第107話 ウサギさん!さようなら(7)

 タカトのカバンを握りしめた二匹のウサギは、土のぼこりをあげながら、薄暗い路地へと駆け込んだ。

 日の当たらない路地で、膝に手をやり、肩で息をする。


 はぁ、はぁ、はぁ


「来月もこれでお母さんは、病院にいられる……」


 蘭華は、タカトから巻き上げた金貨を見ながらつぶやいた。


「蘭華ちゃん。あのお兄ちゃん、ダンス上手になっていたね」

「あれはダンスじゃない! 体操だよ」


 肩で息をする蘭華の目は少々悔しそうであった。

 明るい路地を振り返りながら蘭菊はつぶやく


「でも、前の時とは大違いだったね……」

「そうね。でも、私の敵ではないけどね!」


 蘭華のかき上げた黒髪から、汗が流れ落ちた。

 蘭菊は手にもつカバンを、興味深そうに開けた。


「何が入っているんだろうね」

「まぁ、お金は手に入ったから、後は適当に売っちゃおうよ」


 蘭華は笑いながら、蘭菊の手を覗き込む。

 カバンの中には、極め匠シリーズの工具が5種類、巨乳アイドルのアイナちゃんの手拭いが一つ、そして、青く光る液体が入った小瓶が一つがはいっていた。


「なんか、たいしたもの入っていないね」

 蘭華がつぶやく。

 蘭菊は、本当にもう何も入っていないのかカバンを覗き込むと、開いた口を下にして、再度、振ってみた。

 中から、パン屑がぽろぽろと落ちてくる。

 光る小瓶を手に取り、日に当てて中を伺う蘭華。


「とりあえず、これでも売れば、お金になるかな」

「そうだね。それなんか、綺麗だから、お金になるかもよ」


 蘭華と蘭菊は顔を見合わせ、微笑む。


 そんな二人の頭上から声がする。


「その小瓶は売っちゃだめよ」


 びっくりしながら見上げる二人の眼には、荷馬車に腰かけるビン子が映った。


「いっ!? いつの間に!」


 蘭華と蘭菊が後ろに飛び下がり、とっさに身構えた。

 いやいや、私が来たのではなく、君たちがやって来たのだよとビン子は心の中で思う。

 ビン子の止めた荷馬車の横に走り込んできたのが蘭華と蘭菊だったのである。

 しかし、そうなるように仕向けたのはビン子でもあった。

 蘭華と蘭菊が病院に向かう道に荷馬車を、わざわざ止めて通るのを待っていたのである。


「その様子だと、タカトは、やっぱり、ぼろ負けね。大丈夫よ。お金を返せとは言わないから」


 蘭菊はホッと胸をなでおろすが、蘭華はお金と小瓶を体の後ろに隠し、ビン子をにらみつけている。


「でもね、その小瓶は売っちゃダメ。それは、万能毒消しだから、必ずお母さんに飲ませなさい」


 微笑むビン子。

 はっとする蘭華と蘭菊は、小瓶を見つめる。

 小瓶を持つ蘭華の手が小さく震えている。


「……お母さん、治るの……」


「たぶんね」


 蘭華はその場にうずくまり、鳴き声を上げた。

 今まで頑張っていた糸が切れたかのように、大声で泣いた。

 次々と暗い路地の窓が開き、何事かと人々が顔をだす。

 蘭菊が、何でもないですよぉと、慌てて手を振っている。


「だからね。売っちゃダメ」


 ビン子が優しく微笑む。

 小瓶を抱きしめ泣き続ける蘭華。

「お母さん……お母さん……」


 ひとしきり泣いた蘭華は、小瓶を大切そうに両手で抱きしめ、立ち上がると、ビン子を見つめた。


「どうして……私たちに……」


「あいつは小さい時に家族を魔人に目の前で殺されたんだって。だから、お母さんを失いそうなあなたたちをほっとけなかったんでしょう」


「なら、初めからそう言ってくれればよかったのに、私たちバカみたいじゃない」


「バカみたいじゃなくてバカなのよ。そしてあいつは極めつけの大馬鹿。照れずに素直にすればいいやつなんだけどね」


 ビン子はため息をつく。

 蘭菊も蘭華の肩に手をやり、いつの間にか泣いていた。


「さぁ、分かったなら、その薬をお母さんのところに持って行きなさい」


 二人は、涙で真っ赤になった目をこすりながら小さくうなずく。

 暗い路地先の希望の光に向かって、小さなウサギが二羽、軽やかにはねていった。

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