第20話 誰が望む?
「王女、こっちの書類は目を通してある?」
「これは?」
「即位式の場所なんだけど」
「美羽ちゃん、紅茶を入れてくれる?」
城に戻ってからのセンは、驚くほど普段通りだった。さっきまで厳しい顔で剣を振るっていたのは別人ではないのかと思ってしまうほど、にこやかに手早く仕事を進めていく。
王女も、センに追われるように仕事を進めていくが、口数は少なくシュウは城に戻ってから一度も姿を見せない。美羽は、初めて王女の側にいることに居心地の悪さを覚えた。
太陽が紅く染まるころ、シュウが扉から顔をのぞかせた。
「じい様の、意識が戻った。伯父上の治療も終わった」
「そうか。伯父上は、即位式には出られそうか?」
「出ない、と言っている。伯父上が無事だったことも、じい様が失敗したことも、俺が生きてることも、即位式が終わるまで王には知られるな、と仰せだ」
「伯父様は、今どこに?」
「牢。じい様との話がすんだら、一度ここに来ると、言っていた」
『牢』という響きが、やけに乾いたものに聞こえる。そんなものが、この城にあることさえ美羽は知らなかった。国を統べる王の暮らす城。そこは美羽のような者が踏み込んでいい世界では、なかったのかもしれない。
「デール、お互い、生きていたな」
「……」
「孫のように愛しんできた、王女の即位だ」
「……」
「主に従うだけが従者ではない。主を正すのも、従者の役目ではないのか?」
残酷な言葉だった。それが出来たなら、どんなに良かったか。何度も正そうとした。だが、王の心は、変わらなかった。王がまだ幼かった頃から付き従った従者だからこそ、殺された王の心を知っていた。救いたかった。守りたかった。望みをその手で叶えたかった。
その気持ちは、ルークも痛いほどにわかる。
だが、シュウと王女が死んでいいはずはない。たとえ、王女から王位をうばっても、王の心は救われない。センが即位したとしても、王が誰より愛した女は、もう戻らない。
わかっていたからこそ、ルークは主に逆らった。
不意に、王女とセンが手を止める。視線の先には、扉の前で直立するシュウ。少しの間をおいて、扉が開かれルークが顔をのぞかせた。
「少し、いいか?」
「ええ。美羽、紅茶をお願い」
下がっていろとのことだろう、と即座に理解した美羽は部屋を出ようとしたが、ルークが扉の前で足止めをする。
「その娘にも、聞いてほしい」
ルークは静かに扉を閉め、大きく息を吸った。シュウが、美羽を守るように横に立つ。
「王の補佐として、私が止めねばならなかった。王家の護衛として、私が負けてはならなかった。王家の侍女を、衛兵を傷つけた責は私にある。本当に、すまなかった」
深く頭を下げたルークに、王女は慌てて首を振った。
「伯父様は、私の従者を守ってくれました。私の力不足が、すべての責です」
返すように頭を下げた王女に、ルークが深く息を吐く。
そのやり取りを黙って聞きながら、伯父の真意を探し出すように真直ぐに見つめるセン。
「伯父上、あなたの、今の望みを教えてほしい」
ゆっくりと紡がれた言葉は、部屋に重く響いた。ルークは、その言葉をかみしめるようにして、真直ぐにセンに向かい口を開く。
「理通り、王女の即位だ。それ以外、あってはならない。私のできることは、なんでもしよう」
シュウが口の端を上げて笑い、緊張で固まっていた美羽の身体からは力がぬける。
空が灰色に変わり、丸くなった月が高く昇る。
即位式を前に、王女の顔色が少しずつ悪くなってきた。
美羽が紅茶を入れて部屋に行くと、センとシュウが扉の前にいる。美羽の顔をみて、二人がほっとしたように笑う。
「センさん?中に、入らないんですか?」
「うん、着替えもあるからね。俺は、ここに居るから。王女の着替え、手伝ってあげてくれないかな?」
頼んだよ、と言って扉を開けてくれる。中には、土色に近い顔をした王女が座っていた。
「美羽、入って」
聞いたことのない細い声。大丈夫ですか、と声をかけるが黙って頷くその顔は、とても大丈夫そうではない。ゆっくりと紅茶を入れて手渡すが、受け取る手が冷たい。
「小さいころのことを、思いだしてしまったの」
「小さいころ、ですか」
「そう、まだ小さかったころ、お父様がお母様を罵っていた。王家を継ぐのはセンだって言って、私を突き飛ばしたの。一度だけなんだけど、今でも、あの時のお父様の顔は忘れない」
ずっと昔の話なのにね、と言う不安げな顔は、まるで子供のよう。
「あの頃と同じ、お父様は私の即位を望んでいない。お母様が、私以外に子供を産まなかったのは、正室が男子を産んだら、センが即位することができないから。私なら、民も不満を持つわ。だから、センに即位させるには、私だけの方が……」
言いながら、涙をにじませる。ずっと、耐えてきたのだろう。誰にも望まれないことを知っていながら、誰よりも強い王になるために努力を惜しまずここまで来た。何より欲した、父からの期待、愛情。それを背負った弟と共に、進んできた。弟をうらやみながら、でも、誰よりも弟を愛し、頼りながら。
「私は、王女の即位を望みます。国を想う、素晴らしい女王になることを願っています」
涙がこぼれる前に、美羽は王女を抱きしめた。自分よりも背も高く、力もある。それでも、幼子のような危うさを持った王女。
「私も、シュウも、センさんも、王女の即位を望んでいます。ルークさんだって、本当はじい様だって願っている。王女を知っている人は全て、王女の即位を望んでいるんです。それでも、足りませんか?」
どれだけの時間、そうしていたのだろう。
ありがとう、といいながら上げた顔には、もう子供のような危うさは残っていなかった。いつもと同じようにゆったりと紅茶を飲み、いつものように真直ぐに前を向く。
即位式用の衣装は、立襟のゆったりとした作り。真珠色の長い上衣の足元には見事な狼と鳶の刺繍が施されている。美羽は、着替えを手伝いながら、刺繍を指でなぞり、何度も溜息をついた。
「よく、お似合いです、王女」
「ありがとう。『王女』って呼ばれるのも、これで最後。即位式が済んだら、『女王』よ。」
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