第15話 闇の中から


 白い。あたり一面、自分の手すら見えない、白い闇。

 怖い、一人は怖い。

 走り出したいのに、足が動かない。

 肩が、痛い。動くことが、怖い。

 誰か、助けて。美羽は膝を抱えて、泣きだした。




 白い闇を切り裂いて、美羽を呼ぶ声がする。

 返事をしたいのに、声が出ない。側に行きたいのに、足が動かない。

 やっと少しだけ動いた手を差し出すと、暖かい手にふれた。

 その瞬間、叫んでいた声は穏やかなものに変わった。

 「こっちにいる間は、面倒見てやるよ」

 白い闇が晴れて、シュウの笑顔が目の前に現れた。





 目が覚めたのは、真っ暗な世界。

 ひどく、身体が冷たい。


 還らなきゃ。

 どんなに非力でも、このままでは、終われない。

 黙って居なくなったら、あの灰色の瞳がどれだけ悲しむだろう

 そんなことは、させられない。


 あの日から、ずっと守ってくれたんだから。

 今度は、私が……。


 意地でも、ここから這い出てやる。


 出血は止まっていたが、切り裂かれた肩は熱を持っている。

 痛みと熱で、身体にうまく力が入らない。肩を動かさないようにして、ようやく起き上がる。肩が悲鳴をあげているが、なんとか声を堪えた。


「痛むのだろう?じっとしているといい」


 暗闇から聞こえた、低い声。この声は、知っている。


「ルーク、さん?」


「見えぬのか?そうだ。残念だが、お前を助けてやる余裕はなさそうだ」


 声を頼りに、ソロソロと這い出す。肩は火がついたように痛むが、今は堪えるよりない。這い進むと、指先に当たる布の感触。シュウよりもずっと細い手首が、後ろ手に縛られている。


「お前と違って、自由に動くこともできぬ」


 乾いた笑いが響く。美羽はなんとか縄をほどこうと、結び目を探した。ルークが自由になれば、逃げ出せるかもしれない。


「どうして、ルークさんが?」


 少し考え込むようにしてたルークが、静かに語りだす。


「この国では、本来は王の正室の子が次代の王となる。不測の事態があり正室の子が王位を継げなくなれば、前王の側室の子が王位を継ぐ。シュウとセンは、現王の側室の子、私は前王の側室の子だ。今正室の子は王女だけ。王女が即位する前に王位を手放すことがあれば、順番として私が即位する。それが、センが私を嫌い、警戒する理由だ」


「センさんが……」


 美羽の震える声に、ルークが笑う。


「センは私を嫌っているが、これはセンの仕業ではない。センは、心から王女の即位を望んでいる。王女を守るために、私を嫌う。参謀としては当たり前のこと。心強いことだ」


「……」


「センの母親は、美しく聡明な女性だった。侍女として城に上がったが、ほどなくして側室となり、王からの信頼は参謀をも凌ぎ、王妃よりも王と情を通じていた。だが、センがまだ小さい頃、城には居ないはずの蛇の毒に倒れ、二度と起き上がることはなかった」


「蛇の、毒……」


 城に現れた、本来はいないはずの蛇。あれは、センの母を殺したことに対する、報復だったのか。


「王妃がやったと口汚く噂する者も多かったが、そんな事をする者があの王女を育てられると思うか?断じて、王妃ではない。だが、愛する者を失った王は、王妃を信じることが出来なかった。王は今でも、蛇を城に放ったのは王妃だと、信じている。私は、王の心を正せなかった。王は、センを即位させたいのだ。だが、理を犯し王女を殺すには、シュウが邪魔だ。あの子は、強く、賢い。センと二人で王女の側につけば、王女を殺すことはできない。そこで、お前が使われた。シュウから自由を奪う、餌だ」


 ルークは怒りに声を荒げて、動かせない両手を握りしめる。腕が動くと、縄がさらに食いこんで、うまくほどけない。手放してしまった結び目を探そうとする美羽の手を、ルークはそっと押しやる。


