第275話 ケテレツのファイル(3)

 真音子は、ドアの外へと慌てて飛び出していくアルテラを見送った。

 ――やれやれ……

 あきれた様子で真音子は肩をすくめる。

 だが、その瞬間、真音子の背筋に何か冷たいものが走った。

 ――この感覚……

 瞬時に真音子の表情がこわばった。

 誰かに見れれているような感覚……

 先ほどまでこの部屋にいたのは真音子とアルテラだけである。誰かいたのであれば、その時に気づいているはずだ。

 だが、この突き刺さるような視線。確実に何かいる。

 ――この気配……人ではないな……


 真音子は、その何者かに気づかれるぬ様に、ゆっくりと視線を動かした。

 その映る景色が、徐々にドアから、机へと移りゆく。


 だが、部屋の中は静まり返って、動くものは何もない。


 今までの経験を手繰り寄せ、似たような気配を思い出す。

 かすかな気配。

 しかし、どことなく嫌な気配。

 ――やはりこの気配……魔物か……


 真音子の瞳だけが、左右に動き、部屋の隅々を凝視する。

 まるで目玉の動く音がかすかに聞こえるほど、部屋の中は何人もの音がなく静まり返っていた。

 研ぎ澄まされた真音子の鼻が、部屋の中にむせかえるように溢れる薬品の香りの中から異質な香りをかぎだした。

 真音子の目が、その何がしらかの存在を探るかのように動いていく。

 ゆっくりと、ゆっくりと、その何かに決して気取られぬようにゆっくりと。


 しかし、止まった視線の先には、やはり何も見当たらない。

 ――いや、必ず何かいる……

 真音子は確信していた。

 この肌に感じる敵意。

 真音子は息を殺し、感覚をさらにとがらせた。

 その殺気は、壁に立てかけられている本棚から発せられている。


 小さな小さな殺気である。

 まるで、小さな小さな生き物のような気配。

 こんな小さな気配だと、先ほどまでアルテラが作る喧騒に紛れてしまうのはムリもない。

 本の影に小さなハチが隠れているのを見つけた。

 しかし、それはハチではない。

 頭につく二つの複眼が緑の光を発している。

 明らかに魔物である。

 ――あれか!


 真音子の発する気配を察知した小さな魔物。

 その瞬間に羽を震わせ、姿が消えた。

 だが遅い!

 真音子の手から投げ出されたナイフの白い光がまっすぐに伸びていた。

 棚に突き刺さったナイフが、小気味のいい振動音を立てている。


 その床下には、胸と腹とに真っ二つに切れたハチの体が落ちていた。

 今だに胸につく足は、痛みにもがくかのように激しく動いている。

 そして、その三角の頭部についた緑の複眼は、忌々しそうに近づく真音子をにらみつけていた。

 真音子は、その羽をつまみ上げる。

 魔物の黄色い胸と頭がそれに伴って吊り上がる。

 抵抗するようにもがくハチ。

 しかし、その動きは、だんだんと緩慢になってきていた。


 !?


 ハチをつまむ真音子の、表情が一瞬険しくなった。

 それもそのはず、このハチの魔物は魔の情報の国の魔人騎士ハニーベガが使役する小型の魔物。

 情報の国の魔人騎士ハニーベガは、使役するハチの魔物をいたるところに飛ばし、そのハチからいろいろな情報を得ていると言われている。

 そのため、この融合国にも、そのハチがいたとしてもおかしくないのである。

 だが、ここは警備の厳しい人魔収容所。

 小さな魔物と言えどもそうたやすく侵入できるものではない。すぐさま気配をたどられる。


 ――なぜ、ハニーベガのハチが、こんなところにいるのだ。


 嫌な感じがする。

 もしかしたら、融合国内に魔人国と通じているものがいるというのであろうか。

 ならば、このハチは、魔人国とのつなぎ……

 であれば、ココにいたとしても不思議ではない。

 ――誰が……

 ココはケテレツの研究室。もしかしたら、ケテレツたちは何か隠しているのか?

 慌てて、あたりを物色する真音子。

 ケテレツの机の引き出しに手をかける。

 しかし、ガチャガチャと鍵が邪魔して、開かない。


 真音子は引き出しと机の隙間にナイフを突っ込み、力を込める。

 弾けるような音共に、引き出しががくんと揺れ動いた。

 乱暴に引き出された引き出しの中で、書類が勢いよく揺れ動く。

 その書類の中には、分厚いファイルが一冊あった。

 鍵をつけてまで保管するとはよほど大事なファイルなのだろう。

 真音子はそのファイルをパラパラとめくる。

 めくる手がピタリと止まった。


 ――この女……ソフィアか……


 そうそのファイルは、ケテレツがソフィアについてを調べたものであった。


 真音子はファイルを、今一度、初めから目を通す。

 真音子の目が、文字を追って、素早くジグザグに移動していく。


 神は、神の恩恵を使いすぎると、生気が枯渇して荒神となってしまう。この荒神の状態から神を開放するために、聖人国では国ごとに異なった方法で神祓いを行っていた。この融合国では、ある一族の者が、剣舞を舞い、荒神の気をそぎ落としていくのである。

 この神祓い同様、魔人国でも、荒神の浄化する方法が独自に発展していた。ある魔人国では荒神となったものを救済するために、一人の魔人が、己が体を変形させ、その体内に荒神を取り込むという。そして取り込んだ魔人は繭を作り、その繭の中で荒神の生気を自らの体内に取り込み浄化していくのである。

 荒神の生気が浄化された神は、聖人国の神祓い同様、繭から出て、一時その姿が見えなくなるが、生気が戻れば、また、具現がしてくるのである。しかし、一方、繭を形成した魔人は、荒神の生気と共にその一生を終えるという。

 聖人国の神祓いとは異なり、まさに、己が命をかけた荒神の浄化であった。

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