第167話 燃える万命寺(3)

「あ~ぁ、なんで私がこんなことしないといけないのよ!」

 軍馬の上でアルテラがブーたれている。


「アルダイン様のご命令です」

 オオボラはアルテラをなだめすかす。

 内心はこんな小娘と思っているのであろうが、職務に忠実なオオボラはアルテラの立場を立てるのである。

 アルテラもまた、オオボラが職務のために付き従っているだけと理解はしているが、緑女を忌み嫌って離れていかないということは少々うれしかった。おそらくそんなアルテラの心情が先の砕けた発言を導いたのであろう。


 アルテラの隊が森を抜けると、辺りの空気は一変した。スラムの前に突如現れる守備兵たち。その数、ざっと数十人。

 スラムは、騒然とした空気に包まれた。

 自分たちを捕まえに来たと勘違いしたスラムの人々が、慌てて逃げ惑いだしたのだ。


 悲鳴を上げて我先に走り出す。

 怒号と鳴き声が辺りを覆う。

 四方八方に激しく行き交う痩せ細った人々によりテントは次々と引き倒されていく。

 砂ぼこりを立てる汚れた足は、たき火の黒い煙と共に火の粉を撒き散らす。

 黒い煙が立ち上る路上には、親を見失った子供が一人ぽつんと泣き叫んでいた。


 アルテラはその様子を馬上で呆然と見つめていた。

 ――私まだ何もしてないのに……

 オオボラは、これ以上人々を刺激しないように、隊の進みを制止する。


 人々は、慌てて万命寺へと逃げ込んでいく。

 路上で泣く子を抱き上げる母親も、軍隊がいつ追ってくるかとおびえながら万命寺の門をくぐり抜けた。


 ほどなくして、スラムには黒煙の風に吹かれ転がる鍋の音しかしなくなった。


 それを確認したかのようにオオボラが手を振る。

 ゆっくりと進む隊は、万命寺の門前で足を止めた。

 オオボラが、大きく息を吸い込み、馬上で叫んだ。


「罪人であるエメラルダが隠れているとのこと。寺の中をあらためさせていただきたい!」


 だれも何も答えない。

 もう一度叫ぶオオボラ


「罪人のエメラルダが逃げ込んだとのこと。脅迫されている万命寺をお救いしたい!」


 オオボラは、まるで自分の後ろにいる守備兵たちに万命寺は被害者であるかのように叫んだ。


 早く出て来い!

 そして、エメラルダをさっさと渡せ。

 それで終わりじゃないか!


 二人の鬼神が無言で構えている。

 まるでオオボラを悪人であるかのようににらみつけているようであった。

 オオボラも、負けじと鬼神をにらみかえす。


 門からゆっくりとガンエンが姿を現した。


「おおこれはオオボラや。久しいの」

 ガンエンは笑いながら顎をこすった。


「エメラルダが逃げんこんでいるはずだ、寺をあらためさせていただきたい!」


「これはこれは、オオボラさまは、えらくなられたようで」

 大笑いするガンエンの目はさらに細まった。


「笑い事ではない! さっさとエメラルダを連れて来い! それで終わりだ!」

「エメラルダさまとな……はて? 知らんな?」

「誤魔化すな!」


 笑っていたガンエンの目がキッとオオボラをにらみつける。

「万命寺は王より賜った寺であり、いかなるものにも従う必要はない!」


「罪人一人のために万命寺を灰塵に帰したいのか!」


 フンと鼻で笑うガンエン

「オオボラや! 万命拳の教えを忘れたのか。弱きものをすくい、間違いを正す!それが万命寺の教えでもある。そのためなら喜んで寺なんぞ差し出そうぞ! ただし! 万命寺に一歩でも踏み込めば、我ら、修羅と化してお相手しんぜよう!」


 オオボラに背を向けたガンエンは、高笑いをしながら万命寺の中へ消え去っていった。

 ガンエンの姿が消えるとともに、万命寺の門が低い音を立てて閉まっていく。

 そして、ドンという音ともに門が固く閉ざされた。


 唇をかみしめるオオボラ

 ――あのわからずやのジジイが!



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