「どのみちお前では、ほどけはしない。今は見張りは衛兵だけ。時間を稼いでやるから、一人で逃げるといい。還って、お前の主を守れ」


 主、とは王女の事だろう。ルークの声は、心底王女を気にかけていることが伝わる。センやシュウに対しても、慈しんでいるのが伝わる。


「ルークさんにとって、王女や、センさんは、どんな存在なんですか?」


「……幼き日より、見てきた。私には子がおらぬ。我が子と言うものがいるのなら、きっとそれは彼らのような存在だろう」


「では、シュウは?」


「シュウは、そうだな。我が身を見ているようだ」


 クスリ、と乾いた笑い声を上げるルークに、美羽の手に力が入った。この人を、置いては行けない。シュウの元に、一緒に帰らなければ。


「ほどけるかも、しれないです。それに、私一人で森にでても、逃げきれない。城までの、道もわからないのに」


「城まで、還れぬのか?方向が、わからぬと?」


 呆れかえったような声。わかるわけがない、と言い切った美羽に溜息を漏らした。


「……靴を脱ぎ、踵を見てみろ。」


「はい?」


 美羽の脱いだ靴の踵には、小さく畳まれたナイフが仕込まれていた。


「センが仕込んだのだろう。それなら、お前でも縄を切れる」


 かなりの時間をかけてようやく縄を切った美羽を、呆れたように見つめるルーク。


「非力な娘だ。だが、それが力になるやもしれぬ」


 窓の無い部屋、出口は扉一つのようだが、部屋の外には衛兵がいる。どうするつもりだろう、と思っていれば、ルークはおもむろに扉を蹴飛ばす。ドカドカと激しい音を立てて。もともと、牢としての部屋ではないのだろう。あっという間に扉が軋みだした。


「やめろ!」


 扉の外では慌てて鍵をあける気配がする。衛兵は刀剣を構えていたが、ルークは怯むことはない。勢いよく衛兵を中に引きずり込んだと思うと、部屋の奥に放り投げて、いつの間に奪ったのか、扉に鍵をかけてしまった。さすが、護衛も兼ねた、王の補佐役。呆気にとられる美羽を促し、続き部屋へと進む。


 室内は暖炉に火が入ったままになっていたおかげで、充分に明るかった。


「お前、外衣は?」


 一度脱走しようとしたときに脱ぎ捨てたことを伝えると、呆れたような溜息が洩れる。


「無いよりはいいだろう。着ておけ」


 無造作に外衣を投げつけられた。美羽が着るにはかなり大きいそれからは、鉄の匂いがして、布があちこち強張っている。


「ルークさん、怪我を?」


「大したことはない。急ぐぞ」


 それ以上はふれることを許さない背中を慌てて追いかける。丸くなりかけた月が、かなり低く降りてきている。


「小望月、即位は明日だ。悪いが、気遣ってやる余裕はない」


「は、い」


 言葉の通り、足早に進んでいく。暗い森の中、大きすぎる衣、必死に追いかけるも中々追いつけない。何度も木にぶつかり、足を取られる美羽に溜息をついて戻ってきた。


「先に、行ってください。私は明るくなってから戻りますから」


「城の位置が、わかるのか?」


「……明るくなれば、きっと」


「無謀だ」


 冷たく言い放って、美羽を片手で抱きあげる。怪我をしているであろう腕に抱かれて困惑した美羽はおろしてほしいと懇願したが、聞いてくれる気配は全くない。


「このまま城まで運ぶことはできぬ。傷に響くから、少しじっとしていろ」


 美羽がおろされたのは、川の側にある大きな木の洞。何があるのかもわからない洞の中、戸惑っていれば奥へと追いやられた。

「今の私では、お前をつれて城まで戻ることはできない。無事城まで戻れれば、迎えをよこそう。だが、明るくなっても誰も来なければ、この川に沿って行け。時間はかかるが、迷わずに城下につく」


「明るければ、じい様には不利ですよね?」


 梟は、夜目が利く。ならば、逆に明るい昼間は目が見えづらいのだろう。美羽のすがるような声に、ルークが呆れる。


「お前の世界では、そうなのか?この世界では、梟は明るくとも支障はない。血のにおいをかぎ分けるのも、得意だ」


 梟とはそういったものなのか。不安が、美羽の顔色を変えた。


「城に向う私を、先に追ってくるだろう。この身が城までもたずとも、時間は稼ごう」


 そう言うと、ルークは真黒な狼に姿を変え、冷たい鼻先を美羽の首に押し付けてから、闇の中にとけて行った。


 一人になり、気がぬけた美羽の肩には、忘れていた痛みが戻ってきた。動いたせいか、また出血している。痛みと、不安と、恐怖。この世界に来てから何度も堪えた涙が、誰もいない闇の中では堪えることができなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る