第278話 トイレのタカトさん(2)

 隣の個室のドアが開く音がした。

 そして、何者かが出ていく音がする。

 ――おっ? やっと終わったか?

 タカトは便座に座りながら、その何者かの幸せそうな表情を思い浮かべていた。

 だが、ふと思う?

 ――トイレットペーパー返ってきてないぞ?

 もし、タカトがここで大をしていたとするならば、えらいことである。

 今度はコチラがトイレットペーパーがないという緊急事態に……

 だが、大丈夫、タカトは小さい方はしていたが、大きい方は、ガスだけだったのだ。


 コンコン

 突然、タカトの個室のドアを叩く音がした。

「助かりました。ありがとうございます。お礼に何か差し上げたいのですが……」

 タカトはトイレに座りながら思った。

 ――紙返せよ!

 だが、喧嘩を売って、もめ事を起こすのは得策ではない。

「いえいえ、けっこうですよぉ」

 タカトは口に手を当て、個室のドアから外に向かって叫んだ。

 ――いやいや、もう、トイレットペーパーもいらないから早くどこかに行けよ!


「そうは言っても人生の危機を救っていただいたので……こう見えてもわたくし、ココでは結構偉い人なんですよ」

 ――何! 権力者か?

 とっさにタカトはドアをにらんだ。

 いや、ドアの向こうにいるだろうと思われる人をにらんだ。まあ、ドアがあって見えないんですけどね。

 現時点で、タマホイホイについて何も情報がないタカト。

 ――ココは権力者と言う男の力を借りた方が賢明ではないだろうか? 当てもなく探し回るよりも効率がいいに違いない。うん、そうだ!

「それじゃ……探し物手伝ってもらえます……」

 タカトは恐る恐る提案してみた。

 その声を聞いたドアの向こうの男の声は、とてもうれしそうなトーンになった。

「いいですよ! いいですよ! お手伝いしますよ! ぜひ! お手伝いさせてください! で、何を探しているんですか?」

 よほど、トイレットペーパーを差し入れてくれたことが嬉しかったのだろう。

 もしかして、絶望するほどお尻の周りに茶色い物体がこびりついていたのだろうか。

 そうだ、そうに違いない。

 ま、間違いない……ヤツだ……ヤツが来たんだ!

 よほどの腹痛だったのだろう。便器の中に拡散粒子砲のように飛び散ったものが、跳ね返り太もも近くまで侵攻していたのかもしれない。

 もしかして、密林の奥にある棒本拠地もすでに攻撃を受けていたかもしれない。

 この茶色い物体が固い無骨な奴であったなら、最悪、トイレットペーパーの芯で何とか戦える場合もあるが。

 だが、赤きパプリカの原型が残る液体状であると、芯で闘う事は到底無理なのだ。

 赤い色の○○○! シャーじゃないか?

 せまい便器という洞窟の中にむき出された下半身は、もうびしょびしょ。茶色い斑点に交じって赤いパプリカが飛び回る混戦状態だったことだろう。

 トイレットペーパーがないという状況は、最悪以外、何ものでもないのだ。

 こんな時、天から白きトイレットペーパーがふってきた。

 もう、隣の個室に向かって手を組み祈りをささげたくなる気持ちになるのは、痛いほどよく分かる。

 残念ながら、このトイレはウォシュレットではない。

 あのケツに飛び散った茶色い斑点をふき取るのは、意外に手間のかかる作業なのである。

 と言うことは、投げ込まれたトイレットペーパーは、全て使用済み、残弾数ゼロなのか? なら、帰還することはできないよな……

 トイレットペーパー! トイレに散る!


「タマホイホイっていう、手のひらサイズの筒状の道具なんですけどね……」

「タマホイホイ? もしかして、ソフィア様がおっしゃっていた人魔を呼ぶという、あれですか?」

「いや、人魔は呼ばないと思いますよ。でも、ソフィア様が持っているあれだとは思います」

「………………」

 ドアの向こうの男は黙ったままでなにも答えない。

 思い当たる節がないのであろうか?

 やっぱり自分で探すしかないようである。

 タカトは半ばあきらめた。

 しかし、次の瞬間!


 ドン!


 個室のドアを誰かがケツった! ノックではない! 明らかに思いっきり蹴った音である。

 ビクッとするタカト。


「こらぁ! ガキ! 出てこんかい! お前、侵入者だな!」

 ドアの向こうの男が、ガンガンと蹴りを入れてくる。

 ヤバイ!

 ココはトイレの個室である。

 逃げ道なんてありはしない。

 タカトは考えた。必死で考えた。

 頭に指を当て必死で必死で考えた。


 ぽく

 ぽく

 ぽく

 ぽく


 ぷーっぅぅぅぅ!


 何かをひらめいたタカトは個室のドアに耳をあて、外の様子を伺った。

「あのぉ、そのことで耳寄りな情報があるんですが、ドアに耳つけてもらえます……」

「おっ! 意外に素直じゃないか!」

 ドアの向こうで何かがこすれる音がした。

 どうやら、男が素直にドアに顔をつけたようである。

 タカトは、トイレの便座の上に体を乗せて、前かがみでドアのカギを静かにスライドさせた。

 ――馬鹿め!

 にやけるタカトは、その瞬間、思いっきり個室のドアを内側に引いたのだ

 引き込まれるドアと共に男の体が、トイレの中へと倒れ込む。

 便座の上からジャンプしたタカトは、倒れた男の体を飛び越えて、無事、外の世界に躍り出た。

 振り返るタカト。

 トイレの個室に、小柄なジジイが前のめりで倒れ込んでいた。

 なんだか、このジジイになら勝てそうな気がする。

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