第146話 み・みずをくれ・・・(2)

 いやぁぁぁぁ!


 エメラルダの悲鳴がタカトの耳元で鼓膜を激しくゆらした。

 いつの間にかタカトも、うとうとと寝てしまっていたようであった。

 何事が起きたのかと、ぼーっとする目を懸命に凝らし、辺りをきょろきょろと見渡す。


 横ではエメラルダがタカトにしがみつき震えている。

 タカトたちの前では、権蔵とガンエンが心配そうにエメラルダを覗き込んでいた。

 どうやら、ガンエンが顔の傷を確認しようと触れた瞬間、エメラルダは飛び起き、叫んだようであった。


「エメラルダ様、大丈夫です。ガンエンと権蔵です」

「そうですじゃ。以前お世話になった第七の権蔵ですじゃ」


 エメラルダはタカトの背に隠れるように震え、顔をあげない。


「その傷を少し見せてはいただけませんか」

 ガンエンは、落ち着かせるかのようにやさしく語り掛けると、再びゆっくりと手を伸ばした。

 エメラルダは、その手を拒絶するかのように、激しく抵抗する。

 そして、体に触れられまいと大暴れをしはじめた。


「いやぁ! いやぁ! いやぁ!」


 暴れるエメラルダの拳が、タカトの側頭部やほっぺをどつきまわす。

 どうすることもできずに、ただただ殴られ続けるタカトの頭が、どつかれるたびに横に揺れる。


 ――俺、なんで殴られてるの……


 ねぼけたタカトの鼻から鼻血が垂れた。

 暴れるエメラルダを落ち着かせようと権蔵が手を押さえつけようとした。

 抵抗するエメラルダから、ミーアのマントがはらりと滑り落ちた。


 薄っすらとろうそくの光に照らし出されるエメラルダの裸体。

 権蔵とガンエンは息を詰まらせた。


 エメラルダの左胸には、本来あるはずの豊満な胸ではなく、赤く痛々しい大きな傷跡が広がっていた。


 後ずさる権蔵。

 ガンエンもまた、とっさに言葉が出なかった。


「これは……ひどいの……」

 ガンエンはやっとのことで言葉を絞り出した。


 エメラルダはタカトにしがみつき半狂乱になりながら悲鳴を上げ続けている。

 タカトが安心させるかのようにエメラルダを抱き、髪を優しくなでる。

 しかし、髪には何かがこびりつき、手がなめらかに滑り落ちることを妨げた。

 それでも、タカトは休み休みでもゆっくりと頭を撫で続けた。


 マントが落ちたエメラルダの体には、無数にあざや傷があった。

 そして、その白い肌は、黒く汚れ、いたるところに何かの液体がこびりついたようなシミがホコリとゴミを引っ付けて広がっていた。

 もう、幾日も風呂に入れられていないのであろう、体中に生臭いにおいがこびりついている。


「タカトや。エメラルダ様を近くの温泉に連れて行ってやれ」


「俺、男だぜ! コウエンがいるだろうが」


「今、コウエンは、治療室であの女魔人の様態を見ているため手が離せん」


「そしたら、ビン子は?」


 権蔵がタカトの後ろを指さした。

 振り返るタカト

 廊下の上では、にこやかにほほ笑み、よだれを垂らしながら口をムニムニと動かすビン子が気持ちよさそうに寝ていた。


 ――こら……あかんわ……


「タカトや、エメラルダ様は、お前だけは大丈夫なようじゃ」

「そう、今、エメラルダ様を支えてやれるのはお前だけなんじゃ」


 エメラルダを見るタカト。

 エメラルダはタカトの肩に顔を押し付け力なく震えている。


 ――しゃぁないな……

「行くか……」


 タカトはエメラルダの頭を肩からずらし、安心させるかのようにその手を取ると、立ち上がった。

 エメラルダは、不安そうに涙を一杯ためた目でタカトを見上げる。

 ゆっくりと手を引き立ち上がらせた。

 ろうそくの明かりにエメラルダの妖艶なシルエットが浮かび上がっていく。

 タカトは、権蔵から、落ちたミーアのマントを受け取ると、エメラルダに優しくかけた。

 ガンエンは手に持つろうそくと何枚かの手ぬぐいをタカトへと手渡す。


 マントに身を包んだエメラルダはうつむき、力なくタカトの手に引かれ、ゆっくりと歩き出した。

 権蔵とガンエンが無言で見送る。

 二人のそばを通り過ぎる瞬間、タカトを握る手に力がこもる。

 マントの首元をぎゅっと握りしめ、目を固く閉じて進む。

 タカトの手にエメラルダの震えが伝わってるのが分かった。


 タカトは、何も言わずエメラルダの手を強く握り返した。

 二人は、ゆっくりと寺の門をくぐっていった。

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