第530話 プロローグ(2)
「サンキュー! ビン子! さすが神様! 紙だけに!」
タカトは、ニコニコとしながら差し出されたティッシュに手を伸ばす。
その先には、鼻をつまみ顔を背けるビン子の姿。
「ちょっと! 早くしてよ! 臭いじゃない!」
「ビン子……ごめん……」
しおらしく謝るタカト。
こんな素直なタカトは珍しい。
どうしたのかしら?
ビン子は、タカトに目をやった。
そこには自分の指先をクンクンと匂うタカト姿。
「ついちゃった……」
――えっ?
「ティッシュ……もう一枚くれるかな?」
その指先が、ゆっくりとビン子へと伸びていく。
――イヤ……
恐怖に引きつるビン子の瞳。
「いやぁァァァァァァァァ!」
「いやぁァァァァァァァァ!」
女の大きな悲鳴が森の中に響き渡った。
その声にビン子は大きく驚きのけぞった。
今だ中腰のタカトも驚いた。
驚いたついでに少々残っていたカレーも噴き出した。
二人の体は息をすることすら忘れるほどに驚いて、ピタリとその動きを止めていた。
尻から垂れるカレーのしずく。
地面にポチャリと落ちるそんな小さな音でさえハッキリと聞こえてくるようだ。
そんな静寂に包まれた森の中……
えっ?
この悲鳴、ビン子ちゃんの悲鳴じゃないのかだって?
いや確かにね、ビン子ちゃんも悲鳴を上げたよ。上げた。
でも、それよりも大きな悲鳴が目の前の茂みから突然、発せられたわけですよ。
まぁ、二人がビックリするのは仕方ない。
誰だって、ゆっくりとトイレに座っている時に、いきなりドアをゴンゴンと思いっきり叩かれたりしたら、めちゃめちゃびっくりしてお尻にギュッて力が入るじゃぁないですか!
それと同じ!
そんな二人の目の前の茂みがガサガサと揺れる。
「ハァ……ハァ……ハァ……」
茂みをかき分けるように女の細い指先が伸びてきた。
「お前は……」
タカトは、自分の指先を拭く事すら忘れて立ち上がった。
「生きてたのね……」
ビン子もまた、口元を手で押さえ震えていた。
「ハァ……ハァ……ハァ……」
指先に続き茂みの奥からは、苦痛に歪んだ赤き目が現れた。
赤き目の女は震える唇で、懸命に言葉を絞り出す。
「タカト……タカト……」
赤き目は荒神の印。
『神の恩恵』を使いすぎたがために、神自らが持つ生気が枯渇した状態。
生気が枯渇しただけならまだいいのだが、空っぽになった神の体に負の生気である荒神の気が侵食していく。
荒神の気に支配された神は自我を失い暴れ出す。
そしてついには、周囲のフィールドを巻き込むほどの大爆発を起こして消えていくのだ。
その爆発は、小門の中のフィールドが全て消し飛ぶほどの威力。
タカトとビン子の前に現れたのは、荒神になりかけたティアラであった。
ティアラと言えば、人魔収容所でソフィアと共に消えた「時の女神」である。
ミズイ、ネル、カルロス、ピンクのオッサンの4人をして対峙した人魔管理局長ソフィア。
こともあろうか、そのソフィアは魔人と神の融合体。
魔人の力と神の盾を使うソフィアは、はっきり言って強敵だった。
そんなソフィアの前に力尽きた四人……
だが、無情にもソフィアの爪が襲い来る。
そんな時、ティアラが神の恩恵を使いソフィアごと消えたのだ。
ティアラは、時の女神である。
すなわち、神の恩恵は時を操る。
ソフィアとティアラは、時を超えて姿を消してしまった。
そんなティアラが、森の中でウ●コをしていたタカトとビン子の前に現れたのだ。
という事は、この時間軸に飛んだという事なのだろう。
なら、一緒に飛んだはずのソフィアもまたいるはず。
だが、茂みから現れたのはティアラ一人。
ソフィアの姿はどこにも見えなかった。
すでにどこかに逃走した後なのか。
それとも、違う時間軸に落っこちたのであろうか。
だが、今のティアラにそれを尋ねても無理だろう。
あの時に放った神の恩恵のせいで、ティアラの身はかなり荒神化が進行していたのである。
もう、自我を失うまで、あとわずかといったところ……
「タカト……約束したよね……早く……私を助けて……」
「でも……まだ、今の俺には……」
「お願い……神祓いの舞で……早く……私を助けて……」
「ごめん……だから、俺……神祓いの舞なんて知らないんだ……」
「嘘つき! 嘘つき! 嘘つき!」
「ティアラ! 落ち着いて! 本当にタカトは知らないんだよ」
「イブは黙ってて!」
「イブ?」
「いつもいつもイブばかり! どうしてなのよ!」
「……」
「みんな嫌い! みんな嫌い! みんな嫌い!」
「……」
「……」
「みんないなくなれっっっっっっ!」
その瞬間、タカトの視界は白き光に包まれた。
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