第63話 激闘!第六駐屯地!(30)父一人、子一人

 夕暮れが迫る第六駐屯地。

 赤く染まる城壁にひときわ大きな黒い影が映っていた。

 それは毒がまわったガンタルト。

 巨大な亀頭が城壁の一部を砕き割り、その体を壁にめり込ませ横たわる。

 先ほどまで大きく息をするたびに動いていた喉元も、今ではその動きをすっかり止めていた。

 どうやら超巨大な魔物とは言えども、対大型魔物用特級邪毒『宿禰すくね白玉しらだま』には勝てなかったようである。


 そんなガンタルトが作った城壁の裂け目から、奴隷兵たちが外の様子をうかがっていた。

 というのも、魔物に抵抗する力を持たない奴隷兵たち。

 この大きく避けた入口から魔物たちが入り込まないように盾を構えて必死に防ぐのが精一杯なのだ。


 当然に、城壁の外では、駐屯地の内部に入り込もうと、この裂け目の前に魔物たちが集結してくる。

 その群れは、まるで自動ドアの前に置かれた玄関マットのように城壁に従って横に広がり黒さを増していた。

 そんな黒い半紙の上に、突如、節穴のように開く空間が16。

 それは、魔物たちの群れの中で奮闘する魔装騎兵たちの姿である。


「とにかく、近づけるな!」

 裂け目の前でリーダー格のオニヒトデが叫んでいた。


 だが、倒せども倒せども魔物たちの波は打ち寄せる。

 それはまるで、幾重に重なった一つの大きな魔物のよう。

 倒せども倒せども次から次へと湧いてくる。

 そんな終わりのない戦いは、魔装騎兵たちの体力と気力を削っていく。


 そんな時である。

 カンガルーである魔装騎兵から甲高い音が響いたのだ。


 ビッー!ビッー!ビッー!ビッー!


 それは魔血ユニットの警告音。

 度重なる連戦に魔血ユニットに装填された魔血タンクが魔血切れを起こしたのである。

 魔血切れの状態で魔装装甲をまとっていれば、魔血ユニットは装着者の人血を吸い込み始める。

 そして、それと引き換えに体の中に魔の生気を送り込み始めるのだ。

 結果、使用者は人魔症を引き起こす……

 戦闘中に人魔症など発症すれば治療どころではない。

 それどころか敵味方関係なく襲いだすのである。

 そうなる前に……もう一度、魔血ユニットに魔血を注ぎ込まなければならない。


 ビッー!ビッー!ビッー!ビッー!

