第18話 主の望みは従者の望み
「家には、手がかりになりそうなものは無かった。あの距離を、美羽を連れては行けまい」
美羽を攫った衛兵の家から、やっとで戻ってきたデール。得るものは無かったと言う報告に、王女もセンも、疲れた老人を気遣い、敬う。
「実は、昨夜からルークもおらんのじゃ。気付いておったか?」
デールは、言いながら深く溜息をつく。王女の眉間に皺が寄った。
「伯父様が?美羽を攫って、伯父様の得になることなんて、ある?みんなどうかしている、伯父様が、王位を狙うなんて、そんなことあるはずがない」
小さな頃から見てきた伯父。王女は、実の父である王よりもずっと、ルークを信頼している。
「可能性だよ、王女。美羽は、俺達にとって守るべき妹だ。伯父上は、それを良く知っている」
「……わしも、探索にあたろう。ここにいても、役に立てない老いぼれじゃからのう」
優しそうな声色に、なぜか王女の背中が寒くなる。あれ以来姿の見せない王は、今何を思っているのだろう。自分の護衛兼補佐役が側にいないのに、平気なのだろうか。
梟に姿を変え、迷いなく空を進むデール。王女の眉間に深い皺が出てきた。
狼の姿をとったシュウが、美羽の流れてきた川を上っていく。美羽の隠れていたという木の洞の側、辺りには血の匂いが充満している。ルークは、生きているのだろうか。
不意に、後ろから空を裂く音。音に気がついた時には、すでに耳に痛みが走っていた。
シュウの前には、梟。
「じい様、なぜ?」
子供のころから、面倒を見てくれた。誰よりも優しく、暖かく見守ってくれた。こうして目の前で傷つけられても、まだシュウは信じられない。
「主の望みを、かなえたい。わしの望みは、それだけじゃ」
深い溜息をついたデール。その瞳には、シュウへの憎しみは感じられない。
勢いよく飛び立ち、シュウに向かい急降下を繰り返す。牙をむき出し迎え撃ったが、自由に空を舞う梟に、狼の牙は届かない。背中が、火がついたように熱くなってきた。何度目かの急降下、シュウの鼻先に細かい粉がまかれ、視界も嗅覚も奪われた。意識が薄れていくなか、人の姿に戻ったデールが、悲しそうに膝をつくのが見えた。
「起きろ!おい、起きろ!」
激しい叱責が意識を呼び起こす。霞がかかったような頭を持ち上げると、暗闇の中に怒りに震える伯父がいた。両腕は背中に回り、自由にはならない。だが、まだ生きている。
「伯父、さん……」
子供のころと同じ言葉を紡いだシュウに、ルークが安堵のため息を漏らした。
「この、馬鹿者が。王女の護衛隊が、こんなことでどうする?」
「伯父上だって、王の護衛兼補佐じゃないか。王女が即位したら、王女の従者になるんだろう?」
すがるような灰色の瞳に、ルークは視線をそらした。
「美羽は、無事だ」
「そうか、あの娘。非力だと思ったが、中々。女とは、わからぬものだなぁ」
柔らかく笑う姿は、本当に美羽の無事を喜んでいる。
甥姪のことも、甥の連れてきた隣の世界からの客人までも、守ろうとしている。それが、何故、こんな姿に……。
「なぜ、あなたが」
目の前の伯父は、髪は乱れ、身体からは鉄の匂いが立ち上っている。縛る必要もないと思われたのか、シュウと違い、そのまま暗闇に放り込まれたようだ。が、さっきから微動だにしない右腕は、おそらくもう使えない。
これが、国を守り、民を導く王のやることか。王が、心底憎くなった。それを察したのか、ルークが笑う。
「王にも、心がある。だが、王であるため、それを殺してきたんだ。私を含め、側近たちは王が心を殺していることを知っていたのに、何もできなかった。退位を決めたいま、殺し切れなかった心が表に出てきた。全て、我らの力不足。責は我らにある。お前は、王を憎むな」
殺し切れなった心のために、遣えた者を犠牲にしていいはずがない。従を守ってこそ主。なぜ、憎むな、などと言えるのか。
「身体は、動きそうか?動くなら、座れ。縄を、ほどいてやる」
しびれの残る身体をなんとか動かし、起き上がる。ルークは長い時間をかけて、左手一本で縄をほどいてくれた。
「あの娘は、無事だったのだろう?それなら今、お前がなすべきは王女を守ること。王に、理を破らせてはならない」
わかるな、と説くルークの瞳が揺れる。たとえ主に裏切られても、主の誇りを、積み上げてきたものを守る。それこそが、従の誇り。
「残念だが、私にはもう力がない。お前が逃げる時間を稼げる自信も、ない。それでも、お前は城に還るのだ」
ルークは無言で扉を睨む。扉の外に人の気配はない。衛兵もデールも、どこかに行ってしまったのか。
「じい様、は?」
「さぁ、お前を投げ込んでから、気配がない。うまく捕らえたから、報告にでも行っているのかもなぁ」
誰への報告なのか、その場所に居るはずの王女とセンの身が案じられる。
次に戻るのは、シュウを始末しに来る時だろう。美羽の時のような油断は、もうない。
早く逃がさねば、と思うのに、動かない身体と頭が悔しい。
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