや!

 もしかして雨?

 えー! 月が見える程に夜空はきれいに晴れているというのにか?

 ということは、見張台の上からなにやら性水、いや聖水がまかれたのだろうか?

 汝の穢れた罪を清めたまえ!

 ア~~~~~ん! だメン! 

 もしかして、この守備兵はそういうプレーをしていたとか? それなら俺だってやってみたいわ!

 って! アホか! そんな訳ないだろうが!

 そう、走るマッシュの体から噴き出した大量の汗が、レンガ道に滝のように流れ落ち洗剤を泡立たせていたのである。

 それほどの大量の汗の量なのだ、もう尋常ではない。

 そして、そんな泡立つ洗剤により、ザラザラだったレンガ道はヌルヌル!


 まるでスケートリンクの様に滑っていく守備兵の体は止まらない!

「ちょっ! お前、止めろよ!」

 そんな声が、コウテンの横をスーッとすり抜けていった。

 そして、その先には、蒸気機関車のように突っ込んでくるマッシュの姿が大きくなっていた。


 よだれを垂らしていたコウテンはハッと我に返ると、咄嗟に守備兵を掴もうと手を伸ばす。

 だがなぜか、その掴んだ守備兵の手もヌルリと滑ってしまったのだ。

 もしかして、手にも洗剤がついていたのだろうか?

 いや、この感触はベベローション……

 女人禁制の修行僧だからこそわかるこの感触。

 万命寺の夜に欠かせない夜のお供グッズなのだ。

 というか、なんでこの男の手にこんなものがついているのだ?

 だが、そんなことを考えている暇はない!

 そう今の状況を例えるならば、線路の上を滑っていくタイムマシンのデロリアン!

 そして、その線路の先からは暴走蒸気機関車が勢いよくツッコもうとしているのだ。


 そして、その映画の結末は……

 ドシャーン!

 粉々に砕けるデロリアンの車体……ではなくて……

 ひでぶぅ~!

 あえなく肉片になる守備兵の体。

 いまやレンガ道の上に転がるただの肉塊になりはてていた。


 きゃぁぁぁぁぁ!

 見張り台の窓から女の叫び声がした。

 どうやらその窓から顔をだす姿からして守備兵ではなく、小間使いの様である。

 ここ最近、魔物の襲来がなかったためか、人が来ない見張り台は絶好のやり部屋になっていたようなのだ。


 まさにこれこそ流れる性春! 飛び出す汁!

 うらやましい!








  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る