第143話 逃亡者(4)

 暗い森の道を老馬がひょっこりひょっこりと歩いている。

 タカトは馬の手綱を引き、先ほどから何度も何度もあくびをしている。

 よほど眠たいのであろう。

 馬の背では、ビン子もまた、眠そうにふらふらと揺れている。

 だいぶ時間が遅くなってしまった。もう、よい子は寝る時間なのだ。


 ガサガサ


 森の茂みの中から何かの音が聞こえた。

 咄嗟に身構えるタカト。


 ――熊か……


 腰の小剣にゆっくりと手を伸ばす。

 脇の茂みに近づくタカト。

 開血解放された小剣が、ランプの光を怪しく反射する。


 森の中は闇である。

 真っ暗な漆黒。

 何かがいたとしてもそれが何かは分からない。


「どなたかいらっしゃいますかぁ?」

 タカトはこわごわと目の前の闇に語り掛ける。

「いらっしゃいましたら、返事してくださーい」

 しかし、返事はない。


 ガサガサ


 しかし、音は続いている。

 タカトの額から汗が垂れる。


 ――何かは、必ずいる……


 後ずさるタカト。


 ――逃げるか……


 馬を見るタカト。


 ――馬は逃げきれても、俺が追いつかれるやんか……


 ランプをかかげ様子をうかがっているビン子を恨めしそうににらみつける。


 ――こんなことなら、格好つけずに俺が馬に乗ってりゃよかった……


 ランプを揺らすもビン子もまた暗闇の中に、何も見つけることができなかった。

 ビン子は、何かを思い出したかのように、自分のカバンの中に手を突っ込んだ。


 ビン子は一つのメガネを取り出すと開血解放し、自らの目にかけた。


『裸にメガネ―』は、暗闇の中にうずくまる白い人影を映し出した。

 しかもその人影の雰囲気から女たちのようである。


 馬を飛び降りたビン子は、メガネが示す白い人影へと、ランプをかざしながら暗闇の中に分け入っていく。

 ランプの光が暗闇を少しづつ溶かしていく。

 ビン子の影に隠れるように、恐る恐るあとをついていくタカト。


 木の影に、身にまとうマントの裾をまるで外界を拒絶するかのように固く閉じ、震える手で握りしめる女がうずくまっていた。

 ビン子は近づく。

 そのマントの女の前に、もう一人の女が膝まづいていた。

 ランプをかざすビン子

 女の目がランプの光で緑に光る。


「まもの!」


 咄嗟に身構えるビン子。

 そこにはタカトの姿はすでになかった。


 しかし、緑の目はビン子を襲う様子はない。

 それどころか膝まづいたその魔人は、後ろの女をかばうかのように、両手を大きく広げビン子をにらんでいる。


「大丈夫?」

 恐る恐るビン子は二人に声をかける。

 とりあえず安全そうであることが分かったタカトは、ビン子の影から顔をピョコンと突き出した。


「おっ、こんなところで……って、あんた、あの巨乳の姉ちゃん!」

 タカトの顔を見た瞬間、エメラルダが頭をマントにうずめて怯えだす。

 そして、さらに小さくうずくまり、震えだした。

「ごめんなさい……ごめんなさい……にげたりしてごめんなさい……」


 エメラルダの尋常ではない様子に顔を見合わせるタカトとビン子。

「俺……何かした?」

 首を振るビン子。


 様子をうかがっていたミーアは、二人から危害を加えられる恐れがないと判断すると


「すまない……この女性を……安全なところまで……連れて行ってもらえないだろうか……」


 とぎれとぎれに息をつきながら、タカトたちに頼んだ。


 魔人である自分の頼みを、人間であるこいつらが聞いてくれるだろうか……

 いや、そんな奴はこの世にはいない……

 それどころか、仲間を呼ばれて、殺されるだろう……

 私はそれでいい……

 しかし、エメラルダだけは……・

 それだけはなんとしても避けたい……

 せめて、エメラルダだけでも……


 ビン子がミーアを照らす。

 ミーアの足元がおびただしい血で、真っ赤に染まっていた。


「きゃぁ!」

 驚くビン子。

「お前! 大丈夫か!」

 タカトはミーアに駆け寄る。

 ミーアはタカトの手を跳ねのける。

「私はいい! この女性を頼む!」


「アホか!この巨乳の姉ちゃんより、お前の方が大ごとだろが!」


 タカトは無理やりミーアの肩を抱くと馬の上へと押し上げた。

 ――何だと!

 意識がもうろうとなるミーアは驚きタカト見つめた。

「私はいいんだ……あの女性を頼む……」


「分かっとるわい! 黙っとレ! ビン子! この人、落ちないように頼むぞ」

 馬の上のビン子の体にミーアの体を縛り付ける。

 タカトの右腕につたいタマが急いで降りてくると、ミーアのわき腹にぴちゃりと引っ付いた。

 どうやらその体で、止血を試みているようである。


 タカトは、エメラルダのもとに戻ると抱きかかえようと手を触れる。


 いやぁぁぁぁぁ!


 激しく手を払い、後ずさるエメラルダ。

 その表情は、大粒の涙を流し、ひどくこわばっていた。

 タカトは、この状況を考える前にとっさにエメラルダを抱きしめた。

 腕の中で暴れるエメラルダ。

 タカトの顔にいくつものひっかき傷ができていく。

 それでも更に強く抱きしめた。


「大丈夫……大丈夫……」


 暴れていたエメラルダの手が力なく落ちた。

 タカトの肩に預けるように頭を垂れる。

 エメラルダの閉じた瞳からこぼれ落ちた涙が頬をつたい、タカトのシャツを濡らした。


 タカトはエメラルダを自分の背に背負う。

 タカトの手がエメラルダの尻の肉に優しく包まれる。

 手にその体温が直に伝わる。

 しかし、今のタカトにそのようなことを考える余裕などはなかった。

 馬と共に権蔵の家へと全速力で駆け戻る。


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