 だが、警告音はカンガルーのお腹から聞こえてくるではないか。

 そう、カンガルーのお腹のポッケに収まる股間がルーマニア、いや、子カンガルーのマニア君が魔血切れを起こしていたのである。


「父ちゃん! 僕、もう予備の魔血タンクもってないよ」

「なんだとぉぉぉぉ!」

 父ちゃんこと、カンガルーの魔装騎兵は、腰に巻く予備の魔血タンクに手を伸ばした。

 だが、そこには……すでに何もない。

 そう、カンガルーもまた、すでに予備のタンクは消費済みであったのだ。

 だが、そんな父ちゃんは息子の頭をポンと優しくたたくと、大きく笑うのである。

「心配するな! 息子よ!」

 と言うなり、自分が装填していた魔血タンクを魔血ユニットから無理やり引き抜いた。

 瞬間、けたたましい警告音を上げるカンガルーの魔血ユニット。

 だが、そんなことを気にする様子もなく、父ちゃんは息子に魔血タンクを手渡すのである。

「ほれ! 父ちゃんの魔血タンクを使え!」

「でも……でも……父ちゃんが!」

「大丈夫だ! 父ちゃんは無敵だぁ! わはははははは!」

 腹のポケットに収まった息子を気遣いながらカンガルーは、迫りくる魔物たちを威嚇し、徐々に後方に下がり始めた。

 そして、壁の裂け目へと振り返り、思いっきり手を振ったのである。

「奴隷兵! タンク補充!」


 城壁の隙間をふさぐ盾の隙間からその様子をうかがっていた奴隷兵がさっと手を上げた。

「右前方50! カンガルー! タンク補充!」

 その号令一下、若い奴隷兵が魔血タンクを両手に抱え、大声をあげながら盾の隙間から飛び出した。

「うわああああああああああ!」


 だが、そこは魔物たちのひしめく黒い海。

 身を守るすべを持たぬ若者が飛び込むことは、まるで、自殺をするのと同じこと。

 無数のピラニアが泳ぐ川に、やわらかい肉を放り込むようなものである。


 当然に、数十匹の魔物たちが一斉にその若い奴隷兵を襲った。

 瞬間、頬が引き裂かれ赤い血が噴き出していく。

 それでも懐に魔血タンクを数本抱えて懸命に走る奴隷兵。

「うわああああああああああ!」

 だが、そんな彼の背中にドスンと重い衝撃が走ったのだ。

 倒れこむように膝をつく奴隷兵は、その勢いで魔血タンクを落としてしまう。

 先ほどからそれを懸命に拾おうと手を伸ばすのだが、一向に体が前に傾かない。

 というのも、彼の胸からは鋭い爪が飛び出し赤い血を流しながら串刺していたのである。

 遅れて届く激しい痛み。

 その激痛に悲鳴を上げる奴隷兵。

「うわああ……」

 しかし、そんな悲鳴も途中で途切れた。

 先ほどまで声を上げていたその頭は引きちぎられて、すでに魔物たちがボールのように奪い合っている。

 そう、頭には魔物たちの進化に必要な生気が豊富に詰まる脳があるのだ。

 ぜひとも欲しい! ぜひとも食いたい!

 下手な素人サッカーの試合のように、頭が転がった場所には奪い合う魔物たちの重なる山ができていた。

 そして、残った体もまた同様……

 いまや、襲いかかった魔物たちによって四肢が引き裂かれ、臓物を垂れこぼしていた。

 そう、その肉の塊には、まだ生気の宿る心臓が残っている。

 これもまた脳と同様に大量の生気を含んでいるのだ。

 その心臓を我先に喰わんと欲する魔物たちが、奴隷兵の臓物に顔を突っ込んでは肉をまき散らす。

 すでに、そこには人らしき形跡など残っていない……

 ただ、食べ散らかされた肉片がいたるところに飛び散るのみ……

 だが、そこにむなしく転がる数本の魔血タンクが、確実にそこに若い奴隷がいたことを如実に物語っていた。


 けたたましくなる警報音は、手を振っているカンガルーの魔装騎兵を焦らせた。

 魔血ユニット内部に残っていたわずかな魔血もすでに切れている。

 先ほどから体の中に何かどす黒く重いものが流れ込んでくるのが分かるのだ。

 このまま魔装装甲を解除しなければ、魔の生気が体中いたるところをめぐることは明白であった。

 確実に人魔症を発症する……

 この人魔症を防ぐには、とにかく一秒でも早く魔装装甲を解除すること。

 そして、血液洗浄によって体内に流れ込んだ魔の生気を取り除かなければならないのである。


 だが……しかし……


 この魔物に囲まれた状況で魔装装甲を解除するのは命にかかわる。

 生の肉体に戻った瞬間、先ほどの奴隷兵と同じように、一瞬で肉塊になってしまうことだろう。

 だが、カンガルーには自負があった。

 ――俺はあの地下闘技場のチャンピオン!ゴンカレー=バーモント=カラクチニコフと互角に戦った男! これぐらいあの時の死闘に比べればクソでもないわ!

 そう、自分ひとりであれば、生身の体に戻ったとしても数分は何とかしのげる自信があったのだ。

 ――しかし…ここで、魔装装甲を解けば、息子のマニアはどうなる?

 確かにマニアは魔装騎兵である。

 であるが、まだ子供……その強さはたかが知れている。

 マニアの魔装装甲は、マニアを傷つけないために施したのだ。

 というのも、魔装騎兵であるカンガルーは、当然に戦場に立つ機会が多い。

 そのたびに、幼子のマニアを一人、家に置いておくのは心配なのだ。

 だが、ともに連れてくるといっても、そこは戦場。生身の体では命が危ない。

 だからこそ、マニアを魔装騎兵にしたのである。

 この考えに批判があることは重々承知の上だ。

 だが、父一人、子一人で生きるということは、どこかで無理をしないといけないのである。

 焦るカンガルーは、もう一度、大きく手を振って渾身の力で叫んだ。

「早くしろ! 早く!」


 その声に応えるかのように何度か奴隷兵が飛び出すが結果は同じ。

 ついには、カンガルーの魔装騎兵の元までたどりつく者はいなかった。


 ビーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!

