第2話 プロローグ

 薄暗い森の中。


 黒いローブをかぶった老婆が、ふらつく足取りで森の奥へと進んでいく。

 かつては死の淵にあったその身体も、今は命の石の力でなんとか持ち直していた。

 だが、完全には癒えていない。肩はわずかに震え、呼吸も浅い。

 深く刻まれた皺だらけの手が、目の前の茂みをゆっくりとかき分ける。


 ガサリ……ガサリ……


 そのローブの奥。ぎらりと光る金色の瞳には、消えぬ恨みが宿っていた。

 怒り、執着、そして──何かを企む者の目。


 この老婆──名はミズイ。

 コンビニの前でベッツに「汚いババア」と罵られ、足蹴にされていた。

 ぼろ雑巾のように朽ち果てた体は、もはや虫の息。

 誰も助けてはくれない世の中を、彼女は恨み呪っていた。


 そんな中、タカトとビン子に命を救われる。

 そして二人に向かって、笑いながら言い放った。


「I’ll be back」


 ……その約束が、今まさに果たされようとしていた。


 タカトたちと別れた後、ミズイは万命寺へ続く道の脇に広がる森へと走り込んだ。

「あのガキども……絶対に許さない……」

 凍りつくような怨念が、その声にこもっている。

 何度も蹴られ、罵られ、痛めつけられた記憶が、胸の内で燃え盛っていた。


 神であるはずの彼女の心は、すでに狂気に染まっていた。

 ベッツたちの体をずたずたに引き裂きたい──そんな穢れた復讐の炎がほとばしっている。


 今のミズイは、命の石の生気でかろうじて体を動かせるだけ。

 神の恩恵など、遠い夢のようなものだ。


 それでも、胸に宿る復讐心は深く、冷たく、激しい。

 あいつらを絶対に許さない──そう、心に誓ったのだった。


「はあ、はぁ、はぁ……」

 肩で荒い息をつきながら、ミズイは木々に囲まれた小さな空地に、ひときわ存在感を放つ岩の塊を見上げた。


「やっと着いたか……年は取りたくないねぇ、ホント」


 そう呟くと、腰を伸ばしながら岩肌をトントントンと叩く。

 両手を広げ、目をぎゅっと閉じると、岩山の表面が不気味に震えはじめた。


 ブツブツと何かを呟く彼女の声が、岩の冷たさに溶け込む。


 やがて岩肌がゆっくりと割れ、腐れた傷口のような大きな穴が現れた。

 穴は人がやっと潜り込めるくらいの狭さで、奥は深い闇に飲み込まれている。

 湿った空気が、死臭を帯びた冷気となって外へと押し出されてくる。

 腐敗した何かの匂いが鼻をつき、嫌な寒気が背筋を走った。


 この穴こそ、かつてミズイが封じていた“小門”の入口だった。


 薄ら笑いが、彼女の唇を歪ませる。


「ガキどもに……とっておきの贈り物をしてあげなきゃねぇ……ふふふっwwww」


 挿絵:https://kakuyomu.jp/users/penpenkusanosuke/news/822139840141806870


 そのまま、冷気に包まれた封印の穴へ、ミズイはゆっくりと足を踏み入れた。


 洞窟の奥。

 広がるホールは体育館ほどの空間を有していた。

 周囲を覆う壁や天井は、まるでガラスのように透き通り、青く輝いている。

 ミズイの指先から放たれる光が乱反射し、無数の光の粒が壁や天井に散りばめられていた。

 まるで星々が瞬くプラネタリウムの中にいるかのように、幻想的な光景だった。


 ミズイはそっとそのガラス状の壁に手を当て、穏やかな吐息とともに昔を懐かしむように囁いた。


「……アリューシャ……ごめんね……」


 その言葉は、先ほどまでの鋭さを失い、家族に向けるかのように優しく温かかった。


「ちょっとだけ……ほんの、ちょっとだけ……あなたの生気を分けてちょうだい……」


 そう言い終えると、彼女はガラスのような岩肌に口づけをした。

 その瞬間、しわだらけだった頬に、かすかに張りが戻ったように感じられた。


「あのタカトという少年に神の恩恵を授けてあげたいの……アリューシャ……あなたも会えばきっと気に入ると思うわ……」


 その言葉は、先ほどベッツに向けた激しい憎悪とは明らかに異なっていた。

 感謝か──いや、むしろ愛に近い響きを帯びていた。


 しかし、その感情もつかの間。

 ミズイの表情は再び険しく歪み、恨みの色を帯び始める。

 意を決したように、彼女は魔の国へと続く洞穴の奥へと歩みを進めた。



 

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