第三章 おっぱい大王

第145話 み・みずをくれ・・・(1)

「ガンエン! ガンエンはおるか!」


 万命寺にあわただしく駆け込んだ権蔵は、大声をあげた。

 夜中の寺の境内など、歩き回るものはなかなかいないだろう。

 権蔵の大声だけが、静まり返る境内に大きく響き渡る。

 何も変わらない境内の様子。

 それでも権蔵は、何度も何度も叫び続けた。


 ほどなくすると寺の奥にうっすらと明かりがともり、ゆっくりとその明かりを動かした。


「なんじゃこの夜なかに……」


 ろうそくを手にガンエンが眠そうに歩いてやってくる。

 さらにその奥の廊下から小さな駆け足が聞こえてくる。

 コウエンもまた、何事かとろうそくを片手にかけつけてきていた。


 権蔵は、馬の手綱を強く引き、廊下のガンエンのそばまで急ぎ足で歩み寄る。

 ガンエンは膝まづき、近づく人影を確認しようとろうそくの炎を近づけた

 権蔵の汗まみれの汚い顔が、ろうそくの明かりで照らし出された。

 権蔵のはぁはぁと切れる息が、ろうそくの炎を揺らす。

 ガンエンは顎を擦り微笑んだ。


「おぉ、権蔵。久しいの。駐屯地以来じゃな」

「ガンエン頼みがある、この女を救ってくれ」


 血相を変えた権蔵は、挨拶もすっ飛ばし頭を下げた。

 そのただごとならぬ様子にガンエンの顔がスッと険しくなる。

 すぐさま、はだしで階段を下り境内へと降りたった。

 馬にまたがるミーアのわき腹にろうそくの光をかかげる。


 ふらつくビン子ではなくミーアが重症であることを一目で見抜くガンエンは、さすがに医者である。


「コウエン! 治療の準備をせい!」

 コウエンは急いで治療室へ駈け込んでいく。


「権蔵! そいつをこっちに連れて来い!」

 ガンエンは、肩に手を当て腕をグリグリと回しながら、治療室へと入っていく。


 権蔵は、ビン子を抱き、寺の廊下にゆっくりと寝かす。

 すでに眠ってしまっているビン子は起きる様子がない。

 すやすやと気持ちよさそうな寝息を立てている。

 その様子に安どの表情を見せる権蔵。


 そして、ミーアを静かに馬から降ろすと、肩を抱き、治療室へとゆっくりと連れていく。

 平気そうな表情を浮かべていたミーアであったが、すでに足が思うように上がっていない。

 小さな小石にさえ足を取られ転びそうになるたびに、歯を食いしばる。

 引きずるような足が、境内の石畳をの上に波打つ一条の赤い線をゆっくりと描いていく。


 権蔵たちが治療室に入ってしばらくしたのち、息を切らしたタカトが境内によろつきながら入ってきた。


「ち……ちかれたぁ……マジで死ぬ……」


 息も切れ切れである。

 もうどこかに座りたい……


 境内の階段に力なく座り込もうとするタカト。

 エメラルダが背にいてうまく座れない。

 何とか最後の力を振り絞り腰を上げたタカトは、とりあえず、エメラルダを先に境内の階段へと座らせた。


 はぁぁぁぁ

 と腰をそる。


 境内の石提灯がいつの間にかうっすらと赤い光を揺らしている。

 辺りを探すタカトは、赤い光の影に手洗いの水場を見つけた。

 喉の乾きが口をねばつかせる。

 牛の口のようにもごもごと動かすタカト。


 ――み……みず……をぐれぇ……


 水場に誘い込まれるように、ふらふらと腰を丸め、力なく歩きだす。

 しかし、タカト歩みを邪魔するかのようにのシャツが後ろに引っ張られた。

 タカトは後ろを振り向く。

 エメラルダが、震えながらタカトのシャツの裾を掴んでいたのである。


「ねぇちゃん……俺、水が飲みたいんだけどなぁ……」


 うつむくエメラルダはタカトのシャツを離さない。

 それどころかさらに強く握りしめた。


 ――くそっ! 俺は意地でも水を飲む!


 タカトは背中の青丸がビローンと伸びるシャツから、さっと頭と腕を抜いた。

 咄嗟に緊張を失ったエメラルダの腕がタカトのシャツと共に後ろに跳ね飛ぶ。

 上半身裸のタカトは、にやりと笑う。

 水場に向かって猛ダッシュ!


 ――ざまぁみさらせ!


 と思ったのだが、今度はズボンのウエストが引っ張られた!

 両手で必死に引っ張るエメラルダ

 必死に駆けようとするタカト。

 ズボンの帯が右に左にと行き交った。


「行かないで!」

 エメラルダの涙声が響く。

 タカトの足がピタリと止まる。

 ゆっくりと振り返るタカトの目に、涙をボロボロと流すエメラルダが映った。


 タカトは、仕方なくエメラルダの横に腰をおろした。

 エメラルダはタカトの肩にぴたりと身を寄せ泣いている。


 どうしたものかと頭をかくタカト。

 冷静にこの状況を整理する。

 上半身裸のタカト。

 マントを身にまとってはいるものの、どうやら裸のエメラルダ

 そのエメラルダが、タカトに身を預け泣いているのである。


 これはどう見ても、男と女の情事をした後に、急に別れ話でも切り出した非情な男のシチュエーションである。


 やることやったからもう行けよ。

 イヤ、そんなこと言わないで

 タカトの脳裏にムフフな本のワンシーンが浮かぶ。


 ――いやいや、俺はまだ、何もしていないって……


 誰かの目がないかとっさに辺りを伺うタカト。

 こんな状況を見られたら大変だ。

 そんなタカトの頭の上から何かの気配がした。


 ビシっ!

 タカトの頭の上にハリセンが力なく落ちてきた。

 咄嗟に頭を抱えるタカト。

 そして、恐る恐る振り返る。

 そこには頭上の廊下でビン子が寝息を立てていた。


 寝ているのか……


 タカトは様子をうかがう。

 しかし、ビン子は起きる様子がない。

 タカトはつぶやく


「貧乳……」


 ビシっ!


 力なく落ちていたハリセンがタカトの顎をアッパーカットのようにたたきあげる。


「起きとんかい!」


 しかし、反応がない……

 寝がえりと共に、ハリセンがタカトを襲ったのだ。


「あぶねぇなぁ……」

 タカトは、ビン子の手からそっとハリセンを外した。

 そして、静かにエメラルダに肩を貸し続けた。

 しかし、水が飲みたいタカトの口は、もごもごと動いていた。


 ――水飲みてぇ……

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