 まるで断末魔のようなひときわ大きな警告音をカンガルーの魔血ユニットが鳴らした。

 それは、最終警告。

 ついに、魔装装甲を解かないカンガルーの魔装騎兵は活動限界を迎えたのだ。


 そんなカンガルーの体が力なく膝をつく。

「父ちゃん! 父ちゃん! 父ちゃん!」

 ポケットから顔を出すコカンガるーマニアは、父親の顔を見上げながら必死に叫んだ。

 だが、先ほどまで笑っていた父からは、もう何も返ってこない。

 ただ……ただ……力なくうつむいているばかり……

「父ちゃん!」


 ガウガウガウ!

 ガるがぁぁぁ!

 そんな動かぬカンガルーの魔装騎兵に魔物たちが、けたたましい雄たけびとともに一斉に襲い掛かった。

 先ほどまでカンガルーの親子がいた場所には、たちまち魔物たちの黒々とした山が出来上がっていた。


 次の瞬間、山を形作っていた魔物たちが、まるで爆発するかのように四方八方へと吹き飛んだのだ。

 その爆心地の中心にカンガルーの魔装騎兵がふらつきながら立っていた。

 だが、その魔装装甲は魔物たちの牙や爪といった攻撃を受けてすでにボロボロ……いたるところから生身の体をのぞかせていたのである。

 うつむいていたカンガルーの顔が次第に起き上がる。

 しかし、その顔の装甲もまた崩れ落ち、今や人の顔の右半分を隠しきれていなかった。

 ゆっくりと開く右まぶた……

 その中から現れたのは怪しく緑に光る瞳孔だった……

 本来、人の瞳は黒き色……緑は魔物の証なのである。

 やはり、人魔症を発症したか!


 突然、そんなカンガルーの体が反り返り、不気味なほど真っ赤な口が天に向かって大声で吠えたのであった。

「うががあがぁぁあぁぁ!」


 だが、魔物たちも悠長に待ってくれているわけではない。

 態勢を整えなおした魔物たちは、再びカンガルーの魔装騎兵に襲いかかったのである。

 しかし、すでに人魔症を発症しているカンガルー。

 魔装騎兵としての使命や責任、いや、防御本能といったものなど、一切なくしていた。

 そのため、魔物たちの攻撃を避けるどころか、全てまともに食らったのである。

 腕や足、頭や肩といたるところに魔物たちがかみついている。

 だが、なぜか人魔のカンガルーは腕を前へと回し、まるで腹だけは守るかのように防御姿勢をとったのだ。

 そう、そこは子カンガルーが入っている腹のポケット。

 だが、中にいるはずの子カンガルーは動かない。

 さきほどからポケットの中でぐたりとしている。

 おそらく魔物たちが一気にのしかかった時、その圧力によって気を失っているのだろう。

 だが、そんなポケットだけは、ボロボロとなったカンガルーの魔装装甲の中で唯一きっちりとした原型をとどめていたのである。

 それはまるで、おびただしい魔物たちの攻撃からポケットだけは身を挺して守ったかのようにも見えるのだ。


 そんな馬鹿な! そんな訳あるはずがない!

 というのも、人魔症を発症したものはその瞬間、意識、記憶すら失ってしまうといわれている。

 もう……そこにあるのは生への渇望だけ。

 生きているものの生気を求めてさまよい歩き、ただひたすら食らうだけの存在になり下がるのである。

 家族の情愛? 父の想い?

 そんなものが残っているとは到底思えない。


 だが、現に今、人魔となったカンガルーは腹のポケットを守るかのように体を丸め、襲い来る魔物たちの攻撃をわが身で受け続けていたのである。

 そして、その態勢のまま一歩、また一歩と魔物の群れの中を歩き始めたのであった。


「ちっ! 人魔症を発症したか!」

 タヌキの魔装騎兵は喉を詰まらせた。

 すでに人魔となったカンガルーの魔装装甲は原型をとどめていない。

 それどころか、太い左腕は肘から先を失い、ちぎれた腸がわき腹からこぼれだしていた。

 だが、人魔となった今では、おそらくその痛みも感じていまい。

 それだけが唯一の救いなのだ。

 しかし、それでもカンガルーの体は残った右手で腹を押さえ、タヌキの元へと一歩一歩と近づいてくるのである。


 そして、ようやくタヌキの元へたどり着いたカンガルーは、骨がむき出す右腕でポケットの中から子カンガルーを引きずり出すと、それを真っすぐに突き出すのだ。

 ……すまないな……あとは頼んだ……

 まるでそんな風に言っているかのようにカンガルーの緑色の目が微笑んでいる。

 いや、タヌキにはそのように見えたのだ。

 あり得ない! 絶対にありえない!

 人魔となったものに意識など残っているわけはないのだ。

 まして、子供を救いたいという思いなど持ち合わせるはずは絶対にありえない。

 それが人魔。人魔というものなのである。

 当然、それを理解しているはずのタヌキの魔装騎兵は、それでもなぜか瞳をにじませる。

「馬鹿野郎が! だから! あれだけ! 子供を戦場に連れてくるなって言っただろうが!」

 だが、今更それを言っても……もう遅い……

 タヌキは震える手で……子カンガルーを受け取った。


 だが……


 次の瞬間、目の前のカンガルーは絶叫とも悲鳴ともわからぬ大声をあげて、頭をバンバンと振り出したのである。

 口角から飛び散るよだれ。

 乱れる髪の毛。

 もう、緑色の瞳孔は、どこを見つめているのかも分からない。

 そして、こともあろうか! いきなり子カンガルーを抱くタヌキの魔装騎兵に噛みつこうと大きな口を開けて襲い掛かったのである。

 うがぁぁぁぁぁぁぁぁ!


 その攻撃をとっさに避けるタヌキ。

 だが、その胸に抱かれていた子カンガルーが鳴き声を上げたのだ。

「父ちゃん! 父ちゃん!」

 ようやく意識を取り戻した子カンガルーのマニア。

 目の前で変わり果てた父親の姿を見て気が動転していた。

 だが、現実、そんな父が自分を襲ってくる。

 いや、どうやらタヌキやマニアだけを目の敵に襲っているのではないようだ。

 襲い来る魔物の首根っこに噛みついては、その皮ごと引きちぎる。

 視界に魔装騎兵が映れば、その腕へと飛びついていた。

 それはもう、目につくもの手当たり次第……

 

 もはやそれは人魔そのもの行動である……

 もしかしたら、我が子を助けたいというその思いだけが、カンガルーの意識をギリギリ踏みとどまらせていたのかもしれない……

 だが、それを果たした今……人魔となったカンガルーを支えるものは何もない……

 完全なる人魔化……

 もう……こうなると……もとは魔装騎兵であっても、ただの人魔である……

 いや、元が魔装騎兵である分、普通の人魔よりもたちが悪い。

 攻撃力のある人魔が、敵も味方も見境なく襲ってくるのである。

 最悪だ……

 もはや、その場合の最善策は……


 『殺処分』

 

 これが、味方の損害を最小限に抑える唯一の方法なのである。


 しかし、それが最善であるととわかっていても、周りを取り囲むモブの魔装騎兵たちは躊躇する。

 そう……目の前の人魔はかつての仲間なのだ。


 第六の仲間……

 それはかつて同じ炊飯器の飯を食らい合った仲間……


 だが、父一人子一人のカンガルーは、その炊きあがったコメをすぐさま大きな握り飯にして持って帰ってしまうのだ。

「マニアよ! これで明日の朝飯は大丈夫だ!」

「父ちゃん! この卵焼きも持って帰ろうよ!」

「なんなら、このテーブルの上の食べ物、全部持って帰るか?」

「僕、そんなに食べたら太っちゃうよwww」

「馬鹿野郎! 子供だったらな、食って食って大きくならないとダメなんだぞ!」

 だから……だから……モブたちは、空腹を我慢しながらもう一度コメを炊かないといけなかったのである……クソ!


 でも、それでも俺たちは、第六の仲間……

 それはかつて同じ風呂に一緒に入った仲間なのだ……


 第六の宿舎内にある大きなお風呂。

 仕事が終われば、皆がそこで汗を流して帰っていく。

 なのに……カンガルーの親子ときたら、その風呂の中で水鉄砲を撃ち合っているのである。

「くらえ! 父ちゃんの巨大水鉄砲!」

「やったな! 父ちゃん! 僕のホーリーウォーターでも食らいやがれ!」

「マニアよ! それをここで発射したらダメだ! トイレに行け! トイレに!」

「父ちゃん! もう、止まらないよぉwwww」

「なら仕方ないな! 父ちゃんも一緒に! 巨大ホーリーウォーター!」

 だから……だから……素っ裸のモブたちは、水を抜いて空になった風呂釜を見つめながら、もう一度湯を張らないといけなかったのである……クソ! 寒ミっ!


 なんか……思い出すと……

 このカンガルーに遠慮なんかする必要はないのではなかろうか?


 ということで、5人のモブ魔装騎兵が、積年の恨みを込めて剣を振り下ろしたのだ。

「今までの恨み!」

「死ねぇ! 大柴!」

 うん? 大柴? そうか、このカンガルーの名前は大柴というのかwww

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